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噂のふたり

「気持ち悪りぃんだよっ」  二度と姿見せんな、と吐き捨てるように言ってその場から逃げ出した。  胸クソ悪いったらない。どうして俺があんな陰キャのキモ男に好かれなきゃならないんだ。  隣のクラスの佐倉波瑠。チビで根暗でボッチの陰キャ。目立たないどころか、いるのかいないのかも分からないくらいの埋没キャラだ。3年の、もうすぐ卒業っていうこんな時期になって初めてその名前を知った。1年の時は同じクラスでもあったらしいが、正直記憶にすら残っちゃいない。  そんな道ばたの石ころ以下の男から、事ある毎に見つめられ付き纏われ、挙げ句『好きです』なんて告られた。 「何なんだよアイツっ!」  まったく迷惑な話だ。男に好かれて喜ぶ奴がどこにいるんだよ。しかもあんなキモ陰キャ。野暮ったい真っ黒の髪、生っ白い不健康そうな肌、サイズの合ってないダブダブの制服。あんな奴に告られても自慢どころか汚点にしかならない。 「黒歴史もいいところだっ」  腹立たしい。  絶対記憶から抹消してやる!  イライラしたままその日は帰宅し翌日以降卒業するまで、俺は佐倉波瑠を極力視界に入れずに過ごした。あれだけキツく振ってやったんだ。当然夢も希望も木っ端微塵になっただろう。恨むなら俺を好きになんかなった自分を恨め。  卒業式の後、一度だけ佐倉の姿を目にした。相変わらずボッチで俯き加減に校門を去って行く後ろ姿をちらりと見やって、心の中で『二度と俺の視界に入るんじゃねぇ』と悪態をついた。  ーーー…2年後   「いい加減にしろっ、コソコソしててもバレてんだよ! このストーカー野郎っ」  人目を避けた狭い裏路地で胸ぐらを掴み上げ、俺は佐倉波瑠のビクついた顔を睨みつけた。  卒業式の後の春休みは本当に平和だった。煩わしい視線も鬱陶しい姿も消えて清々してた。なのに、大学の入学式後のオリエンテーションで再びこのストーカー佐倉の姿が目に入った。まさか進学先までくっついて来てるとは思いもよらなかった。  気付いた時は何の冗談かと思った。見間違いだと何度も自分に言い聞かせた。ーーが、この纏わりつくような視線と野暮ったい姿は間違えようもない。ムシャクシャしてついズカズカと詰め寄った。 『テメェッ、何のつもりだよっ!』 『ヒッ、ご、ごめんなさいっ、大学が一緒なんて、知らなかった』  知らなかったなんて嘘だ。俺の後を追って来たに違いない。どこまで神経を逆撫ですれば気が済むんだ。 『あんだけ酷く振ってやったのにまだ分かんねぇのかよっ! 目障りなんだよっ、とっとと失せろっ』 『わ、分かってるよっ、本当に、し、知らなかったんだってば』  半ベソをかきながら口応えするのにもムカついて、突き飛ばすように手を離した。  尻もちをついた佐倉に向かって『今度その顔見せたら、学校中にお前がホモだって言い触らすからな!』と脅し文句を突き付けた。  そして今だ。  佐倉は相変わらず俺の周りをうろちょろしている。今朝も学校の最寄り駅に降りた途端その姿が視界の端に入り込んだ。俺が気付いた事にコイツも気付き、そそくさと物陰に隠れようとオロオロしやがった。その様子一つ取っても無性に腹が立つ。今更隠れたってもう遅い。暫くは見なかった事にして知らんふりを決め込んだが、あのチリチリとした視線を背中に感じたまま学校まで歩かされる事に段々と嫌気がさした。 「何で後ろから着いて来んだよっ!」 「しし、仕方無いよっ、 つ、通学路なんだから」   「口応えすんじゃねぇ!」 「ヒィッ! ご、ごめん、ごめんなさいっ」  チッ! ビクビクしやがって。そんなにビクつくならもっと考えて行動しろよ。時間ずらすとか道順変えるとか、色々あんだろーよ。 「ーーーまーたやってんのかぁ?」 「ああ"っ!?」 「うぐっ!」  不意に横から声を掛けられ、佐倉の胸ぐらを力一杯捻り上げた。変な声を上げたビビリストーカーに気付きポイッと投げるように手を離した。  あ…、と思った時にはもう、佐倉の身体は声の主である男の腕の中にあった。 「お…っと、大丈夫? 波瑠ちゃん」 「はああぁぁぁっ、はは、はいぃぃっ」   「ーーーーチッ」  声の主、松前孝宏は佐倉を片腕で支えると、その顔を覗き込むように俺に後頭部を見せてきた。  気色悪いったらない。なぁにがっ『波瑠ちゃん』だよ。 「島崎…。 あんまり波瑠ちゃんを苛めるなよ。小学生か?」 「ぁあ"!?」  苛めてる訳じゃねぇ。単純に気に食わないだけだ。いつまで経っても纏わりついてくるそいつが悪いんだ。 「あああああ、あの! 僕っ、僕が悪いんです! 島崎くんごめんなさいっ、も、もう先に行くからっ、それじゃ!」 「あ! 波瑠ちゃん!?」 「ーーーーーチッ」  脱兎の如く逃げ出した佐倉は、30mも進まない内に何かに躓いて派手にすっ転んだ。まったくなんて鈍くさい奴だ。 「い…、痛たたた……」   「っにやってんだよ! 急に走るんじゃねぇ!鈍亀のクセにっ、」  首根っこ掴んで引っ張り起こし、そのまま連行するように歩き出す。放っておくとまた誰かに迷惑をかけるに違いない。 「や、あああのっ、島崎く…、放してよ」 「ぅるっせーっ! いいからさっさと歩けっ」 「ううううぅぅ……」 「唸ってんじゃねぇ!」  何でこいつはこうも苛つかせるのか。やる事なす事腹が立つ事ばかりだ。先ず存在自体が煩わしい。ダブついた制服姿もムカついたが私服もなっちゃいねぇ。今どき茶色のダッフルコートなんて女子高生でも着てねぇぞ。しかも袖丈が合わないオーバーサイズ。つーか、このクソ寒い真冬に手袋もマフラーも着けないとか分かってなさ過ぎだろ。先週も鼻水垂らしながら俺の後ろを付き纏ってたクセに。 「おいっ、テメェ。 手袋とマフラーはどうしたんだよ? また風邪ひきてえのかっ」 「ああぁ、あのっ、 か、鞄の中に…」 「はぁあ!?」 「ヒッ! だって、電車の中、暑かったから…、」  だったら電車降りた時に出しておけ、という文句は面倒くさくて舌打ち1つで飲み込んだ。本当にコイツは、俺をイラつかせる才能だけは一人前だな。 「あ…? し、島崎く、…ん、ぶっ」  無言のまま俺の巻いてたマフラーを佐倉の首元にぐるぐる巻き付ける。腹が立つから顔の半分ほど隠すように鼻先まで覆ってやった。 「顔なんか晒して歩くんじゃねぇっ」 「もご、ふご、…っ、」 「もごもご喋るなっ! 黙ってろ!」  左側の手袋を外し、一回り小さい佐倉の左手に被せた。外気に晒されて冷たくなってる右手は引っ掴んで握り、一緒にコートのポケットの中へしまう。  よし。これならちょろちょろと周りを彷徨かれて鬱陶しい思いをする事も無いし、鈍くさい姿をうっかり見ちまう事も無い。ストーカー行為をされる事も無けりゃ、誰かに迷惑をかける事も『波瑠ちゃん』なんて呼ばせる事も無いって訳だ。  こんな撃退方法を編み出すなんて、俺、天才だな。お陰でだいぶイライラも治まってきた。  それにしても小せえ手だな。ホントに男か?こいつ。 「あのっ、あのっ、…島崎くん?」  ーー…チッ。喋んなって言っただろーが。無視だ、無視っ!  「ああ…、あのっ、歩きにくいよ。 手、放して…」 「うるせーなぁ」 「み、みんな見てるしっ、 は、恥ずかしいよぉ」 「自業自得だっ、黙って恥晒しとけっ!」  チラリと左側を見やると、マフラーで隠しきれなかった目許をピンク色に染めて眉尻を下げた佐倉がいる。  クソっ、何だよその顔はっ! そんな顔を世間に晒す方が恥だろーが。 「ぼっ、僕じゃなくて。 島崎くんはいいの? 見られてるの、僕だけじゃなくて、し、島崎くんもだよ?」  だから何だよ。 オメェに心配される筋合なんかねぇ。それよりぺらぺら喋ってるその煩い口を綴じろ。 「お、お…、男同士だし、い、嫌なんじゃ無かったの? き、気持ち悪い…って、言ってたじゃないか……」  遠巻きにうろちょろされる方が目障りなんだよ。それに俺のダチに、ちゃん付けで呼ばせる方が気色悪りぃ。 「ぼ…、僕はどう思われても構わないけど、島崎くんまで変な噂立てられたら、僕…、僕、」 「あーっ、うるせぇなっ!!」  人がせっかく隠した口許のマフラーをブカブカの手袋を着けた手で押し下げて、あーだこーだとぺらぺら喋るその口を、喰むように塞いでやった。  ほらみろ。唇まで冷たくなってんじゃねぇか。 「ーーーーっっ!?」 「テメェに心配される筋合ねぇんだよ、このばーかっ」      よし。黙ったな。……てか、息してんのか?   ま、静かになったからどうでもいい。  鳩が豆鉄砲を食ったような顔をマフラーで覆い隠し、フラフラとした足取りの佐倉の手をポケットの中で繋いで連行した。びっくりするくらい冷えてた手が、ようやく温まってきた事に気分が上がる。    次また煩い事を言ってきたら、今度は舌を挿し込んでやるからなっ。  覚えとけ、この陰キャお節介野郎。 ◇ ◆ ◇ 「うわぁ…、島崎やりやがった」 「あ~あ~…、波瑠ちゃん生きてるかな?」 「朝っぱらから衆人環視で男同士のキスとは……。流石イケメンのやる事は違うね」 「知ってる? アイツ等あれで付き合ってないんだぜ」 「マジ? …でもま、俺達は女の子を狙うライバルが、一人でも減る事はありがたいよな」 「そーそー。島崎なんか黙ってたって女子ホイホイだし?」 「佐倉様様だな」 「いやマジ、ありがたい」 「波瑠ちゃ~ん、がんばれよー」 ーーー等と噂されている事を、島崎はまだ知らないのであった。

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