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投石②

「吸ってもいいか?」 いつもそう聞いてくれた。 煙草の煙は苦手だったけど、あの人が吸ってる姿は嫌いじゃなかった。とても似合ってたから。 吸い込む時に片目を眇める仕草が色っぽくて、薄目を開けていつもこっそりと眺めていた。 そうだ…  あの時の、…達する時の表情に似てるんだ 思い出してドキッとした。 心なしか頬が熱い。きっとだらしのない顔になっている。 どこからか流れてきた煙草の香りに、秘事を連想させるなんて。 随分と馴らされたな 当たり前か…。 半年間、10日と空けずに抱き合っていれば、詮索しなくても癖や仕草は自然と覚える。 それでも切れる時はあっという間だ。そういう関係を望んだんだ。 ブーッブーッブーッ 突然、テーブルに置いた携帯が震えた。 マナー違反だと思ったがその場で応答した。 相手は担当する作家先生からだった。 極力声は抑えたが、真後ろの人物には聞こえているだろう。申し訳ないとは思いつつ話を進めた。 先日反故にされた次回作の打ち合わせを、今からしたいとの連絡だった。 時間を確認し、頭でスケジュールを組み立てる。 20時には難しいけど、21時迄には間に合うはず。 1時間もあの人が、待っていてくれればだが…。 とにかく早く仕事を済ませなくてはと、伝票を掴んで席を立った。 会計を済ませ店を出る。 ドアを括る時、目の端に奥の窓際席に座る人物を捉えた。 …あれ? そのまま雑踏に紛れて大通りを目指した。 ふと、振り返り店を見た。人垣の隙間からオレンジ色の窓硝子が見える。 窓越しにこちらを向いている人物が映った。 慌てて背を向けまた歩き出す。 心臓が変な音を立てて暴れている。 なんで… 大通りまで出てタクシーを拾う。目的地を告げ、車窓から今来た道を振り返る。もうあの店は見えない。 見えないのに、さっき目に飛び込んできた後景が頭から離れない。 店のドアを括る時、居るはずの無い人が見えた。 まさかと思い振り払う。けれど気になって、やはり確かめずにはいられなかった。 人混みに紛れて、身を隠すように伺った。オレンジ色の窓硝子。その向こうに見覚えのある人がいた。 この半年かけて癖も仕草も、好みの煙草の香りまで、嫌というほど覚えてしまった人。 なんでそこにいるんですか? ざわざわと胸の辺りが落ち着かない。 “なぜ”と“どうして”ばかりが頭を巡る。 電話の内容を聞かれてた? …大丈夫。名前は名乗らず応対したのだし、そこはギリギリセーフだろ? 仕事は? もしかしたらバレたかも。 …これはアウトか? 今夜、もしも時間に間に合わず僕が現れなかったら、あの人は僕の事を探してくれるだろうか…。 あの喫茶店へ、また足を運んでくれるだろうか。 …それとも面倒な事を知ってしまったと、あのまま帰ってしまうかもしれない。 もしかしたら、二度とあの店には訪れないかも…。 詮無いことをグルグルと考えていた。 車が止まり、目的地で降ろされる。 去ってゆくタクシーの赤いランプを、今すぐ戻ってしまいたい気持ちと一緒に見送った。 今夜が最後かもしれない… それなら全てを運に任せてみようか もしこのまま終わるなら、これから先は仕事だけを生きていく糧にしよう もし終わらず続くなら… 名前くらいは聞いてみよう 仮にあの人が、それを望まなくてもいい。 せめて最後に、僕を優しく抱いた人の名前くらい、覚えていたいと思うから。

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