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第1話 生き別れなかった兄弟

「はぁ……。ネーム、また没食らっちゃったよ……」  重い脚を引き摺り、デビューしたての漫画家・魚住(うおずみ)蒼生(あおい)は、西日の差し込む安アパートへと帰宅の途についていた。溜め息をついて、凝った首筋をほぐそうとコリコリと首を回すと、遠くから祭囃子(ばやし)が聞こえてくる。今日からこの地域の夏祭りが始まったことを、蒼生は思い出した。 「お祭りに行っちゃおうかな……。どうせネームは没だし。なんかネタを拾えるかも」  少しだけ目に力を取り戻し、足取りも心なしか軽く、蒼生はお祭りの縁日が繰り広げられる緑道へと歩みを進めた。  縁日の屋台には、色とりどりの浴衣を(まと)った子どもたちが群がり、はしゃいでいる。知らず知らずのうちに、蒼生の頬にも笑みが浮かんでいた。焼きそばやお好み焼きのソースの匂い。綿菓子の甘い香り。 「やっぱり、今年は『鬼〇の刃』のお面が人気なんだな……」  蒼生は、生ビール、ではなく、ラムネを片手にそぞろ歩きを楽しんでいる。  染めたことのない黒髪は長めで、眉が隠れるほどの前髪。瓶底としか表現しがたい分厚いレンズのド近眼用の眼鏡。決して太ってはいないが健康的で丸っこく幼い顔立ちのせいで、高校生に間違われるのだが、蒼生は、もうすぐ二十五歳になる立派な成人だ。  ……もっとも、お酒は体質的に受け付けず、殆ど飲まないため、コンビニや居酒屋で年齢確認されて困ることは殆どないのだが。 「んっ……! あの金魚は……」  のんびりした顔立ちをキリリと引き締まらせ、蒼生は、一つの金魚すくいを覗き込んだ。彼の唯一に近い趣味が、淡水魚の飼育なのだ。 「いらっしゃい、お兄さん。一回百円。どう? (すく)っていきなよ。うちのは、良い金魚ばっかりだよ」  テキヤのお兄さんに呼びこまれ、フラフラと蒼生は金魚の水槽の縁に座り込んだ。 (間違いない。この子、鉄魚(てつぎょ)だ!)  蒼生の目は、水槽に二匹だけいる、鉄魚の稚魚(ちぎょ)に釘付けになった。フナと琉金(りゅうきん)の交雑種で、大型に育つことで有名な品種だ。本来なら金魚すくいで売られるような代物では無い。 「おい、お前。何だって、金魚すくいになんか紛れ込んでるんだ? こんなとこにいちゃダメだろ?」  蒼生は鉄魚に話し掛けた。すると、水槽の奥の方から、ひと回り大きなもう一匹の鉄魚が出て来て、蒼生との間に割り込んできた。まるで、弟を守ろうとする兄のようだ。  その健気さに、余計に蒼生は惹きつけられた。他の人には、この鉄魚の価値は分からないに違いない。彼らに相応しい環境を用意できるのは、縁日で金魚なんか掬って楽しんでる(やから)の中では自分だけだ。鼻息を荒くし、何枚ものポイをダメにした結果、テキヤのお兄さんが根負けした。 「そんなにコイツらが好きなら、持って行きな」  こうして、蒼生は、鉄魚の稚魚二匹を手に入れたのである。 「良かったぁ。お前ら、きっと兄弟なんだろ? 生き別れじゃ可哀想だもんなぁ。僕が、二匹一緒に育ててやるからな? ちょうど、こないだ老衰で死んだ金魚の水槽が空いてるから、ゆったり広いお家で過ごせるぞぉ。良いだろ?」  蒼生は二匹に話し掛けた。  家に帰宅した時、消し忘れていたパソコンとモニターがこうこうと光っており、蒼生が趣味で描いていた漫画が大写しになっていた。 (どうせ稚魚のコイツらには分からないし)  そう(あなど)っていたが、実は鉄魚たちはそれなりに賢かった。 『に、人間は、こういう行為をするのか……。そして、僕らのご主人様は、そういう絵を描いて、商売か趣味にしているのか……』  鉄魚の稚魚さえドン引きさせた、蒼生の描いている漫画。それはBL(ボーイズラブ)だった。蒼生は、趣味でウェブ投稿サイトにBL漫画を投稿してきた。それが某出版社の編集部の目に留まり、先日デビューを果たした。これから、オリジナルの連載を新たに出版社のウェブで始めようとして、編集者とネームを揉んでいる最中なのだ。  蒼生がBL漫画を描いていることを知っている人は、殆どいない。親きょうだいにすら秘密にしている。編集者すら、目の前の大人しそうな蒼生がBL漫画を描いているというギャップに、初対面の時は面食らっていたほどだ。とても世間一般の人には受け入れてもらえないだろうと、もはや半ば諦めている。 「そうだな……。お前は小さい鉄魚だから、小鉄(こてつ)だ。兄ちゃんのほうは、オレンジ色が綺麗だし、鉄魚のギョと掛けて、(ぎょう)だ! (ぎょう)小鉄(こてつ)。良い名前だろ?」  二匹は首を傾げるかのような仕草だったが、すぐに自分たちの名前を覚えた。  それくらい、蒼生は、暁と小鉄を可愛がった。  まずは餌だ。肥満で寿命が短くなるのは鉄魚も一緒だから、量や栄養バランスには細心の注意を払う。おやつにもなり、栄養価も高い赤虫などの生餌は日に一度。名前を呼んで、寄って来た時にご褒美も兼ねて与える。  それから、住環境。鉄魚の健康には水質の維持が大事だ。水温は一定に保ち、水は適度なサイクルで交換する。但し一遍に全部は換えない。それと、換える前にはバケツに汲み置きをして室温に戻しつつ、水道水のカルキ抜きを行う。それなりのサイズの水槽の他に大型のバケツを置くと、蒼生の1Kのアパートは、机とベッド以外のスペースは足の踏み場もないほどだ。 『魚心あれば水心あり』  とはよく言ったもの。蒼生の愛情が伝わったのか、二匹も蒼生に懐いた。蒼生が彼らの名前を呼ぶと、かわいらしい尾鰭(おびれ)をフリフリと振って、いそいそと近寄ってくる。物言いたげに口をぱくぱくさせる様子すら、飼い主の蒼生にとっては可愛くてたまらない。それに、蒼生の見立て通り、彼らは兄弟だったようで、オス同士にもかかわらず仲睦まじく、喧嘩一つしなかった。身体の大きな暁は、蒼生の与えた生餌を小柄な小鉄に譲ることすらある。彼らの仲の良さも、蒼生を和ませてくれた。暁と小鉄は、蒼生の愛情を一身に受けて、順調に成魚へと成長していったのだった。

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