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第1話

「…、」 「な、なに」 「べっっつにぃー」 大林とたまたま休憩室で一緒になった旭は、昨日の返事が出来なかったことを侘びた。ばたばたしていて、と誤魔化しはしたが、本当は柴崎がちょっかいをかけてきた為に返信を断念した、というのが正しい。 「旭さ、今週いつヒマ?俺とデートしない?」 「デートって、普通に買い物だろ?11日なら空いてる。」 「んーいいね、俺も休みだからそこ予約しとく。」 「ん、メモった。おけまるですわ。」 「あざまるですわ」 ふはは、と最近二人の間でブームになりつつある謎言語でやりとりをする。はじめたのは大林だが、知り合いがふざけて使っていたのを面白がって旭に伝えたところ、そこに便乗した形である。 気の抜けた返事が面白く、お互いに言う前にはスンッと真顔になるので、そこが更に笑いを誘うのだ。 「っ、とまた連絡するわ!店から電話。」 「顧客?」 「そー、お疲れ様です、あい、今戻りまーす。」 「おっつ」 ひらり、と電話をしつつも立ち上がり手を振る大林に律儀だなと思う。 なんだか最近大林一人が忙しそうな様子だ。 この間もふらりと来た上下スウェットのお客様にスーツを短時間で決めるなど、あれはラッキーパンチだったと語っていたが、旭からしてみれば見た目に囚われず接客をしたからこその成果だとも思っている。 大林の良いところは物怖じしないという部分だ。 見た目が明らかなヤのつく職業の人でも、怖気づかずに積極的に声をかける。 そういえば柴崎もクレーム対応でやたらと声を張り上げ威圧感を出す中年を相手にしていたが、最終的に仲良くなっていた気がする。 たしかその人からバカラをもらったとか言っていたか。 外商付きの顧客はお金を持っている人が多い分、プライドが高い人が多く、手間を書けずにスムーズに物事を進めないと後のクレームに繋がりやすい。 仲良くなってしまえばかわいがってもらえるのだが、まずその高いハードルをクリアするための信頼関係を築き上げるには、相当な時間を要する。 顧客作りに垣根はないが、正解もないのだ。 とにかくコミュニケーションが物を言う職業だ。旭も人見知りをしない分そういった方面に関しては自信があるが、まだまだ接客が硬いことを自覚している。 とりあえず、今週は予定が決まった。いらないだろうとは思ったが、柴崎に連絡だけ入れておく。 “浮気か許さん”と即座に返信がきたが、とりあえずスルーした。 アホな返信は返さないに限る。柴崎からはたまにドライだよな、と言われるが。 ちゅう、と音を立て紙パックのコーヒーを飲み終えれば、いい時間だ。 休憩を少し早めに切り上げ、旭も店に戻るべく席を立った。 今日の予算は取れそうにないくらい暇なので。もしかしたら早く上がれるかもしれない。 そうしたら帰りに服でも見に行くか。 そんなことを思いながら、何気に大林との約束を楽しみにしている自分がいる。なにせ久しぶりに友人と遊ぶのだ。普段職場で会っている分逆に新鮮である。 旭はスマホのスケジュール機能に予定入力をすると、満足そうにひとつ頷いた。 大林は、店からのコールが常連になった男からの呼び出しだということに気づくと、途端に顔を顰めた。 「榊原さん!」 「ふふ、今日は取り寄せのものが合ってね。」 ピシッとノリの効いたシャツにグレーのウィンドペンチェックのスーツを纏い、ネクタイは先日大林が見立てたボルドーのものだ。 大林はこの男に対し、並々ならぬ警戒心を寄せていた。先々週にスーツを大口購入し、その後ひょんな事からプライベートの秘密を暴かれ弱みを握られた為である。 大林も迂闊だったが、なにがそこまで気に入られたのかがわからない。 「ああ、ブリーフケースでしたよね?入荷してます、お待ちください。」 「あくまで今は販売員かな?プライベートな君が見られないのは残念だな」 「…ここではなしにしてください。」 「ふふ、今夜はひま?」 「あいにく埋まってまして。」 ニコリ。ズケズケと土足で大林の中に侵入しようとしてくる危ない大人に何を見せろというのか。大林はそんな思いが伝わるように、満面の笑みで断る。所謂営業スマイルだ。 榊原自身は、連れない態度を見せられようとも全く痛くも痒くもなく、正直こういったやり取りが新鮮でなかなかに刺激的だと感じている。 そんな掴みどころのない笑顔で「残念。」と肩を竦めるものだから、大林のストレスはどんどん積もっていく。 「こちらです、中は改めますか?」 「いや、大丈夫だろう。このまま包んでくれて構わないよ。」 8万ものブリーフケースを、確認不要と押しのける男気と言うにはあまりにも雑な性格に、思わず閉口する。 信頼してくれているのならそれでいいが、後から不具合が見つかったらどうするのかと思ってしまう。 榊原はそんな大林の様子を知ってか知らずか、悠々とブランド品の財布からカードを取り出す。その左手の薬指に淡く光るリングに、大林は目を細めた。 目の前の上等な男に配偶者がいないことがおかしいのだ。弱みを握られたとはいえ、まるでこちらに好意があるような言動が好きになれない。 大林は自分が振り回すのは構わないのだが、振り回されることはとにかく嫌う。 黒く光るクレジットカードを返却する際、受け取りざまに触れ合った指をさり気なく撫でられた。 「また来るよ。」 「あ、はい」 手練である。エロオヤジと罵ってやりたいが、オヤジ扱いにしてはあまりにも見た目が爽やかである。 からかわれているのであろう、そんなメロドラマのようなモーションに誰が引っかかるものか。 フン。と鼻で笑ってやったつもりだが、撫でられた指先の熱は、しばらくひかなかった。

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