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天使の庇護〜駄犬の躾
僕の大切な可愛い理央が、九条流星とかいう見た目ばっかり立派な、ヘタレでポンコツでおまけに泣き虫なダメアルファなんかに、淡い恋心を抱いていると知ったのは、九条家に頼んで流星と会わせた最初のパーティの時だ。
九条家の三男、流星の事をもっときちんと把握していたら、決して理央を会わせたりしなかった。まさかあんなにへなちょこだとは思わなかった。だって九条家だよ?サラブレッドだぞ?それに、僕の番、愛する昴さんの弟だ。そりゃもう期待するじゃない。きっと真面目で将来有望な出来るアルファなんだ…ってさ。
ところが…、だ。あの流星ときたら、仮にも上位種のアルファであるにもかかわらず、僕と理央を間違えた。
僕は訳あってアルファである事を隠しているけど、それでも…だ。上位種ならば普通分かるだろう。僕がアルファであることも、理央がオメガだということも。
流星に初めて会わせたあの日、理央は流星に一目惚れ…、いや、一嗅ぎ惚れしたんだ。
『ねぇ七央。何かいい匂いがしない?』
パーティ会場に入って早々に、理央はそう言って小さくて可愛い鼻をヒクヒクさせた。
ラベンダーみたい。理央がそう言うのを聞いた時、間違いなくそれは流星のフェロモンだと分かった。事前に昴さんから聞いていたし、万が一他のアルファのフェロモンに充てられないようにと、常に気を配っていたから。
『オレ、この匂い好きだなぁ』
ちょっと寂しく感じたけど、理央の幸せを願う僕としては渡りに舟だった。
広い会場の中を理央の背中に引っ付いて、僕は必死に理央を守った。他のアルファに感知されないようにするのはひと苦労だ。何しろ理央は、本人の自覚がないだけで本当は物凄く可愛いのだから。
大きな黒縁の野暮ったい眼鏡の奥に隠された、黒曜石みたいな黒い瞳。まるで神秘の沼底を覗き込むような、不思議な誘引力のあるその瞳を、一目見たらどんなアルファだって理央に墜ちる。僕は8歳であの沼に堕ちたひとりだ。
まだ理央のバースが(仮)のベータだった時から、僕には分かっていた。この子はオメガだ…と。
12歳でのバース診断でそれがはっきりと確立した時は、あの小さな身体をぎゅっと抱きしめて『絶対に僕のものにする』と決めた。
両親に頼み込んで理央の家族を説得し、仮の婚約も約束してもらった。但し、成長した理央の気持ちが追い付いたら…、と条件が付いたけど。でも大丈夫だと思ってた。理央はずっと僕にべったりだったし、僕も片時も理央を側から離さなかった。あの眼鏡を掛けさせたのも僕だ。元々、そばかすがコンプレックスだった理央は、それが少しでも隠せるならと、あの野暮ったい眼鏡を好んで掛けた。お陰であの魅惑の瞳を他者からも守ってくれたんだ。
純粋で穢れのない、生まれたての赤ん坊のような子に育てよう…。そしてオメガとして花開く時がきたら、無垢なままその項に一生消えない僕の印を残すんだ。
そうして理央の『番育成』は順調に進んでいった。
ーーーー昴さんに出会うまでは…。
ごめんね、理央。
僕は運命に出会って気付いちゃったの。
ずっと理央を可愛い可愛いって思ってたその感情が、恋じゃないってことに。
あの瞳に魅入られたのは確かだけど、それは例えるなら“雨の中で捨てられた仔猫”を見つけた時のような庇護欲だった。
一生懸命僕に懐いてくる君が、可愛くて守ってあげたくて、だから勘違いしちゃったんだ。
僕も子供だったからね。親愛と恋愛を取り違えてしまってたんだ。
だからといって、それは愛情に何ら変わりがない。理央に対して愛がなくなるなんてはずもなく、僕にとって理央が大切な可愛い子なのは今でも同じ。だから理央を番には出来ないけど、その代わり責任を持って幸せにしてあげよう。そう、心に誓った。
理央が心から愛する人に出会えるように、幾らでも手を貸すよ。
大丈夫…。だって理央は、この世で一番可愛くて、一番綺麗で、一番純粋な、僕の大切な“弟”だもの。
『私の弟はどうだろう…。手先が器用で優しい子なんだ。奥手で初心な子で、今まで恋人と呼べるような人もいなかったはずだ。兄の贔屓目を抜きにしても、とても誠実で正直者の気のいい子だよ』
そう昴さんが褒めるから、それなら一度会わせてみるのもいいか…と、あのパーティに理央を半ば強引に連れ出した。
だけど……。
『おーい、そこの眼鏡のおチビ達』
ーーー 何だ、その口の聞き方はっ!
もう、第一印象からしてバカ丸出しで最悪だった。
更には……
『あははっ、何だよお前、鶏か? 面白いヤツだなぁ』
ーーー お前こそ失礼なヤツだっ!!
理央の吃音を笑い飛ばして誂う姿に殺意が芽生えた。
挙句の果てには……
『わ…、私の番になってくださいっ!』
ーーー 地獄へ堕ちろっ!!!
アルファの僕に向かって番の申し込みをする始末…。
こんな侮辱ってある!?
信じられないくらいのポンコツだっ!
昴さんの弟じゃなかったら、縄で絞め上げて富士の樹海に放り込んでやったのにっ!
だけど僕は気付いてしまった。
理央からオメガのフェロモンが発ち上り、一生懸命アルファを誘ってその香りを振り撒いていた。
僕以外の前で、理央のフェロモンがあんなに濃く香ったのは初めてだった。
ーーー 理央…。お前はこんなポンコツがいいの?そんな悲しげな顔で物欲しげに眺めてしまう程…。
僕に向かって差し出した流星の手を、羨ましそうに、それでいて諦めたように見つめる理央は、間違いなくこの時初めて、オメガとしてアルファに恋をしたんだ。
そしてあのポンコツ流星も、理央のフェロモンに何かを感じ取ったんだろう。
ーーーーだけど……
『ベータのお前に分かるわけないだろ』
実家の隣に併設される、カフェの為の研修に参加していた僕に付き添い、その喫茶店まで着いてきてくれた理央。離れた席に着いていた理央の隣で、いつの間にか居座った流星が口にしたあの言葉。
その時、理央がどんな顔をしていたか、きっとあのボンクラ流星は知らないんだ。
ーーー あの野郎…。
間抜け面した無神経アルファの横で、その横顔をぼんやりと悲しげに見つめるオメガ。
お前以外の周りの連中でさえ、みんな気付いていたぞ。
理央の小さな肩が一層小さく落ち込んでいるのを、どうして肝心の流星にはわからないんだよっ!
ーーー 僕の理央を傷付けたな。
排除するには充分過ぎる理由だ。問題は理央の気持ちだ。こればっかりは、僕がどうこう出来るものではない。幸い理央はまだ自分の気持ちに無自覚だ。今の内に少しづつ遠ざけて、理央の中から流星を消してやろう。
恋だと気付く前に…。傷が浅い内に…。
そんな僕の思いとは裏腹に、あの無神経なポンコツは懲りずに何度も現れた。その度に理央はどんどんオメガとして開花していく。まだ硬い芽だったはずなのに、気付けば綻ぶ寸前の蕾へと変化していた。
いよいよ花開くその前にと、直接『理央に近付くな』と告げた僕に対し『断る』と言い放った流星を見て、理央の前では決して出さずにいた僕の中のアルファが顔を出した。
ずっと、理央を怖がらせないように隠してきたのに、どうしても我慢が出来なかった。
そうやって無自覚に、理央の気持ちを搔き乱すのをやめろっ!
言い争う僕等を止めに入った理央が、何をどう勘違いしたのか『凄くお似合いだと思うよ』なんて…。悲しい事を言って、逃げるように走り去ってしまった。
それを追い掛けようとする流星を引き留めたのは、あれ以上理央を傷付けたくなかったからだ。
だけど、結果としてはあれでよかった。
なんて事はない。外見ばかり立派なアルファの男、九条流星は、中身小学生のお子様だった。
理央のフェロモンに惹かれ、無自覚に恋をし、それと気付かず無神経に傷付けた。
あんなに何度も理央を傷付けておいて、今更なぁにがっ『理央が好き』だっ!
地の底深くまで落ち込んで反省しろ!
覚えとけ…このポンコツダメダメお子様アルファっ。この僕がそう簡単にお前を許すと思うなよ。
そうだな…。
先ずは当分、理央には接触させずにおこう。最初の躾は『待て』と『お手』だ。
そうだ。せっかくだから、昴さんにも手伝って貰おう。それと恒星さんやご両親にも。
パピーワーカーは九條家の皆さんなんだから、責任持ってあの駄犬の躾にご協力してもらわなくっちゃね。
僕はあくまでトレーナーだ。
飼い主はもちろん理央だよ。
待っててね、理央。
あんなポンコツでも、理央がどうしてもアレがいいって言うのなら、僕がちゃーんと躾けるからね。
◇ ◆ ◇
「なぁ…七央。 その……、理央はさぁ、発情期のこと、ちゃんと分かってんのかな?」
「はぁ? 何…お前。もう理央に手を出す気でいるわけ?」
冗談じゃないぞ。当分、理央には指一本触れさせないからなっ!
「えっ!? い…いやっ、手を出す…って言うか…、は、発情期ってさ、理央の認識はどの程度……なのかなぁ…、って思っただけで…。そっ、そんなっ、エ…エロい事、しようとかじゃ…」
「あ…っそ。ならよかったぁ」
「ーーーん…、え?」
「だって。 理央は発育不全でさ、まだ精通もないんだよ。ほ~んと、可愛いよねぇ。まるで天使みたいじゃない?」
「へ…? あ、うん…。ん?……えぇ」
「そんな未成熟な理央に、まさか無体なことしようなんて…、出来るわけないよね?」
「は…? ははは…、と…当然だろっ! そんなこと、するわけ、ないよっ!」
「だよねぇ~。 だって…、泣くほど好きなんだもんねぇ? 待てないとか、言うわけないよね」
嘘…ではない。
理央は本当に、まだ子供の身体なのだ。超未熟児で生まれた理央は、生まれて間もない頃、半年も生死の境を彷徨ったと聞いている。お陰であの通り、もうすぐ二十歳になるというのに、身長も体重もまるで小学生の体型だ。
きっと初めての発情期も、心の苦しみは味わってしまっただろうが、身体の方は相変わらず無垢なまま。 ……な、はず。
まぁ、これは僕の希望的観点でもあるんだけどね。
でもポンコツの流星には、これくらい言っておいて丁度いい。思う存分、理央を神聖視すればいいんだ。
「だから言っただろ。 理央はこの世で一番可愛くて、一番綺麗で、一番純粋なんだ…って」
おい、流星。
僕はまだ、お前を許したわけじゃないんだぞ。
お前の躾は始まったばかりだ。これからが本番なんだからな。
覚悟しろよ。泣いても手加減なんかしてやんないからなっ!
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