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第2話「蛹化」

「……なんだ、お兄ちゃんか。なんで帰ってきたの」 「荷物取りに来た。向こうで式挙げるのお前も知ってるだろう。衣装合わせの写真も送ったはずなんだけど」  真白は興味なさげに俺から視線を外した。それでいい。こちらこそ極力関わりを持ちたくない。 「あいつ誰待ってんの。先生って」  半ば予想はしていたが、親父は簡潔に「(にえ)」とだけ。 「今回の人選は?」 「白衣を着てたから」 「……はぁ?」  なにを言うかと思えば。 「マジで言ってる? そんなの、大学の理工学部行けば腐るほどいるわ」 「そうなの?」  真白に服を引っ張られて思わず振り向く。 「大学の、りこう? お利口さんがくぶ? に行けば繭の人たくさんいる? いいなあ大学。行ってみたいなぁ。でもいいの、今は先生がいれば、あっ先生!」  あれが先生。  頭を抱えたくなった。件の先生とは俺より若干年上の、見るからに恋人がいそうな整った容姿をしていたのである。いや、それどころか既婚でも全くおかしくない。  まさにネギを背負ってきた鴨のような彼に合掌。俺はそれ以上見ていられなくて二階に上がろうとするが、それを制するように親父の手が肩に乗る。 「なに。手伝えとかって言うなら断るからな」 「……あれは村の出じゃないから、合意では贄になってくれない。確実に抵抗されるだろうし、人手がいる」 「言っとくけど俺は無関係だからな。息子はなーんも知りませんでした――警察ではそう証言しろよ」 「……いいのか?」 「は?」 「お前が大学で理工学部専攻してた、なんて言ったら……真白、どうするかな」  振り返って、親父の顔を、目を見る。睨むだけで人を殺せたなら。 「これ使え」  茶色い瓶とハンカチを手渡された。真白が好きそうな色のハンカチだった。  ――!? ――!!  先生と呼ばれた若い男は、意識を失う最後の瞬間まで訳が分からない、といった表情をしていた。誤解してもらっては困るが、世の養蚕業全てがこんなカルトめいているわけではない、と説明しようにもしばらく目を覚まさないだろう。顔に乗せたままのハンカチをめくると寝顔が見えた。 「先生死んでる人みたい。霊安室で見たことあるもの」  先生をこれから飼い殺す少年が笑った。 「お風呂場まで運んでちょうだい。煮なくちゃ」 「うぅ」  先生は終始ずっとうなされているような顔をしていたが、ついにうめき声とともに目を覚ました。まずは巨大な鍋のような湯舟、それからそこでたゆたう自分、最後に真白の笑みを見て飛び退いた。着の身着のまま湯に浸かっていることがさらに混乱を招いている。おそらく今は必死に自分の身に起きたことを思い出そうとしているのだろう。 「落ち着いて。先生も知ってるでしょ。煮てるの」  先生はノーリアクションで湯舟から這い出た。冷静というよりは、単に理解が追い付いていないようだった。ずぶ濡れの白衣を着ていては相当動きにくいはずだ。きっと自分が何度も転んでいることにも気が回っていない。 「もー、まだ終わってないのに」 のにぃ にぃ にぃぃ……真白の声にエコーがかかって聞こえる。着ていたシャツは裂け、背骨が波打っている。俺はこの変化(へんげ)するときの生々しい音や、変化後の見た目が生理的に受け付けないため、風呂場に留まることにした。  それに二人のやりとりを聞いていればなにが起きているかは分かる。  ぐちぐちぐちぐち 「あ、そこね」  ぱき ぶちゅぶちぶち ぶち  ごぽ 「よっこいしょと」  ぼこっ ぼこっ ぼこっ 「恥ずかしい」  「……真白くん? まし……」  どうやら見てしまったらしい。 「せぇんせっ。おブろばヌィもどろおおォォ」 「……――アアアッ アアアアアアア!!」  見るのは人生で一度もいらない。 「いひぃいっ来るな! 来るなっ」 「逃げないで先生。てかうるさ」 「んぐぅ」 「捕まえた。はい、高い高ーい」 「ンンンッ!」 「ぶるぶるしちゃって。高い所苦手? それとも湯冷めかな。お風呂が嫌ならお部屋に行こうか? 痛っ。もー逃げないでってばー」  ほうほうの体で逃げてきた先生が俺にすがりついてきた。 「お願い助けて。なんだよあれ、やばいって」  な。やばいよな、あのクリーチャー。 「手遅れ。諦めな」 「うっくっ――ンン! や、やめろっ」  先生の顔にさっきのハンカチを当てると、転がるようにして引き返していった。 「おにごっこなら負けないんだから。二階かなー?」  真白の声が上に上がっていく。 「……いッ!? ぎゃあああああああ」  間を空けずに先生の絶叫。どうやら真白が設置した罠に捕らわれたらしい。  角を曲がると、廊下の真ん中で先生が宙に浮いていた。正確にはクモの巣状に張られた糸に絡まっているのだ。俺はひっきりなしになにかをうめいている先生を無視しながら、これまで真白が吐き出した糸を回収していく。今頃家族や使用人総出で一階の糸を集めていることだろう。これだけで蚕何匹分相当か、想像もつかない。本来のやり方とはだいぶ異なるが、儲かるわけだ。 『供物の間』 「……ぁぁぁぁあああああああ !あああ        いーとー まきまき  あ                   あ           いーとー まきまき  あ                   あ        引いて   引いて  あ 「うわっあっ嫌だぁああああああああああ  先生は上に引きずられていった。行先は十中八九「供物の間」だからマスクをしていく必要がある。 「くっさ」  数年ぶりにこの部屋に来たが、酷い匂いだ。吐きそうな甘さ。お香焚きすぎ。俺より先に到着していた先生は布団の上で脱力していた。おびただしい量の糸を体中に巻き付けながら。  ここはもう真白の独断場、俺の出る幕はないから糸が出尽くすのを外で待つことにした。 「先生の蚕、見せて。あるでしょう、男の人なんだから。……あは、ちょっと黒いのはどうして。まあいいよ、どんな色してたって、出るものはちゃんと白いから。先生の糸、ほじくり出してあげるっ」 「……う、う……イ!? ああだ、だめ、ああああっ」 「ぼくはほじくり出すの上手だよ。こうでしょ、ほじほじほじ」 「がは!! ーーーーだっああああ! いぎいい!! うっ、くぅぅ!」 「ほら出てきた。見てほら、すっごい白い! もっともっともっと! どうしたらいい。どうしよう先生。お揃いって嬉しいんだね。ありがとう。先生も真っ白になってくれて本当に嬉しかった! こんなの初めてなの。初めてで怖いくらい! 止まんなくて怖い! あ、きたきた」 「あはぁ!! アアッ! ああ……うあっ……ああ……や、あん……うー……」 「先生のことだめにしちゃだめなんだけど、だめにしちゃいそう!」 「う……はぁ……」 「なに寝てるの。まだ出るでしょう」  朝まで糸は噴き続けた。 *   *   *  銀世界と見紛うような和室で、手分けして糸の回収作業を行っている。その中心には巨大な白いカプセル――もとい、繭。それは微動だにしない。 「先生、桑の葉っぱ持ってきたけど食べるかな」  繭に甲斐甲斐しく話しかける真白はどこからどう見てもただの小学生の姿で、この集落を支配下に置く魔獣には到底見えない。そのことから分かるのが、見かけによらないのが一番怖いということ。 「もういいだろ。その先生とよろしくやってくれ」 「あ、おにいちゃん。おにいちゃんがおくってくれたしゃしんってこれのこと?」  真白が桑の葉とは別でひらひらさせているのは、まさしく俺がこの家に送った衣装合わせを映したものであった。 「はなよめさん、きれい。おにいちゃんも、かっこいいね」 「……」 「おにいちゃんのこのふく、なんていうの」 「あ? それはタキシードっていって――」 「たきしーど……」  振り返った先では、真白が微笑んでいる。  写真の中では、純白のタキシードに身を包んだ俺がはにかんでいた。 了

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