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「円谷! 待って!」  追い付かれた。腕を掴まれて、引き留められる。それはそうだ。僕の足じゃ、本気を出した香椎くんには敵う訳がない。 「ごっごめんね、香椎くん……ぼ、僕のせいで、迷惑掛けて……や、やっぱり、こんな特訓、もう……」 「迷惑だなんて、思ってない!」  思いがけず、強い語調にびくりと肩が跳ねた。下方から、香椎くんの手が伸びてくる。するりと優しく僕の額に触れ、前髪を掻き分ける。――大好きな手。 「こっち、ちゃんと見て。円谷」  静かだけど有無を言わさぬ彼の声に、僕はゆっくりと目を向けた。落ち着いた茶色の瞳が、こちらを見据えていた。心の中まで見透かすような、深く澄んだ瞳。 「俺は、優しくなんかないよ」  予想外の言葉に、逸らすのも忘れて目を丸くした。 「基本的に、自分のことしか考えてない。面倒だから、周囲にはいい顔して取り繕ってるだけ。俺のこと凄いとか言いながら妬んで自分は何も努力しないような奴らのことは、内心見下してすらいる」 「か、香椎くん……?」 「円谷の為じゃない。……俺が、円谷ともっと話したかったから。特訓なんて、口実だ。正直、コミュ障なんて直らなくてもいいと思ってる。俺以外とは上手く話せないままでいい。前髪も上げなくていい。……円谷の素顔を見るのも、俺だけでいい」  真剣な香椎くんの表情と声音。嘘じゃない。伝わってくる、本気。思わず気圧されて、身動きが取れなくなった。 「俺は優しくなんかないよ、円谷。好きでもない奴の為に、自分の時間を割こうなんて思わない」  瞬間、頭が真っ白になる。香椎くんは、今何て? 「そ、それは、友達として……とか、そういう」  ようやく、声が出せた。動揺に震える小さな問いに、香椎くんは首を左右に振った。 「アイツらが言ってた方の意味」  アイツら……さっきの、クラスメイトの。それって。 「去年の球技大会」  不意に、香椎くんが話題を転換した。僕は虚を衝かれた気分で、彼の顔を見つめた。 「前の試合で無茶して足捻ったんだ。でも、皆俺に期待してるし、弱音なんて吐けないし……何より自分の見栄で、平気なフリしてさ。痛いの我慢してプレイしてたんだけど、前半戦の大事な局面でシュート外して……凄いショックでさ」  ――あ。  脳裏に再生された、去年の記憶。覚えてる。そうだ、僕も彼と同じ試合に……バスケのコートに居た。 「皆は『香椎でもシュート外すことあるんだな』とか『次は絶対入れろよ』とか『頑張れよ』って言うだけだったけど……円谷は、違ったんだ」  ――『大丈夫? 足、庇ってるよね。無理しないで』 「そう言って、俺の足にテーピング巻いてくれたよな。俺が後半戦も絶対出るって言って、聞かなかったから。それならせめて、手当させてくれって。……あの時の円谷、普段見せない頑固さで驚いたよ」 「ご、ごめん……」 「謝るなよ。俺は嬉しかったんだから」  伏せた僕の視線を追うように、香椎くんが覗き込んでくる。 「嬉しかったんだ。円谷だけが、本当の俺に気が付いてくれた。見栄っ張りな俺の仮面の下の弱い素顔――お前だけが、見抜いてくれた」  それは……前髪越しに、いつもキミのことを見ていたから。太陽みたいに眩しいキミのこと、ずっと。 「それから、円谷のことが気になって……目で追うようになってた。円谷は自分のことダメだって言うけど、そんなことはない。俺みたいな上っ面じゃなくて、本当の優しさを持ってる。気が付いたら、そんな円谷のことが好きになってた。友達としてとかじゃなくて……恋、してた」 「俺の初恋だよ」――彼は、そう言って微笑(わら)った。  喉の奥がギュッとなって、僕は何故だか泣きそうになった。 「男同士なのに、お前のことそんな風に見てたなんて……幻滅するか?」  今度は僕が首を左右に振る番だった。ぶんぶんと、思いきり。 「そんな……そんな訳ない! だって、僕……ッ」  僕だって、キミのこと……そう伝えたかったのに胸がいっぱいで、言葉に詰まった。だけど香椎くんは、にんまりといつぞやの悪戯っ子みたいな顔で笑って――。 「知ってる」 「え!?」 「ずっと見てたって、言っただろ。お前、分かりやすいから」  呆気に取られた。開いた口が塞がらない。 「そ、そんな……僕は気付かなかったのに」 「修行が足りない。もっと、俺のこと見て?」  真っ直ぐに、香椎くんが僕を見る。何処か揶揄うような瞳。そんな表情も……堪らなく好きだと思った。  僕は照れ笑いを浮かべて、頷いた。香椎くんには、敵わない。  これからは前髪の防護幕越しじゃなく、ゼロ距離で――二人、目を合わせて笑い合おう。    【了】

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