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知りたがり
ハァハァと息が切れる。駅に向かう人の流れに逆らうから、中々思う様に進めない。気持ちばかり先を急ぐのに、まるで通せんぼされてるようだ。
タクシーを呼べばよかった。
たった1駅だと、電車を選んだのが間違いだった。
担当作家との打ち合わせは思ったより時間がかかった。2時間あれば戻って来られると思っていた。
下り電車で遅延が出たのも時間のロスに繋がった。ついてない時はとことんついてないものだ。
今もまた、目的地の目の前で信号機に足止めをされた。
腕時計を覗き、赤信号を睨む。
とっくに時間は過ぎていた。
21時46分ー
間に合わなかったな…。
電車を降り、走ってここまで来た。
約束のホテルはこの信号の先。着いたところで待ち人はもう居ないだろう。
そうだよな…
あのまま帰ってしまったかもしれないのに
…何を期待してたんだか
喫茶店であの人を見つけて、いつもと違う何かを感じた。
仕事を優先させた事は後悔してない。それが失くなれば、自分には残る物が何もないからだ。
それでも他に、出来る事があったんじゃないか?聞き分けのいい振りして格好つけて、何も知らなくていい、何も欲しくないと虚勢を張ったのは、もう傷付きたくなかったからだ。
だから最後の最後まで、運に身を委ねた。
まるで夢見がちな子供だ。良い子で待っていれば、サンタクロースがプレゼントを持ってやって来ると思ってる。
運任せにした罰かもしれない。…それとも、こういう運廻りだっただけか。
どちらにせよ、手を伸ばさなかった自分のせいだ。
結局、名前も知らないまま終わってしまった。
肩を落とし息を吐いた。
「っ!」
突然、背後から肩を掴まれた。驚いて振り返る。
目の前に、もっと驚いた顔をした人物がいた。
「名前、」
なんで?
「…知らないから」
息を吐きながらそう言われ、驚きと困惑で言葉も出ない。
「…あ、の」
「ここまで追いかける羽目になった」
いつもの余裕ぶった大人の顔じゃない。
初めて見る慌てた姿に、逆にこちらが余裕を取り戻せた。
「こんなに走ったのは久々で」
…そうなんだ
追いかけてくれたんですね
「…ごめん、僕」
もう…
「会えないんじゃないかって…」
「もう、会えなくなるかと思った」
同じ言葉が同時に出て、また驚いて少し可笑しくなった。
信号が青に変わり、人波が僕たちの横を流れて行く。…ここだけ、時間が止まったみたいだった。
貴方も会いたいと、思ってくれていたんですか?
こうして雑踏の中で見るこの人がとても新鮮で、まるで初めて会う人みたいに思えた。
ならば自己紹介から始めなければ…、そう思っていると、目の前の大人は余裕を取り戻したようだ。
「ねぇ、キミの名前が知りたいんだけど」
あぁ、やっぱりこの人は大人だ
「名前、だけですか?」
なら、こちらも少しは大人にならなくては
「いや、キミの事が知りたい」
でも時間はかかりますよ?
「本当は面倒臭いやつですよ」
貴方と違って余裕なんて無いんです
「それでも、知りたいと言ったら?」
ようやく目を覚ましたばかりですから
「…貴方の事も、教えてくれますか?」
臆病で弱虫で…
本当は知りたがりな子供なんです
「もちろん。こんな面倒臭い男の事でよかったら」
ゆっくり、少しづつ、教えてください
「水島です。水島悠太」
ゆっくり、少しづつ、大人になりますから
「それが僕の名前です」
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