166 / 203

バイプレイヤーズロマンス【中編】6

『………久しぶりだなぁ清水…、相変わらずズルズル髪伸ばしてんのかよ……この…』 『ド淫乱』 「………は?……なに、言ってるんですか…?」 目の前に立つ男のセリフが全く理解できない。 この人今………"淫乱"って……言った? つい数秒前まで、大好きな人と最高の時間を過ごしていたのに…青天の霹靂とはまさにこのことだ。 男から視線を外し改めて楓さんを見ると、いまだかつて見たこともないような顔をしていた。 絶望と、恐怖。 「へぇ……なんだ、アンタなんも知らねーんだ…おもしろっ…!」 「え…?」 「おい清水…、お前今度はこんな若い男と寝てんのかよ?相変わらずケツの穴ゆるっゆるだな?」 「…やめ…てっ…」 「あ?なんだって?聞こえねーな」 「……っ」 「フッ…それにしても久しぶりだな……お前が逃げてからこっちは大変だったんだぞ…ほんとに無責任な奴だな」 「………あ、……っご……ごめ、なさっ…」 「…チッ……、アンタもこいつには気をつけた方がいいよ?誰とでも寝るクソビッチだか…」 バンッ!!!!! 気が付いたら、右の拳をテーブルに叩きつけていた。ジーンと、骨にまで振動が響く。カッと身体が熱くなって、目の前が真っ赤に染まる感覚。 おそらく人生で初めて、僕は…怒りで我を忘れかけた。危なかった。もう少しでテーブルじゃないものを……この人を、殴っていたかもしれない。 周りのお客さんや、お店の人が一斉に僕たちを見つめる。こんな騒ぎ、普段なら絶対起こしたりしない。 だけど、 どうしても我慢できなかった。 だって、楓さんの目に涙が滲んでるのが見えてしまったから。 こんなの……耐えられない。 「……楓さん、出ましょう」 「…っ、あさ、…」 「大丈夫です…ほら、立てますか?」 「で、でもっ…!」 「楓さん……こっち見てください」 「えっ…」 「大丈夫です」 「…っ」 「ね?」 僕は素早く自分と楓さんの荷物を掴み取り、コートを羽織り出口へ向かう。楓さんの身体を支えながら歩き出す…… …が、男がニヤけた顔で俺たちの前に立ち塞がった。 「あれー?帰るんだ?」 「……退いてください」 「チッ…」 「………」 「…あ!もしかして、君…こいつに本気なの?」 「……だったら、なんなんですか?」 「うっわマジ?やめといた方がいいよ?だって清水って…」 「…いい加減黙ってもらえませんか」 語気を強めた僕に、男はニヤけたまま目を細める。 こいつ……面白がってる。 「あなたがどこの誰なのか僕は知りませんけど……楓さんは、僕の大切な人です」 「……へぇ……でもこいつ、マジでビッチだよ?大切にする価値なんてないと思うけどなー?コイツの過去…相当えげつないよぉ?」 「……………だからなんなんですか?」 「………え」 「それ……関係ありますか?」 「…は?だからこいつは…!」 「僕が楓さんを大切にすることと、過去は関係ありません」 「……っ」 「…いいから…そこ退け、この……クソ外道」 吐き捨てるようにそう呟いて、男を睨む。 こんな汚い言葉が自分の口から出るなんて……我ながら驚きだ。隣を見たら、楓さんは僕よりもっと驚いた顔をしていた。…当然だ。楓さんの前では…いつも以上に猫被ってたもんな…僕。 1秒でも早くこいつの前から消えたい。これ以上こんな最低な人間と同じ空気を吸っていたくなくて、楓さんの手を握ってすぐにレジに向かった。レジに多めにお金を置いて、お釣りはいらない旨を伝えて店から出た。 正直、そこから数分間…どうやって道を歩いていたかあまり記憶がない。 覚えているのは、後ろで啜り泣く楓さんと…怒りでブルブル震える自分の左手だけ。右手は楓さんと繋がれたままになっていたけれど…冷え切った指先がその時の楓さんの心そのもののようで…とても放してあげられそうになかった。 「……っ、ぐすっ……ッ…あ、さひくっ…!」 「……!はいっ…!」 「と、……止まってっ…!俺っ……話……したいっ…」 「わかりました…!じゃあどこかお店に…!」 「ダメっ……ッ…こんな顔じゃ…どこも、入れないからっ……ぐすっ…そこの、公園に…」 ボタボタと涙を流しながら指を差す楓さんの姿に、胸がぎゅっと苦しくなる。 なんで………? なんであんな最低な男のせいで楓さんが泣かなきゃいけないんだ…… 公園の中にある木のベンチに楓さんを座らせ、僕は隣にある自販機であったかい缶コーヒーを2つ買う。この寒空の下でこのまま話すとなると、楓さんの体温が心配だ。さっきまで繋いでいた手も相当冷たかったし。気休めかもしれないけど、無いよりはマシだろう。 「……楓さん、これ」 「…っ……、あり……がと…」 「…いえ」 楓さんの隣に腰掛け彼が話し始めるまで僕も黙る。 だが、数分しても楓さんは俯いたまま1ミリも動かない。その姿があまりに可哀想で……結局僕の方から切り出すことにした。 「………楓さん……あの、」 「………」 「もし言いたくないなら…さっきのことは聞かなかったことにするので…」 「……ううんっ……、話すから……っ……聞いて」 「……えっと……わかりました…」 缶コーヒーを握りしめたまま小さくなっている想い人に、僕はただただ自分の無力さを痛感する。 さっきの会話から察するに、これから彼が話そうとしていることは……きっと、相当キツイ話だ。あの怯え方……尋常じゃなかった。 この人は…過去にどれだけ辛い思いをしてきたんだろう。 なぜ僕はその時……そばに居られなかったんだろう。 年齢のことなんて、僕にとって本当にどうでもいいことだった。僕がまだ未成年なことも、楓さんとの年の差も、自分の気持ちさえあれば関係ないだろって……。 でも、今初めてその意味を痛感した。僕は…この人が背負ってきたものを何も知らない。何も出来ない。 だって、どう足掻いたって過去には絶対に戻れないから。 例え戻れたとしても、どうせ無力だ。彼が本当に辛かった時……僕はきっとまだ、子供だったのだから。 「………さっき、バスの中で……大学の時の話…したでしょ?」 「…はい」 「俺が大学時代……死にたいって思った理由……アイツなの……」 俯いているせいで長い髪が前に垂れて、楓さんの表情はよく見えない。だけど、言葉の端々から震えが伝わってきて…この話をすること自体楓さんにとって昔の傷を抉られるような思いなんだと理解できた。 それでもこの人は……僕に過去の話をしようとしてくれている。 それが……切ないのに、こんなに嬉しい。 「……なにが、あったんですか……?」 「………うん……、実は…ね……」

ともだちにシェアしよう!