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第56話 特別な時間に
実紘のベッドは大きな窓に沿わせるようにして横向きに置かれている。高層階で誰かがその窓から部屋の様子を観察することはできないからなのか、カーテンはいつも夜になろうと閉めずにいるらしくて、俺には少し心許ない気がしたっけ。
ふと目を覚ました。
隣で寝ているはずの実紘はそのカーテンをしない大きな窓から星の見えない夜空を見上げていた。
「ごめん……起こした?」
なんの音もさせずにじっと見上げている姿はまるでサバンナに佇む獣のようで。僅かな音に振り向いた。
「あ……いや……別に」
裸のまま、布団と膝を抱えるようにしながら窓の外を眺めていた。
「加減できずにやったからさ、腰、しんどくない?」
「! い、いやっ、ダイジョーブ」
言われて、その時の自分がなんて言ったのかを思い出してしまった。きっと真っ赤になってしまっているんだろう。慌てる俺を見て実紘が楽しそうに笑った。
「けど、腰、ふにゃふにゃだったじゃん」
「そ、それはっ」
シャワーの時、確かに力が入らなくて、ベッドから立ち上がれなかったけれど。
「もう、大丈夫っ」
「そ? ならよかった」
そうだ。俺が自分からねだったんだ。実紘にめちゃくちゃにされたいって。深くまで奥まで実紘でいっぱいにしてもらって、夢中でしがみついてしまった。そのくらい、すごく激しかったから。
「あ! 背中!」
シャワーを浴びた、というか浴びるのを手伝ってもらった時、鏡に映る実紘の背中が大変なことになっていた。
「ごめっ、あのっいつも我慢してたんだけど、今回は、そのっ」
「我慢?」
「その、しがみつくの」
引っ掻き傷が、俺の爪が引っ掻いた痕がすごくて。
「へー……しがみつくの我慢してたんだ」
「!」
「今度っから手加減するのやめようかな」
「!」
「そしたら、あんたが俺にしがみついてくれる」
とんでもなく綺麗な顔に覗き込まれて思わず肩をすくめた。
「爪痕つけてよ。大丈夫だから」
「でも! それじゃ、仕事に」
「さっき連絡来てた。マネージャーから。バーナードと仕事するからって予定詰めたじゃん? んで、それがなくなったから、しばらくオフだってさ。だからキスマークも爪痕も大丈夫」
「! そ、そういう問題じゃ」
あの後、事務所は大変なことになってた……だろうな。仕事の前倒しを頼み込んで、それで、そこまでした仕事がなくなったんだ。それにあんな場所で男の俺が告白なんてして。
「痕つけ放題。ラッキー」
くすくすと小さく笑って実紘が長い前髪をかきあげた。その肩にまで届く赤い爪痕が、ホント、申し訳なくて。
「ラッキーなわけない、だろ……痛いだろうし」
「んーまぁ、しみたけど」
「!」
「俺、SMは趣味じゃないはずなんだけどさぁ」
「!」
「あはははは」
今度は大笑いをして、それが都会の喧騒さえ届かない部屋に響いてる。
「マジで気にしないでいーよ。むしろ、悠壱にしがみついてもらえて嬉しかったし」
「!」
「スッゲー気持ちよかったし」
「っ!」
「キスマークもつけて貰えばよかった」
「!」
「あんたには付けたけど」
言いながら、首筋にキスをされた。そこには赤い印がつけられてるのをシャワーの最中に見つけてる。
内心、とても嬉しかったんだ。
実紘のものになれたっていう印をいくつもつけてもらえて。
今までもキスマークはつけられてたけれど、なんというか意味が変わってきたっていうか。
「俺の悠壱」
にこりと笑って首を傾げた実紘に見惚れていると、そっとキスをしてくれた。触れただけなのに、身体が芯から蕩けるような、優しくて甘いキスだ。
「お、れも……」
「?」
「嬉しい……実紘と……」
「マジで?」
コクンと、静かに頷くと、顔をクシャリとさせて笑ってる。
「あと、名前をその教えてもらえたのがすごく」
「漢字の?」
「そう。極秘だろ? 実紘のプロフィールって」
とても綺麗な名前だ。
一般的にも「ミツナ」って同じ呼び名を使ってるけれどカタカナだったから。
「だから、その」
「……うん。極秘」
本当に誰も知らないんだ。年齢も、年下なのはなんとなくわかるんだけど誕生日も公開されていない。出身地さえ。全て徹底的に非公開になっている。
そういえば、前にマネージャーに少しだけ訊いてみたことがあったけど、その時もやんわりとはぐらかされて教えてはもらえなかった。
彼の過去は誰も知らない。
だから、どこか突然、現れたような気さえしてた。例えば映画や雑誌の中から出現したみたいに。とても綺麗だから。
「本名もぜーんぶ内緒」
小さく笑った。けれど、その笑顔はどこか儚げで。
「俺、ゴミ箱から生まれたからさ」
「……ぇ」
ふと夜中に目が覚めたんだ。
そして、今までで一番穏やかな時間だと思った。
静かに笑ったり、大きく楽しそうに笑って、俺のことを揶揄うように笑ってみたり。彼の色んな笑った顔を一人で眺めることが許される特別な時間だと思った。
あんなに激しい熱で溶けそうな時間の後だからか、静かさが際立っていた。
激しく抱いてもらった身体には熱の残りがまだ漂っていて、指先がまだ敏感なまま。
ゆったりと流れる穏やかな時間。
もう誰もが眠りについているだろう、深い深い、夜の時間にぽつりと実紘が呟いた。
「俺ね、ゴミ箱から生まれたんだ」
そして、実紘はそう言って、寂しそうに笑った。
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