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その先へ

ベッドサイドに添え付けられたデジタル時計が 21:00を示した 時間だ もう帰ろう とうとうキミは来なかったな 上着の内ポケットから財布を取出し 紙幣を数枚サイドテーブルへ置く ポケットに財布を戻し 投げ出したコートを掴むと 振り返る事なく部屋を出た エレベーターに乗り込み1階へ降りる 狭いエントランスホールから外へ向かう フロントには外出すると鍵を預けたが もう戻る事はないだろう 約束の時刻は20時 1時間待ったが待ち人は現れなかった 最初に決めた終わりの合図だ 春先から半年が過ぎた 今はもう11月 そろそろ潮時だ これ以上続けていたら いらぬ詮索をしてしまうだろう 結局 名前すら知らないままだったな 何度も会って 何度も抱き合っていたのに 最初にあんな約束をするんじゃなかった どうせすぐ飽きると思っていた なのに半年以上も関係を続け 好みじゃなかった容姿も次第に 自分の下で乱れる姿を見続けて 情が湧いたのか 逢瀬を重ねる度に もっと乱したい もっと啼かせたい そう思うようになっていた ここ最近は もう無理と言われても なかなか離してやれなかったな 会う度抱く度に感度が上がっていく様子に 男心を擽られた 俺じゃなきゃお前は満足しないだろう そんな優越感とも独占欲ともつかぬ感情 これはもう単なるセフレに抱くものじゃない 大体セフレって… 友達でもないだろうに 何がフレンドだよ 名前も歳も知らないなんて 知り合い以前じゃないか もっと話しをすれば良かった さっきあのホテルの一室で 名も知らぬキミを待つ間 ずっと考えていた 今夜キミが現れたら 遅れた言い訳を聞いてやろう どんな理由でも 俺はきっと許してしまうだろうけど 少し不機嫌な素振りを装いながら 困り顔のキミにこう告げよう 名前を教えてくれたら許してやるよ それから もう少しだけ 面倒臭い関係に進んでみないか 駅の上り線ホームで電車を待ちながら 叶う事のなかった時間に想いを馳せる この感情は知っている だいぶ昔に一度だけ経験した事がある 喪失感だ もう二度と 味わいたくはなかったのにな アナウンスが上り電車の到着を告げる 一足先に着いていた向かい側の下り電車が動き出す頃 目の前に電車が着いた 吐き出される人波をやり過ごし中へ乗り込む 車内は然程混んではいない 反対側の閉じたドア付近へと進み 向かいのホームに溢れ出した人混みを 見るとはなしに眺める のんびり歩くサラリーマン 疲れた足取りのOL 時間を気にしながら足早にホームを走る青年 はしゃぐ学生服の三人組 ああそうだ こんな時携帯の番号を知っていたら ホームに出発音が鳴り響く 踵を返し閉まりかけたドアをすり抜けた もっと早く名前を聞いておくんだった プシューっと大きな溜息を吐き出した電車が動き出す 機械音を唸らせながら加速していく電車を追いかけるようにホームを走った 呼び止める術を持たない事が こんなにも煩わしいなんて 階段を二段飛ばしに駆け上がるなんて学生の時以来だ 息せき切って改札を抜けた どんな面倒事よりも 失って後悔する事の方が もっと苦しいと知っているから 人垣をかき分け出口へ向かう 誰かの肩にぶつかり舌打ちされる すみませんと口先だけの謝罪を数回繰り返した 見渡した人波の先に探していた後ろ姿を捉えた 先へ先へと気持ちばかり焦っても 言葉が出てこない 待ってくれ 今追いつくからそこで立ち止まってくれ そう思ってもエスパーじゃないんだし 伝わる訳無いじゃないか ちゃんと話しをしよう 次はもっとお互いを知り合おう 面倒だなんて言わないから 交差点の信号が赤に変わった 息を整えゆっくりと進む 腕時計と赤い信号を交互に睨む頼りない肩に ポンと手を置いた ビクッと跳ねた身体ごとこちらを見たキミが あんまりにも驚いた顔をして 俺を見るものだから こちらまでびっくりしたじゃないか 「名前…」 「え?」 「知らないから」 びっくりし過ぎて かける言葉も迷子になった 「駅からここまで追いかける羽目になった」 「あ…の」 「こんなに走ったのは久々で」 「…ごめん、俺」 「もう…」 信号が青になる 俺達を残し人波が動き出す 「会えなくなるかと思った」 「会えないんじゃないかって…」 同じ言葉を同時に吐き出し 互いに驚き視線が合う 先に笑ったのはキミだった いや、それとも俺か どっちだっていいか 考えていた事は同じなんだから さて そろそろ本題に移ろうか 「ねぇ、キミの名前が知りたいんだけど」 「名前、だけですか?」 「…いや、キミの事が知りたい」 「俺、本当は面倒臭い奴ですよ」 「それでも知りたいと言ったら?」 「…あなたの事も、教えてくれますか?」 「もちろん。こんな面倒臭い男の事でよかったら」 はにかむ様な笑顔のキミが とても愛しいと思った

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