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第9話 惹かれる 4/9

伊織さんは僕に『妻』を求めないとは言ったけど、一生添い遂げる相手と言って歩み寄りを見せてくれている。だからだろうか。 伊地知さんは僕に『妻』を求めるのではなくて、『完璧な社長婦人』を求めているのは分かる。だから厳しくなるのも仕方ないし、さっきのように僕の今ある状況を突きつけもする。 伊織さんが優しいからと言ってそれに甘えてはいけないのだと……。 何もしなければ呆れられて追い出されるかもしれない。 失敗ばかりで伊織さんを煩わせれば返されるかもしれない。だけど、伊織さんは会いに来てはくれない。伊地知さんに怒られるばかりだ。 怒られていじけていてはさっきのように会社の買収と借金の肩代わりを楯にされる。 テラスの椅子に座って置き忘れられた伊織さんのハンカチを握り締めた。 手が痛かったけど、胸の苦しみに比べればたいした事はなかった。 嫌われる手立てもみつからないまま日々は過ぎていく。2日と開けずにやってくる伊地知さんは日に日にイライラしている。 今日は歩き方について教わっていた。 どこから用意したのか伊地知さんは自分もピンヒールを履いていて、スーツにピンヒールという可笑しな格好であるはずなのにその立ち居振る舞いはとても自然で美しかった。 僕は馴れないヒールに躓くし、お辞儀をすれば前のめりに倒れるし、まっすぐ立っていることも難しいという有様。 「ですから、膝が開かないようにしっかり力を入れて……何度言わせれば身に入るのですか」 「すいません」 「ドレスを着た時には足元は見えませんよ。そんなことでは恥ずかしくて外に出せません」 「私だって一生懸命やっているんですっ」

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