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第2話 飼い主の危機
幼い日の縁日での思い出。大人になってからの再会を機に、燃え上がった恋心。
地元の縁日で思い付いたネタでの初連載は、そこそこのヒットとなり、蒼生 は、プロ漫画家として良いスタートを切った。幾つかの読み切りも形にし、連載と短編集とで、一年で二冊の単行本が出せた。
稚魚だった暁 と小鉄 にはドン引きされたが、蒼生の作風は抒情的だ。甘酸っぱい男子高校生の初恋もの等、キュンキュンする作品を持ち味としている。しかし、その元々の作風を良しとして組んできた編集者が産休に入り、担当編集が交代したところで、蒼生はスランプに陥った。
「前の編集は女性でしたし、文学部出身でしたからねぇ。うおずみ先生にも、自分の趣味に合う作品を描いていただいたと思いますけど。やっぱり、正直もうちょっとPVも部数も欲しいんですわ、弊社としても。ぶっちゃけ、激しい絡みが欲しいですよね」
二人目の担当編集は、ガタイの良い男性で、もっと過激な作品を描くよう蒼生に求めてきた。
「はあ……激しい絡みですか……。僕は、どちらかと言うと、初恋の胸の高鳴りとか、そういうのを丁寧に描いていきたいタイプでして……」
「胸が高鳴ったら、身体の方も……で、良いじゃないですか! ワハハハッ。うおずみ先生も男だから、あるでしょ? そういうの」
バシバシと大きな手のひらで細い背中を叩かれ、困惑しながら、蒼生は編集部を後にした。
「担当が変わってから、一度もネームが通らない……。はぁ……」
元が生真面目な蒼生だ。一生懸命、担当が求める過激なベッドシーンがあるBL漫画を夜な夜な検索して研究したり、ゲイビデオを観てみたりしてみた。しかし、元々それほど好みではない煽情的な作品を渋々観続けた結果、蒼生はストレスで神経性胃炎を引き起こした。もう胃腸が食べ物を受け付けない。しかも、史上最悪の口内炎に見舞われた。痛くて口の中に食べ物を入れられない。恐る恐るスープやお粥を口にしても、すぐに腹痛を起こしてしまう。遂には夜も眠れない日々が続くことになった。
「売れてなかった頃は、お金がなくて、見切り品になった食パンとか、もやしとか竹輪ばっかり食べてたなぁ……。今は、そんなに贅沢はしなくとも、卵とか、たまには牛肉だって食べれるようになったのに……」
そんな風に呟きながら、暁と小鉄には欠かさず日に三度の餌を与える。激貧の頃は、自分の食べ物すら買うお金がなく何食か抜いても、二匹の餌をケチることはなかった。
「なあ。僕、もっと過激なえっちシーン描かないとダメなんだって。そんなこと言われたって困るよなぁ。こちとら、二十五年間、彼氏彼女ができた試しがないんだから。得意分野は片想いに決まってるじゃんか……」
既に一歳を過ぎた彼らは、十センチ近くの大きさに育っている。時には、まるで『お座り』するかのように、うまく鰭 を使ってバランスを取りながら、水槽の床に張り付いていることもある。人間のような仕草に、蒼生は力弱く微笑んだ。
「お前たちの餌代のためにも、頑張って、お金になる作品を描かなきゃな」
コツンと一つ水槽の壁を優しく叩き、立ち上がった瞬間。
蒼生の記憶は飛んだ。
「蒼生、蒼生」
床の上に大の字にのびている自分に優しく呼び掛け、手足をさすってくれる男の人がいる。
「んっ……」
夢うつつのまま、目をこすって顔を起こすと、そこには、濃いオレンジ色の髪をした美形の男性が二人いた。
「ふぇ……っ。うわっ!! ……あの、どちら様ですか?」
蒼生は、慌てて彼らから目を逸らす。なぜなら、彼らは全裸だったからだ。青年になりかかった少年の風情で、無駄のない身体つきはほっそりしているが、腹筋には縦に線が入っている。
「やだな、他人行儀だよ、蒼生。分かんないの? 俺たち、暁と小鉄だよ」
「……へっ?! ハァアアア?!」
驚きのあまり、某国民的アニメの主人公の旦那さんみたいに裏返った声をあげて、ピョンと飛び上がった蒼生であった。
「まさか、魚が人間になるなんて!」
蒼生は、自分の目と耳を疑った。しかし、確かに水槽は空で、暁と小鉄の姿はない。
「ぎょ、暁と小鉄をどこにやったんだ?!」
可愛がっている鉄魚の見慣れた姿を返してほしい。蒼生は憤然と食って掛かった。
「蒼生……。オレたちのこと、あんなに可愛がってくれてたんだから、覚えてるだろ? ほら、オレのほくろ」
「ほ、ホントだ。小鉄と同じ場所に……。って、なんで君は小鉄のことを知ってるんだ?」
なおも目の前の現実を頑なに否定する蒼生に、オレンジの髪の美形男子の小柄な方が、指先で自分の口元を指差した。そして大柄な方は、背中を向ける。たてがみのように、背中まで髪の毛と似たオレンジ色の毛が繋がって走っている。
(まさか、背鰭 か?)
「ほら、蒼生、覚えてる? 俺のお尻に白い斑点があったの」
彼の引き締まった小さなお尻には、確かに、暁と同じ白い斑点がある。
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