13 / 123

─ 12

**  ── オレはピアノを独りで弾いているのが好きだった。  音楽一家で、父親は楽団の創立者だが、両親はオレに何かしらの楽器をやるようには言わなかった。しかし、家にはいろいろな楽器が置いてあり、オレはやっと言葉を話し始めるくらいの頃から、自らピアノで遊び始めた。  両親は忙しく昼夜を問わず家にいなく、兄弟も年齢が離れていてやはり日中家にいない。家にいるのは家政婦さんくらいだった。そんななかで、オレは独りでピアノを弾いて過ごしてきた。  幼稚舎に上がってもほとんど通っていなかったオレは、五歳になる歳からカンナ音楽院で講師について本格的に勉強することになった。とはいっても、週に二、三日。それも一日一時間程度で、やはり家で独りで弾いている時間のが長かった。  カンナ音楽院は、四歳から入学できる。親から完全に離れられることが条件だ。普通の学校のように学年はない。グループレッスンと個人レッスンの両方を受け、グループレッスンはレベル別に別れている。あとはひたすら自主レッスンをする。  学校に行くべき年齢の者は、聖愛学園又は他の学校で一般の教育を受ける。しかし、提携している聖愛の方が時間的に考慮されている。  卒業の時期の規定はなく、認められて楽団に入る、学院の講師になるなど、それぞれ道を決め卒業。あるいは、挫折して辞めていく ── どちらかといえば、後者の方が多いかも知れない。  オレは、高等部に進級する歳までこの音楽院にいた。音楽院にいながら、楽団にも所属していた。  でも、やはりオレは、独りで自由に弾いているのが好きだったんだ。  あの幼い頃も。無理やり技術を押しつけようとする講師も、「天才だ」と騒ぐ周りの大人も、ずっと年上なのに敵対心剥き出しのカンナの生徒たちが奏でる音も、みんなみんな煩くて仕方がなかった。  でも冬馬は違った。  あの時から、オレは、冬馬の隣で弾くのが好きになったんだ。嘘も飾りもない冬馬の言葉はとても心地が良く、心に響いたんだ。

ともだちにシェアしよう!