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後編
いよいよ楽しみにしていた公開録音の日。僕は玄関で立ちすくんでいた。昨日まであんなに会えるのを楽しみにしていたというのに。
いざ当日を迎えると勇気が出なくなっていた。ドキドキして胸が苦しい。
でも、行かなきゃ…!
僕は自分の頬を叩き、玄関のドアを開けた。
あいにくの雨だったせいか、公開録音のガラス張りの特製スタジオにはそれほど人が集まっていない。もしかしたら僕が早く到着したからなのかもだけど。ラッキーなことに、彗さんが座るであろうブースが目の前だ。あまりに目の前過ぎて恥ずかしいから、ちょっとだけ斜めのところに僕は陣取った。
ドキドキしながら待っていると、ブースに黒の革ジャンを着た銀色の髪の男性が入ってきた。随分背が高いなあ、スタッフさんなのかな、なんて思っていたら彼は椅子に座りマイクの前で一呼吸すると口を開いた。
『昼間だと緊張しますね、こんにちは、有村彗です』
え、ええ?この怖そうな人が彗さん?イメージと全然違う…!僕は口を開けたまま周りのリスナーを見ると、彼らは知っていたようでガラスの向こうの彗さんに手を振る。彗さんも嬉しそうに手を振って答えていた。はあ、驚いた…
そんなハプニングがあったものの、公開録音の様子を聴いているとやはり彗さんは彗さんで(当たり前だけど)いつもの優しい口調だ。
あの人はやっぱり彗さん本人なんだ、と思ってきたらまたドキドキして胸が苦しくなってきた。彗さんの言葉を紡ぐ口をぼんやりと僕は見ていた。あの声で話しかけてくれたら…名前を呼んでくれたら…
そんなことを考えていたとき、ふいに彗さんと目があった。僕は驚いてアッ、と声を出してしまった。すると彗さんはにっこり微笑んでくれた。僕はもう恥ずかしいというかなんというか…グチャグチャの感情で顔を背けた。顔が熱い。多分僕の顔はいま、ゆでだこだ。
夢見心地のまま公開録音を終えたあとは、現実が待っていた。塾へとそのまま足を運び、みっちり一時間頑張った。塾が終わり、そのまま僕は帰路に向かう。
電車を降り、改札を抜けホームを歩く。ぼちぼちサラリーマンたちが帰る時間だ。ホームに人が多くなる前でよかった。
それにしても今日やっぱり勇気を出して彗さんに会いに行って良かったな!昼間の様子を思い出しながらご機嫌に歩いていると、前を歩く男性のポケットからポロリと何かが落ちたのを僕は見てしまった。パスケースのようだ。男性は落としたことに気づかずそのまま歩いていく。僕はパスケースを拾い慌ててその人に声をかけた。
「あの、パスケース落ちましたよ」
僕の声に気づいて、男性はこちらを向く。そして僕は思わずアッ、と声を出してしまった。何故ならそこにいたのは、さっきまでブースにいた彗さんだったから。
彗さんは僕が差し出したパスケースを見て驚いた顔をした。
「ありがとうございます。全然気が付かなかったので助かりました」
うわああ、あの彗さんの声が僕に向けられている!僕はもう有頂天になってしまい、ハイと片言しか喋れなくなっていた。
「あの、さっき公開録音を観てくださってた方ですよね?」
彗さんがそう聞いてきたので、僕はさらに慌ててしまった。え、なんで分かるの?
「は、はい…」
「やっぱり!あまり君みたいな年齢の子が見てくれることがないから気になってたんで。目があったし間違いないなあって」
多分今僕はまたゆでだこのような顔をしているに違いない。
すっかり上がってしまってるけど、何も喋らないわけにもいかない。
「あ、あの、実はほぼ毎日聴いてるんです。【ナイトスペース】大好きで」
「えっ!本当に?嬉しいなあ!…あのさ、よかったら頼みたいことあるんだけど…ここに行きたいんだけど、どう行くか知らないかなあ?」
どうやら彗さんは行きたい場所への道が分からずうろついていたようだ。スマホの充電がなくなり検索ができなかったらしい。そこへ僕が来たものだから道を尋ねてきたと言うわけ。
僕はそこなら…と教えてあげることにした。
「そこなら、近いですよ。歩いて十分くらいかなあ」
「そうなんだ」
すると彗さんは僕の顔をジッと見ている。うーむこれは…チャンスかもしれない。もう少し彗さんと話ができる、チャンス。
「…あの、一緒に行きましょうか?」
彗さんは僕が話し終える前に頷いていた。
「ありがとうねー!」
今日一日で、彗さんについてわかったこと。
声とは裏腹に、背が高くてワイルドなお兄さんだった。そして意外と図々し…いや、人懐っこい性格だったってこと。
「大智 くんは高校生?いやー、青春まっさかりだね」
自己紹介したあと、すぐに下の名前を呼ばれて僕は若干戸惑った。ほんとに人懐っこいんだなあ…
駅から目的地まで二人で歩く。いつも夜聞いてる声が隣から聞こえるなんて。しかも僕に話しかけてくれてるなんて!
他愛もない話をしながら僕の緊張も段々とほぐれてきた。もしかしたら彗さんは、話しやすくするために、わざと砕けた口調で話してくれているのかもしれない。
「そう言えば、この前の【初恋】のテーマの時聞いてくれた?」
僕は一瞬で口から心臓が出てしまうのではないかというくらい、驚いた。『彗さんが初恋の人です』なんてメールを僕がしたのだから。
「聴いてましたよ、彗さんの初恋の話もちゃんと」
「照れるなあ。あのテーマは少し照れ臭くて」
「そういえば、初恋は彗さんですってメールありましたね」
僕がそう言うと、彗さんは頭をかきながら照れ臭さそうに答えた。
「ははは、びっくりしたよ。でもその子がどんな恋愛をするか分からないけどふいに僕を思い出してくれたら嬉しいな」
ちくりと痛む胸。やっぱり僕は彗さんが好きなんだと気付かされた。じゃなけりゃこんなに胸が痛まないはずだ。
「大智くんは、初恋いつだったの?」
「僕は…今ですかね」
それを聞いて、彗さんは笑顔になって僕の背中をバンバン叩いた。
「そっかー!恋せよ男子!いいね、応援するよ」
「痛いです…」
痛いのは背中か、胸なのか。よく分からない。
「でも、初恋は叶わないって定説ですよね」
「何言ってるの、頑張れよ。叶う叶わないは自分次第だよ。そりゃ初恋が幼稚園児とかなら微妙かもだけど、今なら叶う希望はあるだろ!」
初恋の人に応援されて、恋が叶うとか、もう訳がわからなくなってきて、僕は何だかおかしくなってきた。
もっと彗さんのことを知りたい。もっと近づきたい。僕は拳を握り、彗さんにお願いした。
「あの、彗さん。もしよかったらこれからも仲良くしてもらえませんか」
僕がこんなに積極的に他人の連絡先を聞くなんて、初めてだ。彗さんはポケットからスマホを取り出して、画面を表示させた。
「もちろん!リスナーさんとして?友達として?」
彗さんはニコニコしながら僕をみている。同じようにスマホを取り出して答えた。
「友達として!」
連絡先を交換して少し歩いたら目的地に着いた。彗さんは御礼とともに笑顔を見せる。
「じゃあまた。【ナイトスペース】もよろしくね」
「はい、聴きます。またメールしますね!」
いつの日かあのメールを送ったのは僕だと彗さんに告白しよう。そのとき、恋が叶うか叶わないかは、分からないけれど、とりあえず土俵にあがるところから始めよう。
もし、恋が叶ったら、『彗さんが応援してくれたので、初恋は叶いました』と【ナイトスペース】に送ろう。それを彗さんが照れながら読んでくれることを願いながら、今日も僕は【ナイトスペース】を聴くのだ。
【了】
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