66 / 80

番外編 夏祭りの約束 7-2

「和哉!」    安堵から番の名を呼び駆けだすと、和哉の足元に半べそをかいた蜜希を背負った咲哉が小さな白い花のように柔らかな微笑みを少し誇らしげに浮かべていた。蜜希の白い膝小僧がすりむいて血が滲んでいるから大体の様子を悟って、柚希は目元で『めっ!』と蜜希をねめつけると、勝ち気な蜜希は柚希を涙の滲んだ目で睨み返してつんっとそっぽを向いた。 「僕ちゃんと、みっちゃん見つけたよ。途中で転んで怪我しちゃったんだ」 「咲、俺のとこ戻ってくればよかったのに!」 「戻って柚パパとすれ違って会えないと困るから、お店の前で待ってたんだよ? そしたら和パパ来てくれたんだよ?」  一枚上手な咲哉の落ち着き払った様子に、柚希はへなへなと足元から力が抜けてまだ昼の熱が抜けきらぬコンクリートの地面に頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。   「こら、咲ちゃん。みっちゃんを探しに来たかったのは分かるけど、先に柚パパに勝手に離れてごめんなさいでしょ?」 「ごめんね。柚パパ。泣かないで」 「泣いてないから!!」    そんな風に家族でやや揉めている間に敦哉と桃乃が駆けつけてきて、一ノ瀬一家がようやく勢ぞろいとなったのだ。 「みっちゃん、また柚君を困らせたんだろ?」  未だお爺ちゃんという言葉がまるで似合わない、若々しい敦哉が和哉とよく似た柔和な甘い目元で蜜希を抱き上げると、甘ったれるように蜜希は敦哉の首に腕を回してふるふると首を横に振った。 「違うもん。じーじ達にあいたかったんだもん」 「まあ、みっちゃんたら」 「蜜希、そういうことじゃないでしょ? 凄く人が多いんだから、迷子になるからパパから離れちゃだめだって言ったよね?」 「だってぇ」  舌っ足らずの声ですりすりと敦哉に甘えるから、敦哉がもういいじゃないかとばかりに目を細めて大きな掌で蜜希を労うようにいい子いい子を繰り返す。亡き妻の面差しも、今の伴侶の桃乃の雰囲気も、どちらも持ち合わせた蜜希が敦哉は可愛くて仕方がないのだ。  しかし蜜希は本当にこういうところがちゃっかりしていて、しかも長い睫毛をそよがせて涙をぱしゃぱしゃと振り落とすその表情の愛らしさと言ったらないのだからこれでは周りがころっと蜜希に甘くなってしまうのもわかる。分かるだけに柚希だけでも厳しくせねばろくなことにはならないとどうしても強めに当たってしまいがちだ。 「蜜希!」 「まあ、いいから。柚希も早番だったから疲れたでしょ? 咲ちゃんたちは私たちに任せて。ちょっと屋台みたら家に連れて帰るから。今日はばーば達のお家に、お泊りでいいじゃない?」 「わーい」  子どもらしい屈託ない部分も持ち合わせている咲哉が嬉しそうに大好きな桃乃の腰元に抱き着いたから、柚希も頷きざるを得なかった。何より目の回るように忙しい日々の中、たまには子育てから解放されたいという気持ちも少しはなかったわけではない。  心底嬉しそうな笑顔を浮かべてくれる両親に柚希は素直に頭を下げる。 「たまには二人っきりでゆっくりしてらっしゃい」    桃乃がそうとりなして、柚希と和哉の背を押してくれたから、和哉が未だ納得がいかない憂い顔を見せた柚希の肩に手を回してゆっくりと頷いた。 「ありがとう。母さん。そうさせてもらうね?」 和哉と柚希が番になってから、飛ぶように月日は過ぎていった。  番になった翌年の夏祭りは二人して母に新調してもらった浴衣姿で夏祭りを訪れた。  柚希は実家から和哉と手をつなぎ連れ立って歩くことが近所の目がまだ気になって恥ずかしがったが、和哉は白地に藍色の雪花絞りの浴衣姿の柚希をまるで花嫁さんみたいに綺麗だと誉めそやし、それはそれは嬉しそうに知り合いに会うたび『僕ら番になったんです』と満面の笑みで柚希を見せびらかして回った。  和哉としてはついに最愛の兄をパートナーとして手に入れたという長年の夢がかなった瞬間であったのだが、柚希は嬉し恥ずかしくて、たまに盗み見る様にしか蕩け切った甘い笑顔を向けてくる弟のにやけ顔をとても正面から見られなかった。互いの熱で汗ばむ手をひと時も離さずに盆踊りに興じる人の輪を今度こそ幸せな気持ちで眺めることができたのだ。  そしてまた今年もまた二人にとっては年中行事たる、思い出作りの夏祭りの季節がやってきた。   「|蜜希《みつき》ぃ! 戻ってきなさい!!!」  日頃はそれほど人で賑わっていない街中にしては広めの神社だが、祭りの晩はまた特別だ。大人同士だって少し離れたら見失うほどごったがえした盆踊り会場の中、柚希は人目もはばからず、大声で下の息子の名前を呼び叫んだ。    柚希が母からの電話に気を取られて一瞬目を離したすきに、『桃ばーば達きたんだ!』と喜びに弾けるような愛らしい声が足元の方から上がり、日頃からやんちゃと家族の手を焼かせている下の息子の小さな背中は柚希を振り向きもせず、一目散に人ごみに紛れて走り去ってしまったのだ。  一ノ瀬家には息子が二人。  4つのやんちゃ盛り弟の蜜希は2歳年上のしっかり者の兄、|咲哉《さくや》と手をつないでいたはずだったが、柚希に二回強請ってお目当てが引けなかったくじ引きをさらに自分に甘い祖父母に強請ろうと思ったのだろう。敦哉と桃乃が近くに来ていると分かると、兄の手を振り切って盆踊り会場を横切るように駆け出してしまった。 『柚希、どうしたの?』  スマホの通話は続いていたので桃乃の訝し気な声がしてきたから柚希は耳に当てなおして口早に事情を話した。 「母さんごめん、蜜希のやつ、多分そっち方面に走ってった」 『ええ! みっちゃんから目を離しちゃ駄目じゃない!』 「くじ引きやりたいって駄々こねてたから、先に母さんたちに会って強請る魂胆なんだと思う。あいつそういうとこ、本当にちゃっかりしてるから。誰に似たんだか……」 「柚パパ、待ってて! 僕がみっちゃん探してくるから!」 「待って! 咲哉はここにいなさい!」  兄弟揃いの浅黄色の甚平を着た咲哉は涼し気な笑顔で柚希に手を振ると、弟に負けぬ猛ダッシュで駆け出す。  日頃は親の言うことも良く聞く優等生の兄までもが柚希の制止を振り切って弟を捕まえに行ってしまい、幼い兄弟は瞬く間に人ごみに見えなくなってしまったのだ。  狼狽えた柚希は近くに来ているはずの父母と、そしてこちらに向かっているはずの和哉に自分も小走りに子供らが消えた方向を追いながら電話をかけた。程なく和哉が通話と始めながら、柚希は慌てふためききょろきょろと周りを見渡し受話器の向こうの和哉に向かっておもむろにまくし立てた。 「ごめん、和哉。二人ともどっか行った」 『え? どういうこと?」 「子どもたち二人とも見失った。ごめん、本当にごめん」 『柚希、落ち着いてって。また蜜希が迷子になったんだろ。迷子タグつけてないの?』 「今日、甚平着せたから、いつものワンちゃんバッグ持ってこなかったんだよ。あれにつけっぱなしにしてたから」 『そっか。行きそうなとこは? 僕もう神社の鳥居くぐってすぐの辺りにいるよ』 「そっちじゃなくてもう盆踊りの会場の、露天のある方に来てる。あれ、あれ。去年蜜希が固執してた玩具が当たるくじ引きあるだろ? アレ二回もやったのにまたやりたいってしつこくて。咲哉が僕の分もやらせてあげて?とか言うからまた蜜希、調子にのっちゃってさ。ああ、もう今はそんな事あれだ、とにかく早く探さないと」 『うちの子たちは信じられないぐらいに可愛すぎるから誘拐でもされたら大変だからね』  和哉のそんな台詞は全く冗談ではなくて、大真面目に言っているのだから、この非常時なのに柚希は少し笑ってしまった。 「じゃ、挟み撃ちしよ。母さんと敦哉さんも多分近くで探してくれてる」 『わかったよ』  とはいえ柚希とて息子たちが心配でならない気持ちは同じだ。  親のひいき目で行ってもクラス中の男女から王子様みたいに綺麗で優しくて賢い!と大人気の兄の咲哉もまだ幼いので勿論心配だが、見た目はまるで天使のように愛くるしいと誰もが目を細めて微笑みを浮かべてしまうが、中身は喧嘩っ早くて爪を立ててくる子猫のようにやんちゃな下の息子蜜希がいつでも柚希の悩みの種だ。  夫の和哉も穏やかで誰かと喧嘩したりするような性格でもなかったし、自分も人と喧嘩をするなどということはまるでせず、友人といつでも仲良くやってきた輪を大切にする社交的な性格だった。  だというのに息子の蜜希は「欲しい物は欲しい、嫌なものは嫌」と好き嫌いがはっきりした性格で、見た目の可愛らしさから自分を相手が侮ってこようものなら容赦なく噛みついて喧嘩を起こす。まるでお腹の中に火の玉を抱えているような少年なのだ。保育園で何度先生から指摘されたかも分からない。 『お兄ちゃんの咲哉君は誰にでも優しくて親切だったのに、蜜希君はねえ』  会場はまた新しい音楽がかかって違う〇〇音頭で人々が踊り出した。こんな光景は昔から変わらない。出口に向かう人と入ってくる人の間のような流れに嵌まった柚希が一瞬足を止めてもう一度会場の入り口を見通そうとしたら、周りよりひときわ背の高い和哉がさらに高々と腕を掲げてこちらに手を振ってくるのが見えた。 「和哉!」    安堵から番の名を呼び駆けだすと、和哉の足元に半べそをかいた蜜希を背負った咲哉が小さな白い花のように柔らかな微笑みを少し誇らしげに浮かべていた。蜜希の白い膝小僧がすりむいて血が滲んでいるから大体の様子を悟って、柚希は目元で『めっ!』と蜜希をねめつけると、勝ち気な蜜希は柚希を涙の滲んだ目で睨み返してつんっとそっぽを向いた。 「僕ちゃんと、みっちゃん見つけたよ。途中で転んで怪我しちゃったんだ」 「咲、俺のとこ戻ってくればよかったのに!」 「戻って柚パパとすれ違って会えないと困るから、お店の前で待ってたんだよ? そしたら和パパ来てくれたんだよ?」  一枚上手な咲哉の落ち着き払った様子に、柚希はへなへなと足元から力が抜けてまだ昼の熱が抜けきらぬコンクリートの地面に頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。   「こら、咲ちゃん。みっちゃんを探しに来たかったのは分かるけど、先に柚パパに勝手に離れてごめんなさいでしょ?」 「ごめんね。柚パパ。泣かないで」 「泣いてないから!!」    そんな風に家族でやや揉めている間に敦哉と桃乃が駆けつけてきて、一ノ瀬一家がようやく勢ぞろいとなったのだ。 「みっちゃん、また柚君を困らせたんだろ?」  未だお爺ちゃんという言葉がまるで似合わない、若々しい敦哉が和哉とよく似た柔和な甘い目元で蜜希を抱き上げると、甘ったれるように蜜希は敦哉の首に腕を回してふるふると首を横に振った。 「違うもん。じーじ達にあいたかったんだもん」 「まあ、みっちゃんたら」 「蜜希、そういうことじゃないでしょ? 凄く人が多いんだから、迷子になるからパパから離れちゃだめだって言ったよね?」 「だってぇ」  舌っ足らずの声ですりすりと敦哉に甘えるから、敦哉がもういいじゃないかとばかりに目を細めて大きな掌で蜜希を労うようにいい子いい子を繰り返す。亡き妻の面差しも、今の伴侶の桃乃の雰囲気も、どちらも持ち合わせた蜜希が敦哉は可愛くて仕方がないのだ。  しかし蜜希は本当にこういうところがちゃっかりしていて、しかも長い睫毛をそよがせて涙をぱしゃぱしゃと振り落とすその表情の愛らしさと言ったらないのだからこれでは周りがころっと蜜希に甘くなってしまうのもわかる。分かるだけに柚希だけでも厳しくせねばろくなことにはならないとどうしても強めに当たってしまいがちだ。 「蜜希!」 「まあ、いいから。柚希も早番だったから疲れたでしょ? 咲ちゃんたちは私たちに任せて。ちょっと屋台みたら家に連れて帰るから。今日はばーば達のお家に、お泊りでいいじゃない?」 「わーい」  子どもらしい屈託ない部分も持ち合わせている咲哉が嬉しそうに大好きな桃乃の腰元に抱き着いたから、柚希も頷きざるを得なかった。何より目の回るように忙しい日々の中、たまには子育てから解放されたいという気持ちも少しはなかったわけではない。  心底嬉しそうな笑顔を浮かべてくれる両親に柚希は素直に頭を下げる。 「たまには二人っきりでゆっくりしてらっしゃい」    桃乃がそうとりなして、柚希と和哉の背を押してくれたから、和哉が未だ納得がいかない憂い顔を見せた柚希の肩に手を回してゆっくりと頷いた。 「ありがとう。母さん。そうさせてもらうね?」 ☆次回はちょっとイチャイチャさせて大団円にしますね💕    

ともだちにシェアしよう!