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第3話
…僕には無い板チョコ腹筋が見える……。
「きゃー見ないでー」
「み、見てないし棒読みだし」
慌てて目を逸らしてみたけれど、多分見ていたのはバレている。まあ男同士なんだから、生着替えなんて日常的に目に入るものだし騒ぐような事じゃない。
平静を装うのは全校集会の挨拶で慣れていた。
「ねえハヤシ」
え、急に呼び捨て。
いやいいんだけどね、もう少し轢かれたのに手を差し伸べてあげる僕に対して敬意を示した方がいいとは思うよ。
「かいちょーってのは?」
「あ…えっと、生徒会長だから」
「ふぅん」
それだけ?!
いやいいんだけどね、もしかしたら前の学校でキミも生徒会長だったとかクラス委員を毎年任されるタイプだったとかあるかもしれないし。
でもね、もう少し吹っ飛ばされたのに優しくしてあげる僕に対して興味を持ってくれたっていいじゃない。
「ねえかいちょー」
「何かな美咲くん?」
「下の名前なんてーの?」
「うぇっ…」
クラス委員を毎年任されるタイプ。それは僕だった。
1年の前期からやっちゃったものだから、中学で知り合った人達からは「いいんちょー」と呼ばれるようになり、数少ない小学校からの同級生でさえその呼び名が定着した。
後期には新・委員長が誕生したにもかかわらず、何故かその子は名前で呼ばれて僕はいいんちょーのままだった。訳が分からない。
生徒会長に任命された事で、ようやく新たなニックネームが出来るかと思えばまさかの「かいちょー」である。なんだよ何も変わらないじゃないか。
今では僕を役職名以外で呼んでくれるのは先生くらいのもので、もしかしたら同じクラスの大半が僕の下の名前を知らないんじゃないかって少し不安だ。
「うぇって名前?」
「そんなわけないだろ!」
「じゃあ何?」
サイズが合わなかったのか、シャツの第一ボタンは当然のように外されている。
イレギュラーが重なった今日くらいは、先生も彼の着こなしを大目に見てくれるだろうか。
「…麦」
「むぎ?」
「ん。麦わら帽子の麦」
「麦ごはんの麦ね。カレーに合うよね」
「その話はもういいんだよっ」
散々な出会いだし、しかも出会った初日だし、そう簡単に笑顔が見られるタイミングもなかった。
だからきっと、この学校で初めて彼の笑顔を見たのはこの僕だ。
暴走自転車と気怠げな歩き方のせいで、彼を勝手に不良少年だと思っていた。
でも、笑った美咲君とは少しだけ仲良くなりたいと思った。
右側だけ八重歯風、歯茎まで見えるタイプ。
スッと通る鼻筋の付け根にくしゃりとシワがより、切長の目は糸みたいに細くなる。
「麦っておもしろいね」
「誰のせいだと…っ」
美咲君がいつまでもイジってくるせいで、さっきからずっと顔が熱くてたまらない。
こんな情けない面、この学校の誰にも見せた事がないのに。
サイアクだ。
「いい匂いする。麦の制服」
「ふがっ…?!そそそそんなの柔軟剤だし!カレー以下の柔軟剤とか論外だしっ」
「論外て」
そんな恥ずかしい言葉を簡単に言いのけて、何なんだコイツ。何者なんだ転校生っ。
全部悪いのは美咲君なのに、なぜか美咲君は落ち着いているし、反対に僕ばかりが焦っている。
シャツを渡した時は8分もあった授業までのタイムリミットが、もう残り3分を切っている。
「柔軟剤じゃなくて、多分これは麦の匂い」
「ひゃっ?!」
2分遅れの教室の時計を確認し、机から教科書を引っ張り出したその時だ。
つい先程まで襟や袖に興味津々だった美咲君の鼻が、僕の首筋にぴたりと触れた。
「ねえ麦」
「ぬゎんだよ!」
僕より冷たい美咲君の体温が、移される前に後ずさる。
緊張してどうしようもない鼓動がバレたら、きっとまた笑われてしまう。
「俺と付き合わない?いい匂いするし、面白いし可愛いし。あと俺もカレーは辛口派」
「なっ…… 何言っえわぎゃぼばぶ」
「ぶははっ、何その噛み方特殊すぎ」
突然県外からやってきた転校生は、一瞬にして僕の常識をぶっ壊した。好きとか付き合うとか、そんなの女の子相手にだってあまり考えた事が無い。
それに、少なくとも校内の半数以上が持つ僕のイメージといえば「優秀ないいんちょー」「しっかり者のかいちょー」であるが、美咲君の中では多分、いや絶対にそうはなっていない。
朝から冷えたレトルトカレーを吸い込んで遅刻ギリギリに登校する、ドジでマヌケなへなちょこりんだ。
普段の完璧な僕ならば転校早々惚れられてしまってもそりゃそうだよねと理解出来るけど…
やっぱり嘘だ。理解もできない。
「僕またからかわれてる?置いて行こうか?」
美咲君は僕を男だと知っていてそんなおかしな事を言っているのだろうか。
折角初めてされた告白だったのに、相手は消しゴムを拾ってくれた同級生でも憧れの先輩でもなく30分前に僕を自転車で撥ねた転校生。何だこれ、大事な初体験を返せ。
「からかってないから置いてかないで」
「じゃあ何だよっ」
先生から預かっている教室の鍵を忘れず閉めて、早歩きで化学室へ向かう。
僕より背が高い美咲君は嫌味みたいに脚が長くて、少し大股になっただけ。
「何って言われても好きとしか…」
「は?美咲君ソッチの人なの?おカマさん?」
「どっちなのかわからねー。麦が初めて」
「っ?!」
人通りの無い渡り廊下で、思ったより響いた美咲君の信じられない言葉が、僕の思考を完全に停止させる。
「俺の初恋、麦に奪われちゃった」
「ぬっ…ぬゎあんだコイツぅう〜〜!!」
「うわ、ちょ待って麦!迷う!」
チャイムの音を聞きながら、体育祭より全力で廊下を駆け抜けた。僕を撥ねる暴走自転車危険人物は、後ろにいるから大丈夫。
吹っ飛ばされた痛みは未だ全身に残るけど、そんなのどうでもいいくらい心臓が煩くて飛び出しそう。
急に走ったからだと思い込む事にして、この僕が授業に遅れてしまったからだと納得させるようにして、熱の冷めない頭も、汗が滲む掌も、全部気づかないふりをした。
だっておかしい。
こんなにずっとドキドキしてる。
背後に感じる足音を聞くたび、少し乱れた呼吸を聞くたび、さっきの言葉が頭の中でぐるぐる繰り返される。
なーにが「麦に奪われちゃった」だ。
なーにが「俺の初恋」だ。
絶対絶対信じてやらない。
初めて抱く、このむず痒くて恥ずかしくて隠れたい不思議な気持ちの正体も、
絶対絶対認めてやらないんだからなっ。
fin.
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