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第1話「孵化」
おいしゃさん。
おいしゃさん、てなに。ここにくるの。なにしに。ぼくを見にくるの。こわがらないだろうか。
おなか……うん、いたい。このへん。どうしていたいのか、おいしゃさんならわかる?
今日くるの。早おきしてよかった。いそいでおそなえものをかたづけよう。
おいしゃさんは、ぼくのへやまでくるらしい。ぼくは一人でまった。このへやはとけいがない。かがみがない。まどもない。つまんない。
おとうさんがだれかとはなしている。男の人のこえもする。はじめてきくこえだ。しんぞうが早くなる。
ふすまがひらくと、はじめて見る男の人がいた。
「こんにちは、布袋真白 くん」
男の人はぼくのなまえをしっていた。なんで。
「先生は麻生 と言います。今日は真白くんの様子を診に来ました。早速ですけど、最近体調が悪いそうだね」
おなかがいたいのをおとうさんがぼくにかわっておしえている。おとうさんもぼくにおしえる。この人がおいしゃさん。せんせい。せんせい? おいしゃさんは学校からきたの。びょういん。びょういんからきた、おいしゃさんのせんせい。
「……はい、ありがとう。もう服戻していいよ」
せんせいはおとうさんとばかりしゃべる。ぼくもはなしたいのにつまらない。ときどき目があうとにこにこしているせんせい。かえるときまでにこにこ。
「真白くん、お大事に。では私はこれで」
せんせい、またくる?
「またくるね。そのときまでに治すんだよ」
うん、なおす。ぼくもにこにこ。
* * *
「ここのお屋敷は涼しいから寄り道しちゃった。お父さんには内緒ね」
ないしょ。こゆびをちょうだい。
ゆびきりするまえにおとうさんがきた。おとうさんがくるとせんせいとはなしてばかり。ぼくはおいてけぼり。ぼくだってたくさんおはなししたい。せんせいはどこにすんでいるの。20さい? 30さい? すきなたべものは? いっぱいしりたいことがある。
せんせい、だっこして。
「え?」
おとうさんがせんせいにあやまる。
「いいんですよ。よぉし、しっかり掴まっててね。よいしょ、高い高ーい」
ぼくはせんせいを見下ろした。これたのしい。ほかにはなにしてあそぶ。にわが広いからおにごっこしよ。だめ? おしごと? いいでしょ、ちょっとだけ。
ちょっとだけ、せんせいとさんぽした。たのしかった。せんせいはおにいちゃんみたい。ほんとうのおにいちゃんはまだかえってこない。
* * *
せんせい、これ見て。
「これはなに?」
たまご。ぼくが産んだの。
「えっ産んだ? まさかぁ。鳥や爬虫類じゃあるまいし。それにこれ、卵じゃなくて……たぶん繭、だよね。実物は初めて見た。真白くんのお宅では養蚕やってるのかな」
やってる。
「……中に蚕がいるね。確か蚕が中に入ったまま煮るんだったっけ。そう考えればちょっと残酷かも。繭は蚕の棺ってとこか」
ひつぎってなに。
「棺は死体を入れる箱のこと」
この白いの、なに。
「それは包帯。怪我した所をその布でぐるぐる巻いて守るんだよ。どんどん賢くなってくね」
せんせい、手を出して。ぐるぐるしたい。
「えー? 先生はどこも怪我してないよ」
ぐるぐるしたい。
「じゃあ腕だけなら」
……先生をぐるぐるするのたのしい。
「遊び道具じゃないんだけどね。ほらぁミイラみたいになっちゃった」
* * *
せんせい、もうかえっちゃうの。早いね。
「今日はね、他のお宅にもあちこち寄ってかないといけなくてさ。だからこれでおしまい」
せんせいはぼくのあたまを一回なでると立ち上がる。いつものくろいかばんと……白いそれはなに。
「まだちょっと暑いけど、ちゃんと着ないとな」
白いそれはコートみたいだった。でもコートじゃない。シャツでもない。せんせいはそれをいきおいよく……きた。
それ、白い。
ぼくはこころがぎゅっとした。なにもいえなくなった。ふわっとしてうかんで、白いのがせんせいのからだとがったいした。白かった。
「ん? なに」
く
せんせいは、目のまえで 白 っ
な
「これは白衣っていって、お医者さんがみんな着る制服みたいなものなんだ。どう、お医者さんっぽくなっただろ」
「おいしゃさん、というより繭みたい」
「え? あはは、なるほど。確かに同じ色だね。着眼点100点。でもこれ正確には化学繊維なんだけどね」
「触りたい」
「え」
「触らせて」
「い、いけど」
さらさらしてる。ぼくと一緒。
「あ、真白くん。女の子にそれやったら逮捕だよ」
白くない所がない。一緒だ。繭だ。まゆだっ。
「ごめん、それ以上はちょっと……」
「先生帰らないで」
繭を引っ張る。先生の匂いがした。
「また来るから」
「絶対だよ。絶対着てね」
先生が手を振りながら走っていく。風でひらひらしていてしっぽみたい。可愛い。
ああ先生。
こうしちゃいられない。
次のお供え物は先生にしなくちゃ。
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