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第9話 一緒に暮らそう

 *  受験生の夏休みは忙しい。  予備校の夏期講習に通い始めた俺たちは、千歳の家で一緒に勉強をすることも多くなった。  休憩時間。  食卓に座った俺に突然、千歳母から思いもよらぬ提案がくる。 「創くん。合格したら千歳と一緒に住んであげてよ」 「え……?」 「創くんがうちのバカ息子を近くで監視しててもらえたら、私も安心なんだけど!」 「は、はぁ……」  助けを求めようと、隣に座る千歳をちらりと見る。  千歳も困惑しているかと思いきや。 「同居かー。それいいな! 楽しそうだし!」 「あんた一人だと信用ならないのよ。知ってる創くん? この人、未だに最低三回は起こさないと全然起きてこないんだから。単位落として留年だなんて私は嫌だからね。創くんだったら千歳をしっかり管理してくれそうだし!」 「おぉ、確かに!」  紺野親子はきゃっきゃと盛り上がっている。  一緒に住むって……  ──冗談、だよね?  例えば子供が、将来の夢は特撮ヒーローだとでも言うように。  確かに千歳と一緒に暮らせたら楽しそうだ。  けれどそれ以上に色んな問題もてんこ盛り。  俺は千歳が好きなのだ。 「どう……? やっぱりこんな人と一緒じゃ嫌かな?」  急にへりくだった声を出されて、慌てて否定した。 「そういう訳じゃないです! けど、俺、二人暮らしなんてしたことないから、迷惑掛けちゃうかもしれないし」  千歳母の代わりに千歳が返事をする。 「そんなの、俺だって一緒だよ」 「えっと……例えば、一人でのんびりしたいなと思ったりしても常に俺が部屋にいるんだよ? 落ち着けなくない?」 「んー、もし一人でいたいと思った時は外行くし、お前が常にいて落ち着けないとか、そういうのはないと思うけど」  ちゃんと考えてからそう言われて嬉しくなるけど。  何をどう言っても、親子二人は「大丈夫!」の一点張り。仕方なく首を縦に振ると、盛大に喜ばれた。 「じゃあ、改めて二人共、勉強頑張んなさいね! 目指せ一発合格!」    グッとガッツポーズをする千歳母に、苦笑するしかなかった。  この時は本当に、冗談だと思っていた。  だがめでたく二人に合格の知らせが届いた時から、話はどんどん本格的に進んでいった。  ──早速、お部屋探しよ!  テレビCMでたくさん流れている不動産屋のテーマソングを歌いながらパソコンを立ちあげる千歳母を見て、膝から崩れ落ちそうになる。  (え、本当に? 本当に俺、千歳と一緒に住むの?)  紺野親子があーだこーだ言いながら物件探しをしているのを目の当たりにしても、まだどこか他人事のようだった。  三人で東京に行き、直接不動産屋に出向いて内見をしている時に、ようやくこれは現実なのだと実感し、気持ちがざわざわとし始めた。  (本当に住むんだ……どうしよう、まだ千歳への想いを昇華できてないのに)  単なる友達同士、だったら何の問題もない。  千歳はそうでも自分は違う。キスをしたり、それ以上のことも千歳としたいと思っているのだ。    そんな相手と、毎日冷静に暮らせる自信がない。    (一年くらいしたら、適当に理由を付けて家を出させてもらおう。それまでは耐えればいい)  今更、やめたいですとはとても言えなかった。  ならせめて、住んで一年くらいは気持ちを押し留めておけるだろう。  だが後日、千歳と二人だけで不動産屋に出向いた後の帰り道、そんな浅はかな決意はガラッと崩れてしまった。 「創に毎朝起こされるのを想像すると、なんか嬉しいな」  電車の中で、千歳は頬を緩ませながら呟いた。 「休みの日は一緒にメシでも作る? 創、料理得意そうだよな。あ、もし彼女ができても、こっそり連れ込むのは禁止ね。前もって互いに許可取ろうぜ」  ──あぁ、そうだ。  この人にはきっと、彼女ができる。  大学へ行けば、高校の何倍も人と接する機会が増えるのだ。こんなに格好良ければ、好かれないはずがない。  そうなったらきっと、醜い嫉妬心が生まれる。  あの時のように、千歳にバカと言ってしまう。  もう嫌われたのだと悟ったあの時の気持ちは辛くて、もう味わいたくない。  (……告白)  無邪気に笑う千歳を見て、そんな言葉が脳裏に浮かぶ。  告白して、もしも大丈夫だったら。  0.1パーセントくらいの望みもあった。  恋人同士になれたらいい。  それに、本当の気持ちを隠したままでいるのは相手を傷付けると、佐久間さんの時に学んだ。  次の日から、告白できるチャンスはないかと様子を(うかが)った。二人きりになるのはいくらでもあったけれど、結局は勇気が出ない。  千歳の住む町の役所へ転出届を出すのに付き合った帰り道、透き通るような青い空を見上げて、ようやく自分を奮い立たせた。  中学のころ、ため息を吐いて眺めていた広い空。  千歳がいてくれたおかげで、毎日が充実していて、時間があっという間に過ぎていった。  今はもう、ため息を吐いて空を見ることなんてない。  言おう。  一縷(いちる)の望みを掛けてみることにした。

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