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バイプレイヤーズロマンス【後編】11
「………なんで……?」
「…?」
「なんでっ……旭くんは……」
俺はポロポロと流れ落ちて来た涙を拭いもせず、折れてしまった旭くんの右手に自分の手を添える。
「……っ、ピアノっ…」
「……え?」
「ピアノっ……、弾けなくなったらどうするの…?…っ、ばかっ…」
「……大丈夫、ちゃんと治りますよ」
「そんなのっ…わかんないよ…!前みたいには弾けなくなるかもしれないよ…?なんでこんな無茶なこと…!」
「それでも……良かったんです」
「……良い訳ないっ!!」
「僕はそれでも良かった……」
旭くんは左手でそっと俺の涙を拭うと、そのまま俺の頬に手を当てて目を細めた。
その瞬間…
ドクッと、漫画みたいな音が胸から鳴る。
「楓さんのためなら、一生ピアノが弾けなくなっても良いと思えたから」
サァッ…と心地よい空気が玄関から抜けて俺たちを包み込む。春を予感させる、柔らかな風だ。
旭くんの声が、言葉が、想いが、俺の耳から全身にゆっくり伝わっていく。込み上げる想いに、一体なんて名前をつけたらいいのか到底見当もつかない。"好き"なんて2文字じゃ収まる訳がない。胸の奥がチリチリと痛くて、鼻の奥がツンとした。
ひとつだけ確かなのは…今まで生きてきて、こんな気持ちになったのは初めてだったってこと。
交わる視線から、お互いの想いに直に触れているような錯覚に陥る。
ああ、俺もう………
ダメだ。
この子のこと、きっと一生好きだ。
「旭くん……」
「はい」
「旭くんは……どうして俺のこと、そんなに好いてくれるの…?」
無意識に口から出たのは、単純な疑問だった。見た目も中身も、この地上で最も完璧だと思えるほど素晴らしい君が……どうして俺を好きなのか、やっぱりよくわからないんだ。
「ふふっ…!そうですね……正直、僕が楓さんを好きな理由は今この場じゃ語り尽くせないくらい大量にあるんで……それは今後たっぷり時間をかけて伝えていくとして…」
「へぇ!?そんなあるの!?」
「もちろん!楽しみにしててください!」
旭くんはニコニコ笑いながら俺の頬を撫でる。なんだか、猫にでもなった気分だ。
「でも…」
「え?」
「強いて言えば……初めてだったから……ですかね?」
「初めて?」
「はい……、楓さんに出会って初めて……あきちゃんの人生の脇役でいることを、辞めたくなったんです」
「……!」
「楓さんに会って……僕は僕の人生を……、始めたくなったから…」
頬を優しく撫でていた旭くんの指先は、再び俺の両手に移動してキュッと力強く握られる。力の強さは…即ち今から言う言葉の決意の強さだと…なんとなく察した。
「……楓さん、そろそろ…ちゃんと言っていいですか?」
「……え?」
「僕の気持ち、もう一度はっきりお伝えして…構いませんか?」
「…………うん」
俺の小さな返事に、旭くんは安堵したように笑った。
「清水 楓さん」
「………はい」
「あなたが一番不安に思っていたことは、もう消えました」
「………はい」
「あなたが1人で抱えてきた過去も、その痛みも、完全に無くなりはしないかもしれないけど……これからは僕がずっと隣で支えて…いつかきっと忘れさせます」
「……っ、…はいっ…」
「僕は今もこれからも、あなたのことが世界で一番大好きです」
「…っ、うっ…」
「じゃあ……そろそろ、」
「…?」
「幸せになる覚悟、出来ました?」
優しい笑顔に、きゅんきゅんが止まらない。この…ナチュラルボーン少女漫画プリンスめ。
ほっぺがベショベショになるほど号泣する俺を見て、どうやら周りに相当ギャラリーが出来ているようだ。でもそんなの…気にしているような段階ではない。
「……っ、出来た…けど…、俺っ…」
「はい?」
「旭くんより…、10個年上だよ……?」
「……ぶはっ…!はい!今日で1個縮まりましたね?」
「うんっ、……旭くん、」
「はい」
「お誕生日おめでとう」
「………ありがとうございます」
「それと、」
「…?」
「………これから、よろしくお願いします…」
遠慮気味に小さく小さく呟いた俺に、旭くんは今日一番の破顔。俺も釣られて笑顔になって、恥ずかしさで口元を手で隠す。
ああ、そっか……
俺もう……幸せになっていいんだ
……この人と
「楓さんっ!!!!」
「う、ええっ!?」
突然叫んだ旭くんに驚く暇もなく、ギューッと抱き締められる。
だけど次の瞬間、また絶叫。
「いっ、たぁーーー!!」
「!?」
「ごほっ!…ごほっ…!」
「えっ、ちょ、大丈夫旭くん!?」
「けほっ…!すみません…!あばらもやってること…忘れてて…!いった…!」
「そうじゃん!もー旭くんってば珍しく抜けてる!!大丈夫!?」
「はい…!大丈夫です…すみません、浮かれちゃって…」
「……それは、…俺も同じ気持ちだから…責められない……です」
旭くんの肩口に額をつけて、せめてもの照れ隠し。今の顔……君にはあんまり見られたくないもん。
「旭くん……」
「……はい」
「出会ってくれて……ありがとう」
「……こちらこそです」
「ふふっ…!うん……、あのね…?」
「はい」
「俺と、付き合ってくれる?」
俺がそう言うと、旭くんはクスクス笑いながら頷き……"僕の台詞取らないでください"と囁いた。
旭くんの眩しい笑顔と優しい声に、俺はもうクラクラだ。
初めて会った時は、まさかこの子と付き合うことになるなんて、思いもしなかった。
人生、わからないものだな。
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