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「宮永あ!」
もうすぐで高坂の実家だというところで、唐突に大きな声が耳に刺さった。
本格的に近所迷惑だと咎めようと振り返ると、高坂は線路沿いに建つ地下道の出入口を見上げていた。
「ねえなにこれ!?こんなんあったっけ!?」
「え?ああ、高坂知らなかった?出来たのもう5年くらい前かなあ」
「ほへえ~。まじか」
高坂は再び物珍しそうに地下道を見上げて、今度はその壁やら看板やらをべたべた触りだした。子供か、と心の中でつっこむ。
もう俺の日常にすっかり馴染んでしまったものにこうも新鮮に驚かれると妙な感覚だ。
「……向こうにあった踏切、さ。人通りあるわりに開かずだったじゃん。それで人がくぐるようになって、いい加減危ないからって撤去したんだよ」
「はっ!?まじ!?じゃああの踏切もう無いの!?」
「……無いよ」
俺の言葉に高坂が「踏切を見たい」と言うので、一緒にそこまで歩いた。ほんの5メートルほど先にかつての踏切の跡地がある。
辿り着いた場所で俺は溜息が出た。安堵から来るものだった。
ぱっと見て、ここに踏切があっただなんてもうわからなかった。
それらしいものは何も残っていない。
もう、とっくに無い。
遮断機なんか真っ先に取り払われて今同じ場所にあるのは柵だ。レールはそのままでも線路を横切っていたコンクリートは当然敷石に取り替えられたし、向こう側の道だった場所には元からそうだったかのごとく民家が建っている。
周りと比べて地面に若干草が生えていない気もするが、気のせいと言われればそんなレベル。
もうあと数年経てば完全に線路の一部に紛れるに違いない。
「やべえ、まじで無いな」
「でしょ」
「俺、あの踏切結構好きだったんだけどなあ」
「……俺も、嫌いじゃなかったよ」
「まじ?へへ。俺らってヘンな奴らだなー」
顔も見ずに言葉を交わす。
懐かしい昔話。すごく同級生らしい光景だろう。
高坂とは小中のほとんどを一緒に下校していた。
俺の家は線路を渡った更に向こうにあるので、途中で必ず踏切を通る。だからここは高坂と最後に別れる場所だった。
踏切は10分くらい開かないときもあれば3分足らずで開くときもある。
その時間が一日で一番大事だった。
高坂と並んで電車が通り過ぎるまで他愛もない話をしたあの短い時間を、かつての俺は日々楽しみにして大切にしていた。
「俺なあ。宮永と帰るときにここで駄弁ったの好きだったんだ」
「……俺もだよ」
そう、変わったんだ。
青い想いを抱えたあの日はもうやってこない。
高坂は変わり、この場所も変わった。変わってしまったら元には戻れない。
踏切が取り壊されて鉄の塊と果てた物体を目前にしたときは、あの日々が失われたような気がして素直にショックだった。
でもいつの間にか、それにも慣れて受け入れていた。目に見える変化は俺には優しい。若さゆえの気の迷いで友情を少し履き違えてしまったことと結論付けるのがとても容易い。
事実、高坂からは卒業後目立ったアクションは無かった。あの時は一番の友達だったかもしれないが、遊ぼうなんて誘いはおろか帰省のときに連絡を寄越すこともない。
下心が漏れるのが怖くて自発的に連絡出来なかった俺からすると、正直救われたのだ。全部を過去のこととするにはとにかく時間が必要だった。
誰も知らなくていい。
ほろ苦い初恋の記憶は、俺だけが時々思い出して慰めてあげればいい。
「なあ。宮永は、……変わってない?」
「はあ……?」
「俺はさー、全然変わってないんだ」
「そうは見えねえけど。俺の知ってる高坂は酔っ払いじゃなくて野球部だし」
「あははっ!まあそれはそーだけど!でもさあ……」
高坂から顔を背けた先で、線路の遠くが光るのを見た。間もなく終電が通りすぎるだろう。
ああ、良かった。俺は高坂と二人きりでも普通に喋れた。笑えて軽口が叩けた。
親密な友達じゃなくていい。同級生程度だって十分居心地がいい。
「だって……。俺、宮永のこと、まだ好きなんだ」
そのとき、予測通りに最終電車が横を走り抜ける。
反射的に振り返って後悔した。高坂の顔を見て、物音で聞こえないふりが出来たと遅れて気付いてしまったからだ。でも俺は高坂の言葉を全部聞いてしまった。
「っ、ごめん」
視線がかち合った先の高坂が、短いセリフを吐き捨てその場から駆け出した。
『変わってない』。『まだ好き』。俺が逃げ続け見えないようにしていた言葉。
高坂に、まして自分の心にも交わらせないようにした秘密の想い。
「……はっ?」
なあ、お前の記憶の中に、俺はどう居続けていたんだ。
お前も同じ想いを抱えていたとでもいうのか。
俺は、あの感情を思い出していいのか。
勝手に終わらせなくて良かったのか。
なあ、俺は高坂に聞きたいことがたくさんあるよ。言いたいこともやまほどあるよ。
「高坂!」
まだ何も、始まっていない。
俺は地面を強く蹴飛ばして高坂を追いかけた。
冷めていたはずの顔が、火照って熱かった。
ー了ー
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