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第1話 サッカーボール
ワーカホリックすぎる。
という理由で編集長からしばらくテレワーク中心でいいと言われた。心外だったが、頭の中から数々の絵画を追い出すにはちょうどいい。中央通りから一本入った場所に、ギャラリーブランというニューカマーを中心に扱う画廊がある。たまには玉石混交なものを見て感性をリセットしないと、窒息しそうだと思っていた矢先のことだった。
画廊というのはわりと排他的なつくりのところが多いが、ギャラリーブランは飾り窓に画家のプロフィールを、多くはその画家の顔写真と並べて展示することが多かった。
だからその日、その飾り窓に一枚の油彩画が飾られていたのを見た僕は、驚いた。
F6のキャンバスに描かれた使い古されたサッカーボールの絵。見入っていると、心臓が鋼の如く打ちはじめ、僕はとっさにギャラリーの扉を潜り、顔見知りのキュレーターに尋ねた。
「あの飾り窓の作家と連絡を取れますか?」
向こうも驚いたと思う。が、慣れたもので、「ええ、はい。宮端さん」とギャラリーの奥に向かって呼びかけた。
そこにいたのは、しかし予期していたあの面影ではなかった。
「宮端夕(みやはしゆう)の代理人の宮端傑(みやはしすぐる)です。弟は人見知りするので、私が窓口になっています」
三十代前半ぐらいの、姿勢のいい、オーソドックスな顔の青年が言った。
「あの絵を飾り窓に置かれた理由は?」
傑氏は、一瞬、僕の詰問口調に不快な表情を浮かべたが、すぐに柔らかなポーカーフェイスに戻った。
「夕の意志です。あの絵は、絵の具がまだ乾ききっておりません。非売品ですので、展示期間が終わったら、さらに加筆すると申しておりました」
「そうですか……」
相槌を打ちながら、僕は一筋の光を見た気がしていた。なぜなら画廊に飾られていたのは、あの頃の彼が描いた自画像ばかりだったからだ。
「夕さんの作品を展示する時の、目印みたいなものですね。いつからでしたっけ?」
ギャラリーブランのキュレーターが気を利かせて話を振ってくれたが、僕にはそれに応ずるだけの余裕がなかった。
「世に出すと決めてからですから、四年前ですね。二十四歳の頃です」
「あの。宮端さん……夕さんは、これぐらいの、クリスタルのことを何か言っていませんでしたか?」
「ええ、はい。もしかして、現物をお持ちですか?」
「これです」
細かな傷のある、謎のガラス玉。
これをもらった日のことを、鮮明に覚えている。
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