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前編

「誰か、これ、いらない?」  文化祭の後片付けをしていると、クラスの女子に話し掛けられた。  箱を覗くと、ブルーのおもちゃの指輪が仲良く並んでいた。  シルバーの土台に控えめな石がついて、キラキラ輝いている。   「女の子にはやっぱりピンクが人気で、ブルーばかり残っちゃったのよ」  へぇ、ペアリングか。  咄嗟に、幼馴染みの(そう)の笑顔が浮かんだ。 「これ、俺が二つもらってもいい?」  プラスチックの指輪を握りしめて想を探すと、すぐに校庭で見つけた。  後夜祭のキャンプファイヤーの揺れる炎を浴びた彼の横顔は、陰影があって思わず隠したくなるほど綺麗だった。想は楚々とした佇まいで、俺と同じ制服とは思えない程、白いシャツとグレーのズボンを端正に着こなしていた。  途端に胸の奥が疼いてくる。ドキドキと高鳴っていく。  もう心の中では、認めているんだ。俺はこの綺麗な幼馴染みの男に恋をしていることを。  だから想の周りに女の子が集まってくると、いらついてしまう。  なぁ……お前の横に立てるのは、俺だけにしてくれないか。 「想、これ、やるよ」 「え? 駿(しゅん)……でも、これ指輪だよ?」  やはり男に指輪なんて、変だよな。  慌てて引っ込めようとしたら手で制された。 「もらうよ! 嬉しいよ。ありがとう」 「お、おう」  辺りは暗く、キャンプファイヤーの炎のみ。    俺の顔が真っ赤になっていることは、どうか気付かないでくれよ! ****  突然手中に落とされた軽い物体の正体は、おもちゃの指輪だった。  どうして男の僕に指輪なんて?  素朴な疑問は、後夜祭の興奮に消えて行く。何より大好き幼馴染みからの温もりが、嬉しかったから。 「ありがとう」  僕が笑うと、駿も暗闇の中で輝く笑顔を放った。  僕はこの幼馴染みの人懐っこい笑顔が大好きだ。 ****  指輪を渡したからって、俺の密かな恋が想に気付かれることはなかった。  やがて季節は、秋から冬へ。 「想、今、部活、終わったのか」 「うん、駿も?」 「あぁ……」  想を意識してから、隣を上手く歩けない。久しぶりに肩を並べても、曇り空のように押し黙る帰り道。  凍てつく沈黙を破りたい。  そんな願いを後押しするように、空から粉雪が舞ってきた。 「あ、雪だね」 「だな、雪の結晶、見えるかな?」 「どうだろう?」 「見せて」 「あ……とけちゃうね」  手の平に載せれば触れてくれるのが嬉しいのに、指先の温もりで雪がとけてしまうのが寂しいなんて。  未だ掴みきれない想の心を掴みたくて、俺は繰り返し空へと手を伸ばした。  やがてバレンタイン・デーを迎えた。  今日は合唱コンクール当日だというのに、想には誰か好きな人がいるのだろうか……そればかり気になって仕方が無い。  俺さ、想がピアノを弾くから、指揮者に立候補したんだぜ。  想の相方になれると、合唱コンクールなんて面倒臭いという気持ちは、吹っ飛んだ。  青い歌詞も揃わない歌声も、想のピアノがハーモニーへと導いてくれた。  俺が指揮棒を振るたびに、想が視線を繋げてくれる。     それが嬉しくて、舞台の上には俺たちだけのメロディが広がっていくようだった。  どうしよう……俺、すごく、すごく、想が好きだ。  俺の高揚した気持ちとは裏腹に、出番の後、想は体育館の倉庫裏で膝を抱えて蹲っていた。 「どうした? 探したぞ」 「……僕のせいだ。ピアノ、上手く弾けなかった」 「馬鹿だなぁ。小さなミスだったのに」  それより緊張した薔薇色の頬と俺を見つめる視線に、舞台の上で釘付けだったとは言えなかった。 「ほら、口開けて」 「何?」  小さく開いた口に、妹が作ってくれたチョコレートを放り込んでやった。 「……甘いね」 「妹の試作品を恵んでもらったのさ」    甘い物に弱い想の頬が緩んだので、茶色の髪をクシャッと撫でてやった。 「……なぁ、今日バレンタインだって知っていた?」 「あ……コンクールに夢中で忘れていたよ。そうか……だからチョコを?」 「そ、元気だせよ」 「駿は優しいね」  その返事に、胸を撫で下ろした。  やった! 想は誰からも貰っていない!  いよいよ俺の初恋は、切羽詰まってきた。  次に想と二人きりになれたのは、春の兆しが見え始めた三月だった。  期末テストが終わり、早めの帰り道で偶然会ったので、同じ電車に乗った。  空いた電車の揺れが、心地良い。どんどん流れる景色が、心を弾ませてくれる。  先ほどまで俺の隣でニコニコと相槌を打ってくれていた想が、いつの間にか船を漕いでいた。さては昨日徹夜したんだな。  触れる……触れない。  まるでメトロノームみたいに俺の肩にあたるのは、サラサラとした栗色の髪と柔らかな頬。  参ったな、想の寝顔が可愛すぎる。  あぁ、俺の初恋はどこまで膨れ上がって、どこまで上昇するのか。  もうはち切れそうだ。  やがて、俺たちは高校三年生になっていた。  優秀な想と俺とじゃ進路が違うから、もう時間がない。だが……本気で告白して、どうなる? 想を困らせるだけじゃないか。  もう、ずっと蓋をしていた気持ちがパンクしそうだ。  今日こそ……今日こそ。  そんな意気込みで「話がある」と想を連れ出したのは、夏休みに入る直前のことだった。 「雨だ!」 「雨宿りしよう!」  突然の雨を頭から浴びた俺たちは、息を切らして海辺のトンネルに逃げ込んだ。 「大丈夫か」 「参ったな。びしょ濡れだよ」  制服の白シャツが濡れて肌に張り付いている様子に、言葉を失った。  届けたいのに届けられない幼馴染みという距離が、もどかしいよ。  雨よ、まだやむな! もう少しだけ、俺たちのBGMとして、この沈黙を支えてくれ。  ところが雨宿りの後、想との別れは突然やってきた。  親友だったのに幼馴染みだったのに、強引なやり方で全部俺が駄目にした。  逃げ惑う唇。トンネル内のざらついた壁に想の華奢な肩を押しつけて、無理矢理キスしようとしてしまったんだ。  想いが溢れて爆発した! 「駿……何故……こんなことを?」 「ずっと想が好きだった」  湧き上がる情熱は、言葉より先に行動へ繋がってしまった。  最低で最悪な俺。こんな形で告白するはずではなかったのに。  想が涙を浮かべて立ち去る際に散った言葉は…… 「駿を信じていたのに……最低だ!」  自分で引き裂いてしまった。    苦くて惨めで、でも諦めきれないのが、俺の初恋だった。 **** 「ごめん……駿。僕は……どうしたらいいのか分からなかった」  夕暮れに染まるトンネルから逃げて、潮風に濡れる目元をそっと拭った。  キスされそうになって、突き飛ばしてしまった。突然の告白に驚いたんだ。  駿……僕たち……男同士だよ?  跳ぶハードルが高すぎて、安易には頷けなかった。  許して欲しい。  僕の戸惑いは波に押され、引き上げたはずの涙が、またはらりと風に泳いだ。  その晩、僕は両親から突然の引っ越しを告げられた。  行き先は遠く、アメリカだった。  その日から夏休みに入り、駿には会っていない。  引っ越しの準備をしていたら、駿が去年の文化祭でくれたプラスチックの指輪が床に転がった。 「駿……ごめん。今の僕は……まだあの告白を受け止めきれず戸惑うばかりだよ」  でも……せめてこの指輪だけは連れて行こう!  海を越えた、その先の未来へ。  幼馴染みで親友だった駿との距離も、一気に飛び越えられたらいいのに。  きっと忘れられないのだから。 **** 「想が転校? 海外に? 今日? 母さん、それマジかよ!」  もう間に合わない!    それでも想が旅立ってしまった空を見たくて、空港へ駆けつけた。  どうして一言も告げずに行ってしまったのか。俺が追い詰めたせいか。  悔しさと後悔が滲んで、フェンスをギュッと握りしめた。  額から流れる汗が目に沁みて視界がぐらりと揺れる中、どんなに探しても青い空と白い雲しか、俺には残っていなかった。   「想……大好きだ!」  俺の思いが、想を悩ませ驚かせるだけだったなんて。あの日の告白を取り消したいよ。  もういない君を追った空港で、俺は誓った。  八歳で引っ越してきた想と出会った。  あの日から、ここまで十年だ。  俺はこの先、また想への初恋を抱いていくよ!  十年先も、まだ恋している!  いつかまた会えたら、そこからスタートしたいから。 ****  飛行機が離陸する振動に、サヨナラすら言えなかった僕の弱い心が揺さぶられた。 「駿……ごめん、本当にごめん」  あんなにいつも傍にいてくれた君から告げられた言葉が重たくて、逃げるように旅立つことを、許してくれ。  青空のように爽快な君に、空に浮かぶ白い雲のように自然と寄り添うことが出来れば、どんなに良かったか。  もう戻れない現実だけが、僕を追ってくる。 「駿……駿……」

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