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もっと好きになる
バスに乗り込み、互いに躊躇した感じはあったが、二人用の座席におさまった。
こんなに近くに晃くんの存在を感じたのは初めてだった。
「流星さ」
窓の外の流れる景色を見ていた僕は、顔を晃くんに向けた。
「はい」
「卒業前に、俺と話したこと覚えてる?」
あんなに号泣したのは後にも先にもあの時だけだ。
忘れるわけないだろと突っ込みたくなるが、何を言われるのかが怖すぎて顔が強ばった。
唇を結んだまま頷くと、晃くんが茶色の透き通った目で僕を覗き込む。
「あれ、本当は俺に告白しようとしてただろ」
肌が一瞬で粟立つ。
降車ボタンを押して途中下車しようかと本気で思った。
こちらの動揺を悟った晃くんは悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「お前に遠くから見られてるって感じたことは一度や二度じゃなかったし。お前の好意は全然隠せてなかった。俺が好きだって気持ちが溢れてた」
数々の指摘に思わず両手で顔を覆う。
恥ずかしい。六年越しに面と向かってそんなことを言われても。
「──で、告白されると思ってたらされなくて、少し落ち込んだ」
「なに、それ」
「あの時告られてたら、たぶんOKしてたと思う」
がた、と立ち上がると『走行中は立ち上がらないで下さい』とマイクで注意されてしまったので仕方なく座り直して小声で文句を言う。
「そんな嘘、今更」
「いや、嘘じゃないよ。お前のこと可愛いなって思ったこと何度かあったし。告白されたら、こんな俺で良ければって言おうって本気で考えてた」
──本当に? そんな後出し、ずるい。
出ない言葉を汲み取った彼は、和やかに笑う。
「もし俺が今、お前と付き合ってもいいよって言ったらどうする?」
今よりも幼くてあどけなかったあの頃。
うまく振る舞えなくてひとりよがりで、次はちゃんと話そうって思っても出来なくて、たくさん後悔もして。
あの日僕が勇気を出していたら、今とは全く違った未来があったのだと思うと感慨深くなるが。
そんな甘い言葉を掛けられても心が全く動かされないのは、僕には今現在、大事な恋人がいるからだけではない。
冷めた目で晃くんを見つめてあげた。
「そんな適当なこと言ってると、婚約者さんに怒られるよ」
「あ、聞こえてたんだ」
「それにもう、あの頃の自分じゃないから。僕にだって大事な人ができたんだからね」
「なんだ、そっか」
見つめ合って数秒、互いに頬が緩んでしまった。
いま大事な人と付き合えているのは、晃くんが六年前に僕に言ってくれたから。
人を好きになるのに、変とかない。だからきっと、同性を好きになる自分の気持ちを偽らずにここまで来れたのだと思う。
バスがカーブをして、身体 の半分が晃くんに触れる。あの頃の僕だったら、きっとこんな些細なことで泣きそうになっていただろう。好き過ぎて、晃くんに触 れなかった。
バスから降り、駅の方へ向かう。
自分の小さな歩幅と合わせてくれている晃くんは将来、いいお父さんになりそうな予感がした。
「俺、こっち方面だから」
「じゃあここで」
「また会えるといいな」
「うん。今日、晃くんに会えて良かった。元気でね」
その背中が見えなくなるまで、僕はずっと手を振った。彼も何度か振り返り、小さく手を振ってくれた。
(あ。言えば、良かったかな)
僕が確かに君に恋をしていたこと。
世界が鮮やかに見えるくらい、一生懸命に好きだったって。楽しいだけじゃなく、胸が苦しくなるのも恋なのだと教えてくれたのは晃くんだって。
今日だったらすんなり言えただろうに。
だっていまの僕の心の全てはもう、恋人のものになっているのだから。
軽い足取りで帰宅すると、スーツのままソファーにうつ伏せで寝転がっている恋人が見えた。
躊躇なく、その身体に覆い被さる。
「うおっ! なんだいきなり! おかえり、早かったな」
「ただいま。律樹に会いたかったって、皆寂しがってたよ。いつ帰ってきたの?」
「ついさっき。楽しかった?」
「うん」
律樹は身体を反転させて、僕の体を下から柔らかく抱きしめた。どちらからともなく顔を寄せて軽いキスを交わす。両手で顔を掴まれ、唇だけじゃなくて、おでこや瞼や頬にもされた。
「晃とは、会えた?」
見上げてくる律樹の細まった目と薄い唇に色っぽさを感じてしまう。
「少しだけ話した」
「おぉ。なんて」
「あの時の、話」
「んん、流星の顔が赤くなっているのは気のせいでしょうか」
なんだかムスッとしながら唇を尖らせる恋人に変な誤解をされぬよう、包み隠さず話した。それに顔を赤くしているのは、晃くんのことを思い出した訳ではなく、律樹の笑みを含んだ心地よい低音と眼差しに改めて惚れ惚れとしたからだ。
「で、晃にそう言われて、流星は心変わりしたってことか」
「話聞いてた? 晃くん、今度結婚するんだよ?」
「でもお前、あいつのこと大好きだったじゃん」
やっぱりブーブーと文句を言われて笑ってしまう。
『晃がどう成長してるか気になるだろ』と仕事で欠席する律樹本人が、同窓会に参加するように勧めてきたのに。
高校生の頃、僕が晃くんに恋していたように、律樹も僕に恋をしていた。
だが早い段階で自分に脈ナシだと気付いた律樹は、僕の恋路を応援することに決めたのだそうだ。
結局、僕の恋はなんとなしに終焉 を迎えたわけで。
律樹の恋心を知ったのは二十歳のとき。
酔った勢いで告白をされた。
もちろん僕にとっては青天の霹靂だったが、なんとなしで付き合い始めた訳じゃない。ちゃんと悩んで考えて、この人と一緒になろうと決断した。
「確かに、晃くんは初恋だったな」
「ほらやっぱり……!」
「でも、今は律樹が大好きだから」
むぐ、と律樹の唇を無理やり奪う。
どうしてあまり話したことのなかった晃くんが泣くほど好きで、常に自分を見守っててくれていた律樹を好きになれなかったのかが今となっては不思議だが、これだけは言える。
初恋が実らなくて良かった。
お陰で、僕はこんなにもこの人を好きになれている。
胸が締め付けられるほどに愛 しく感じている相手は、紛れもないこの人。
僕の恋人が律樹だと知った時、初恋相手は笑って喜んでくれるだろうか。
「なんか流星、積極的。他にもなにかあっただろ」
「なにもないってば」
拗ねている恋人を今日はとことん甘やかしてあげることに決めた僕は、もう一度その頬に柔らかくキスを落とした。
END*
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