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番外編 夏祭りの約束 4-1

 焼桐の下駄は軽く、藍染の鼻緒がそこだけ日焼けを免れた柚希の白い足に映える。ただ歩きなれていないため、滑り止めの付いた底が、たまにコンクリにざりりっ、からころと音を立ててしまうのはご愛嬌だ。この下駄は父のものではなく、母がこの浴衣に合わせて買ってきてくれた新品だった。  隣り街にある夏祭り会場は柚希のアパートともまた真逆の方角。先にある河川敷で今年は区政何十周年だかを祝うイベントの一環で今日だけは花火も上るのだそうだ。祭り会場が近くなり、同じ方向に向かう人の群れの中には浴衣姿の人も混じり始めた。慣れぬ裾を捌ききれずにのろのろと歩く柚希に加減してくれていつもよりずっとゆっくりと隣を歩く和哉が、いまだ憂い顔なのが気になって、わざと明るく声をかけた。   「夕飯は絶対食べきる自信があるからさ、屋台でも何か食べたいなあ。お好み焼きとか、フランクとか、じゃがばたとか、牛串とか。和哉は何食べたい?」 「……ああ。なんでも。柚にいが食べたいものでいいよ」 「分かった」 (ああ、会話がまた弾まなくなってしまった)  先ほど母に浴衣姿を見て泣かれた後からどうにも湿っぽくなってしまった。街灯に照らされた和哉の顔は少年らしい頬の丸みがすっかり抑えられ、大分大人びてみえる。 (和哉……、何考えているんだか) 「浴衣、歩くの大変だけどさ。俺はまた和哉の浴衣姿見たかったな」 「僕の?」  ジーンズの上タンクトップに薄いグリーンのシャツを羽織り、スニーカー姿の和哉は制汗剤のCMに出てくるアイドルの青年みたいに爽やかだが、柚希としてはどうせなら和哉にも浴衣を着てもらいたかった。 「ほら、昔さ。初めて大杜神社のお祭りに家族でいった時、和哉俺のお古の浴衣を着てただろ?」  その浴衣も父と暮らした家から何とか持ち出せた思い出の品の一つ。父が自分と同じ反物から選んで仕立てさせた浴衣で、子どもが着るには少し大人びた藍色の無地だった。柚希が大きくなったら一緒に着る予定で作られたそれはしつけもそのままで、母子に辛く険しい出来事が多く降りかかっている年月、大切にしまい込んだまま、柚希は着られる背丈を当に越してしまったのだ。 「大切な浴衣を僕が着させてもらったんだったね。汚さないようにしなきゃって思ったのに、かき氷零されたんだった。あれは落ち込んだな……」 「あれは和哉は悪くないよ」  込み合う盆踊りの会場で、二人は並んで焼きそばか何かを食べようとしていたところだった。そこに悪ふざけしながら駆けこんできた少年たちの一人がバランスを崩してよろけた時、彼が手にしていたかき氷を柚希が頭から被りかけて、それを咄嗟に和哉が柚希に覆いかぶさるようにして庇ったのが原因だった。  赤いシロップが和哉の肩口から背中まで流れ、ざりざりと流れる氷が背に入って夏場であってもひやりと凍えた。その上腕の辺りもいつまでもべたべたで、折角の祭りの夜だというのに和哉は本当に散々な目に合った。 『柚にい大丈夫?』 『俺は大丈夫だよ! それより和くんの方が大変なことになってる!!」  うろたえて騒いでしまった柚希だが、和哉の方はずっと冷静で真っ先に柚希の無事を確認してほっとした様子だった。柚希の頭を袖で覆うように隠しながら、和哉が今の和哉みたいな目線の高さから柚希を見おろしてきたのが印象的だった。  いつもは可愛い、仔犬みたいに丸っこい大きな目が、きりりっと吊り上がって、まるで小さな王子様みたいだと柚希は弟の成長に少し胸がきゅんとしてしまった。  盆踊り会場について大した時間が経っていないかったのに、兄弟のリクエストしたりんご飴や牛串を手分けして買い出しに行ってくれていた父母に発見されて家族はそれらを土産にすぐに帰宅の途についた。  大切な浴衣を汚してしまって和哉はすっかり落ち込んでいたが、当然桃乃がそれを叱るはずもなく、すぐに染み抜きに出して浴衣は今でも家に大切にしまってあるはずだ。 「あはは。俺の事庇ってくれた時、和哉凄く得意げな顔してた」 「僕そんな顔してた?」 「してた、してた」 「じゃあ、それはさ? きっと僕だって父さんみたいに、柚にいのことを護ってあげられるって証明したかったんだと思うよ」  この先は歩行者天国になっている路上で急に和哉が立ち止まった。街中には演歌調の浮かれた盆踊りの音色が流れていて、路上で酒を飲んで盛り上がっている若者たちが大きな声で談笑しているのが耳に付く。会場の入り口は中に入り切れぬほどの人が溢れて並んでいるのが見えた。他にも入り口があるのかもしれないが、鳥居の下を通るこの場所が一番込み合う。和哉はあそこから入ろうか迂回しようか思案しているのかと柚希は弟を静かに見守った。  日頃交通量の多い神社の前の道路は警察官も沢山巡回していて、やたらと声を上げて騒いでいるやんちゃそうな若者に注意しながら気ぜわし気に交通整理をしている。  思っていた以上の人ごみに柚希もまた足を止め、和哉とはまた違う感情から眉を顰め、無意識に自分のうなじを周囲から護るように摩り撫ぜた。  

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