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番外編 ありがとう、おめでとう、よろしくね その10 Xmas
和哉は細い腰に腕を回して逃げ道を塞ぐようにぐっと自らに押し付けると、デスクライトに照らされた白い掌からはみ出す、見るからに意味深な臙脂色のカードを引き抜いた。
「あ……」
あの金色の文字など、一目でその意味を判ぜられるだろうに。
湯上りの熱気に包まれた身体に抱かれているのに、柚希の背に冷たい汗が伝う。背中越しの和哉の湿った逞しい身体は身じろぎもせず、柚希の頬や肩にぽたぽたと濡れた髪から雫が落ちるがそれを拭うことすらできない。いつもは優しく柚希に触れる角ばった長い指先が、獲物を捕らえた猛禽の鈎づめにように柚希の薄い脇腹に食い込んでくる。
(和哉……!)
柚希は今にも飛び掛かろうと牙を剥く獣に、退路がないのにうっかり背を向けてしまったかのような、そんな逃げ場のない恐怖に苛まれた。
「……晶先輩から?」
「……」
たっぷりとした沈黙の後、和哉が柚希の耳朶に唇がわざと触れる程の距離で、押し殺した低い声で囁いてきた。素直な身体は素早く胸の鼓動を全身に伝えて柚希はびくりと震える。
そのまま唇で食み、敏感な耳を詰るように刺激されたから、柚希は声を漏らし上身をよじりながら、言い逃れを思いつこうにも流石に何も浮かばなかった。どう考えても今日の流れを考えたらそう思われるが妥当だろう。
「和哉、これさ……」
どう経緯を話せばいいのか狼狽え、頭の中がとり散らかったまま、柚希は和哉が今どんな顔をしているのかが気にかかり、その顔を覗きこもうとなんとか身をよじって振り返ろうとした。しかしそれが頑強な腕の檻から逃げ出そうとしていると思われたのか、和哉はくしゃりと手の中でカードを握り潰すと、両腕で柚希の身体を机と我が身の間に囲い込んだ。
「受け取ったんだね?」
柚希の言い訳を聞きたくないとばかりに、和哉にそう断定されて、事実だけを見たらそうとしか言えずに柚希は唇を噛みしめてうなだれた。
「……ああ」
「どうして……」
「どうしてって……」
どうしてと問われると、本当にどうしてなのか.......。
(どうかしていたのかもしれない。どんなものであれ、別れた男からの贈り物を受け取るべきではなかった……。そういうことだろ……)
先ほどまでの光り輝く夜は一転、月明かりすら射さぬ暗がりに引き込まれた心地だ。昏い夜の海に寄せる波のように、あとからあとから深い罪悪感が押し寄せて柚希はあっという間にそれに飲み込まれていった。
(俺のせいで、ごめん。和哉)
しかしそう謝罪を口にしたら、今宵のきらきらとした和哉との語らいがシャボン玉のように弾けて跡形もなく消えてしまいそうで……。
悲しみに苛まれ柚希はその言葉が喉につかえたようにどうしても口にできなかった。
柚希は二十代半ばである今の今まで、他人と深い付き合いをしたことがない。十代後半から二十歳そこそこの、ごく若い頃は相手も気軽な恋の相手として柚希と付き合ってきたから、気楽な友達から二人で会う友達になって、そのあとまたその他大勢の友達に戻ったような……。そんな児戯に似た交際しかしたことがなかった。
これまで別れた相手との適切な距離間など考えたこともなかったのだ。
相手が傍にいなければ生きていかれないと恋焦がれ思い詰める。そんな激しい感情を味わったのは、多分和哉が自分と晶のどちらかをとるのかと迫り、自分をとらなければ柚希の元から永遠に去ると突きつけられた、あの瞬間まで知らなかった。
(和哉のことが大切なのに……。どうしてよりによってクリスマスイブ当日なんて意味のある日に、プレゼントを受け取ってしまったんだろう)
しかしあの時、こうなることを知り得ていたとしても、すべての気持ちを曝け出す覚悟で柚希に会いに来てくれた晶を、無下に扱うことができだろうか。
その疑問に一つの答えを擦り付けるように、和哉が耳元で苦々しく囁く。
「晶先輩のことが、忘れられなかった? 顔見たらヨリを戻したくなった?」
「ちがっ!」
思わず夜が深まった時間帯には不釣り合いなほど大声を上げてしまう。流石にそんな誤解をされるのは嫌だった。
無下にはできなかったが、それでも勇気を振り絞って、晶にだってはっきりと柚希が選びとった相手は和哉であると告げたばかりだ。
今度こそ振り返って和哉の顔を見つめて話したいと思ったのに、しがみ付いたその腕は解けることはなく、痛いくらいに柚希の瘦身に食い込んできた。
「カズ、離して」
「……行かせない」
それでももみ合っている間に、和哉が腕を薙ぎ払った腕が当たり、フローリングの床に硬いもの、多分スマホが落ちる音がした。
(晶の連絡先!)
柚希はパスコードを入れるのが面倒で、携帯電話の画面が真っ暗になるまでの時間をかなり長く設定してある。
画面は今だ消せない晶の連絡先が表示されたままで、和哉はそれを目にしたのだろう。やることなすこと裏目に出てしまって泣きたくなる。しかしもうどんな言い訳をしても和哉が聞き届けてくれるとは思えなかった。
そのまま背と臀に手を回され肩に担ぎ上げられて、格闘技ごっこをしてふざけていた時程度には乱暴に布団の上に降ろされる。柚希はすっかり湯冷めしてしまい、織の細かい上等なシーツが背中に冷たく鳥肌が立った。
普段なら柚希の身体に負担をかけないように体重をなるべくかけずにのしかかってくる和哉だが、今日は逃がさぬとばかりに柚希が逃げられぬように間髪入れず押さえつけながら組み敷いてくる。
「いっ.......。カズ!」
痛みに非難を込めた声色に、和哉はあえなのか反応をみせずに、俯いて整髪剤で撫ぜ付けられていない前髪が暗い影を高い鼻梁まで落として表情が伺いしれない。どこか空恐ろしい雰囲気を醸し出したまま、柚希の足首を掴んで長い脚を大きく割り開いてきた。
「和哉、やめて」
静止の声は聞き届けられることはなく。照明は絞られぎみだったが例の下着を身に着けただけの無防備な姿を弟の眼下に晒し、恥ずかしさともどかしさ、哀しさと少しの憤り。色々な感情が渦巻いて柚希は言葉が上手く紡げない。
(駄目だ……。こんな状態の和哉、頭を冷やしてからじゃないと何言っても聞かなそう……)
何より柚希を絡め取ろうと発せられる番の性フェロモンに心より先に身体がぐずぐずに脱力していく。
いくら全てを捧げても構わないと思うほどに愛情を注いできた相手であっても、いやそんな和哉であるからこそ、気持ちが沈みに沈み込んだ今、なし崩しに抱かれるのは耐えがたかった。
(さっきまであんなに幸せな気持ちでいたのに.......)
しかしそれは和哉だってきっと同じだ。柚希の悪いところが出て、とにかく今は流れに身を任せてその場をやり過ごそうとぎゅっと目をつぶり顔だけは横に背けた。しかしその仕草が、和哉には柚希に拒絶されているように感じたのだろう。
「哀しいよ……。兄さん。胸が張り裂けそうだ」
「和哉?」
愛しい弟の憐れみを帯びた声に今日はよく零れてばかりの雫が溢れそうになり、柚希が真っすぐ和哉の方を向こうとした刹那、和哉が柚希の両腕を万歳する様に頭の上に腕をあげさせられ、手首に何かが撒きつけられた。
「え……」
手首を戒められたと分かりぎょっとして、双眸をこれ以上はない程大きく見開いた柚希は続けて和哉をぎっと睨みつけた。
「和哉! 解いて! こんなのいやだ!」
こんな暴挙にまで弟を追い込んだ責任は自分にあると思いつつも、間違っていることは年長者として正さねばならない。
しかし和哉は言うことを聞かず、柚希が身をよじって逆につんと突き出した白い胸に顔を埋めてきた。
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