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番外編 夏祭りの約束 8-1

「二人で夜に出歩くなんで久しぶりだね」 「うん……」  柚希を気遣い、和哉は『牛串とじゃがバタ食べない?』など声をかけたが柚希は憂い顔のまま、すっかり疲れた様子でとぼとぼと歩いている。  和哉は鞄のベルトを逆側にかけなおすと、柚希の指輪をした方の手をぎゅっと掴むようにして繋ぎ止めた。 (恥ずかしがるかな……)  子どもたちを両側にしてその手を掴んでいることが多い柚希。和哉が最初に惚れこんだ嫋やかなその手を今日は久しぶりに和哉が独り占めできる。  それだけで和哉は仕事場からこの熱帯夜に文字通り駆けつけてきた気怠さなど吹き飛ぶ思いだった。  しかしすぐに握った手が全体的に少し痩せたように感じる。 「また痩せちゃったな……。柚希、ごめんね」 「そんなことないよ。大丈夫。和哉こそ、疲れてるよね? おかえりなさい」  ドーナツ屋の仕事はとにかく重労働でもあるし、この時期の柚希は普段の時期より痩せがちだ。柚希は頑張り屋なので安易に「大丈夫」を繰り返すから全くあてにできない。が、頑固でもある。 (柚希が喜ぶことしてあげたいけど……)    心のケア、身体のケア。どちらを優先すべきがまよって、その上愛する柚希との二人っきりに慣れたチャンスも逃したくなくて、和哉はその気持ちを全て込めるつもりでこう提案した。 「柚希。たまには二人でデートしない?」  昭和の雰囲気漂う今あるとも限らないような古い商店名が書かれたような提灯の下、柚希は少し潤んだように見える黒目がちな大きな瞳で和哉を捉えて柔らかく微笑んできた。少し甘えているような視線に堪らなく胸を擽られる。 「デート?」 「この後だと、そうだね。桜亭さんでちょっと食事してお酒飲んで帰るとか、そのくらいだけど」    いつも仕事に育児にと忙しい柚希。勿論土日中心に買い出しや作り置き、洗濯に片付づけと和哉も柚希と共に子育てを奮闘しているところだった。先週から和哉が家に帰るのが遅い日が続いていたから、幾ら頑張り屋の柚希でも早朝の仕事からの夜まで元気な息子たちに突き合って出歩いたのは疲れたのだろう。労うつもりでそう提案したつもりだが、なにより和哉自身、たまには柚希と番同士他に水入らずの時間を過ごしたいと思ってしまったのだ。  柚希は少しだけ思索したように眼差しを色っぽく揺らめかせて、だが和哉の手をきゅっと握り返して小首をかしげた。 「うん。いいね……。でも、ちょっと疲れちゃったかも」  柚希がこうして頑張れないと本音を漏らすことは珍しい。  その時番の首筋から、ふわりと僅かに石鹸に似た爽やかな香りが薫った気がして和哉は男らしい眉を顰めてから嬉し気にうっそり瞳を細めて、繋いだ指を絡めるように握り返す。 「そっか。じゃあ家帰ろう? 僕がパスタでも茹でるから柚希はゆっくりお風呂に浸かって?」 「ごめんね。ありがと。なんか少し怠くて……。あ、じゃあ駅の方回って、タコスでもテイクアウトして帰らない?」 「いいね。たまには子どもメニュー考えないで辛いもの食べるの」 「冷蔵庫にビールも冷えてるから、今帰れば寝室側の窓から見えると思うんだ。花火」 「そうだね。遠いけど前も見えたよね。じゃあ直ぐ帰ろ?」  2人は少し早足になりながら祭り会場を後にして、少しだけ遠回りをして結婚直後二人きりの時にはよく通っていたメキシコ料理店の前を通りがかった。すると折よく、祭り客を見込んでチリビーンズとタコスのセットを店の前で売っていたのでありがたくテイクアウトをしてきた。 「みっちゃんってさ、本当になんであんなに我が強いんだろ」  家が近くなって僅かに元気が出てきた柚希が、もうすぐマンションというところの角にある家から垂れ下がっていたオレンジ色の大きな花、ノウゼンカズラをぺしっと叩いて唇を尖らせた。夜目にも目立つその花がぶらりと揺れて、柚希の憂さを少し晴らしてくれたようだ。 「欲しいものある時の執念がすごいと思う。咲哉に対してもわがまま放題だし、みんなみっちゃんを甘やかすし。和哉はさ、小さい頃も兄さん思いで聞き分けいい子だったし、俺だってあんな感じじゃなかった」 「うーん」  少し思うところがある和哉は歯切れの悪い返事をすると、柚希は焦れたように和哉の長い腕をぐいっと引っ張ってくる。 「いてて」 「聞いてるの?」 「聞いてるって。柚希から見た僕ってさ、聞き分けいい子だったんだなあって。意外に思っただけ」  きょっとっとした柚希に和哉は少しだけ苦笑して、ビニール袋に入った食べ物の位置のずれを直した。 「いつも俺の事助けてくれて、懐いてくれて、素直で、可愛くて」 「そうかな。それは単に、小さなころから僕にとって柚希が一番好きな、大切な人だったからじゃないかな? 兄さんって口では呼んでたけど、心の中ではいつだって『僕の柚希』って思ってたよ」  そんな風に口調には少しだけからかいを込めて返せば、柚希は酒を飲んだわけでもないのに頬を染めて睫毛を伏せた。 「……そっか」  柔らかな唇に甘い呟きを漏らして、未だそんな初々しい反応を返してくれる番に和哉は余計にこの夜にひと時の甘い雰囲気を存分に味わいたくなった。 「みっちゃんにとっては柚希は「母さん」だから、甘えちゃんだろうし、小言を言われると反発しちゃうんだろうね」 「和哉には違うじゃん。和パパっ!って家来みたいに言うこと聞かせようとする」 「僕が最後の最後でみっちゃんに敵わないって見透かされちゃうんだよね」 「甘いパパだ」 「面目ないね。だってみっちゃん、やっぱり柚希に似ていて。僕は可愛くて仕方ないんだ」  そう言ってにっこり微笑みかけると、柚希が仕方ないなあというように笑顔を返してきた。  少年時代から恋焦がれ、いつでも和哉だけを見つめていて欲しかったその瞳が往来のない夜道で街灯の光で照らされて和哉を見つめ返してくれる。魅入られたように立ち尽くした和哉は、愛しい人の笑顔、ただそれだけで胸が一杯になる。   「でもね。柚希が僕の唯一なことは、変わらないよ。生涯ね?」  和哉はまだ仔犬のように愛嬌が零れる瞳がすうっと細め、未だ花の下に佇む柚希の唇にゆっくりと自分のそれを近づけていく。柚希も絡みつくような夜の熱気に呑まれたように、僅かに唇を綻ばせて迎え入れる。 「は、あっ、んっ……」    柔らかな舌を吸い舐め上げただけで、路上でするには艶めかしすぎる吐息を漏らす番に、和哉はたまらぬ気持ちになって細い腰をビニール袋事引き寄せる。  零れる甘い、柚希の芳香。  色っぽく身をよじる細腰を掴み上げて、もっともっと深くつながりたくてたまらなくなる。

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