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口惜しゅうござりまする

拳で床を叩く音が、乾いた部屋に響く。その拳の持ち主が戦慄いているのを、樋后宗明は遠い景色のような面持ちで眺めていた。 「このようなことが、赦されて良いものか」 呻くように一人ごちる相手に、宗明は細い息を吐き出した。 「赦されるも何も、そうなってしまったからには、致し方あるまい」 「ですがッ! 口惜しゅうござりまする」 歯が折れてしまいそうなほど食いしばっている相手に、苦い顔を向ける。神坂領主となって在位二年目を迎えようとしていた折、現領主の性癖は荒廃しておる故、弟である成明を領主とせよ、と国主、味多義明よりの通達が届いたのだ。 「ここで拒めば、兄弟の要らざる争いを行わねばならん。領主の地位など、私は惜しくはない。それよりも、醜いお家騒動が起こることのほうが、好まぬ」 「――宗明様」 通達の後、ほとんどの者が弟の成明に鞍替えをした。当人ではなく、家に仕えている者たちであればそれも当然であり、致し方のないことだと認識している宗明と違い、目の前に居る男――羽方隆敏はそれを赦せぬらしい。急な通達と、他の者たちの所業。それに対する憤りをぶつける場所がなく、隆敏は床に拳を打ちつけ、歯を食いしばっている。 「それに、私は隆敏がそうやってくれているだけで、十分だ」 心底、そう思っていた。 「宗明様」 頷いて見せ、朗らかに頬を上げる。 「通達には、この俺が酒色におぼれ、女色に浸っているとある。成明は豪奢な隠居屋敷を用意すると申しておるし、お主と二人で、その通りに動くのも悪くはあるまい」

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