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僕はヴィラン Side波留
物語にはいつだって主人公がいて、スポットライトを浴びている。
僕の物語の主人公は、光り輝くその中心に恍然と君臨する正義の味方。島崎夏彦くんだ。
高校生までの僕は、僕自身が主人公の物語の中にいた。
意気地無しで弱虫で、逃げ回るばかりの主人公。なんて格好悪いんだろう。
その物語の中に、ある日突然現れたヒーロー。暗雲ばかりが立ち込める僕の世界に、彼は一筋の光を射してくれた。
その光に励まされ、なけなしの勇気を振り絞って戦うと決めたのに、やっぱり僕は意気地なしの弱虫だった。
決して消してはいけない光を、僕はまた弱い心で闇に埋もれさせてしまった。
悔しい…。淋しい…。悲しい…。
絶望と底なしの罪悪感に押し潰されて、僕は僕の物語から主人公を消した。
主人公のいなくなった僕の物語は、ぼんやりと色のない世界になって、その内綴られるものすらなくなって、いつか誰かの物語の1ページとして埋もれていくんだ。
ああ、そんな脇役もいた気がするね。
なんて、名前すら誰の気にも留められずに、ぺらりと捲られておしまいだ。
どうせ誰かの1ページなら、僕は島崎くんの物語の一部になりたい。たった一行だけでもいい。島崎くんの物語に、ほんの少し関われたら、それだけで……───
───────って!
それでよかったんだよ!?
そうじゃなきゃダメだよ!!
ダメなんだってばーーー!!!
「おい、いい加減にしろよ! 湿布貼るだけだろーが! ほら、さっさと尻を出せって!!」
「ぅわっ、やだぁーーっ!! うぅ……うぇぇえぇぇん」
なんで!?
なんで僕のヒーローが、僕のズボンを脱がしてるの!? パンツをずり下げてくるの!!??
「ったく。手間掛けさせんな! ……ここか?」
「ひゃいっ、ったぁ!」
滑って思いっきり尻もちをついた場所を、島崎くんがぎゅっと押す。い、痛いぃ……っ。
パリパリとフィルムを剥がす音の後、ズキズキと痛む尾てい骨の辺に、ペタリと冷たいシートが乗っかった。
「ぃ…、っ、……う?」
そう……。
乗っかったんだ。
「ほら。終わったぞ」
「…………………」
や……、優しい!!!!
やっぱり島崎くんはとんでもなく優しい人だ!
僕はまた、痛いところをぎゅっとされるんじゃないかとビクビクしてたのに。優しい島崎くんは、そっと湿布を患部に乗せてくれた。僕が、痛い思いをしないように……。
それなのに、そんな神様のように慈悲深い島崎くんを、僕は一瞬でも疑ってしまった。
───ああ、そうか。
この物語の悪役は紛れもなく僕だ。成敗されて淘汰されるのは僕の役目なんだ。
高3のあの日から、僕は彼にとって『気持ち悪い』存在だもの。毎日毎日、意図してなくても遭遇してしまうのも、その度に怒られたり怒鳴られてしまうのも、僕が島崎くんの物語に存在するヴィランだから。ならばいっその事………。
「おい、何時までメソメソしてんだ。講義に遅れるからもう出るぞ。そんなに痛てぇなら、てめぇはそこでくたばってろ。昼までここから動くんじゃねぇ」
「………………きくん」
「松前に荷物持たせたまんまだからな。俺は先に行く、」
「島崎くん!」
それはらばいっその事、悪役らしく振る舞ってみせるよ!
「あ?」
「ぼ、ぼぼぼ、ぼぼ僕は、お、お尻がとてもい、痛いです!な、なので、こ、ここここ、こう、こう、講義室まで、おお、おおお送って貰えたら、と! …おお、おおお思います!」
与えられた役目を立派に熟して、少しでも長く島崎くんの物語に存在したい。
どうせ最後は、消えるだけの悪役なんだもの。ただの雑魚でもなりきって、思いっきり印象を残しておきたい。
「…………………………」
「………………………、ひぃ、……っ、」
ジロリと睨まれ決意が鈍る。
やっぱり怖い。
ごめんなさいぃーーっ!!!
「いいぜ。……送ってやるよ」
「………ひぃ! ぇ、いや、あの、 ぅ、わあぁぁぁ!!?」
ドスの効いた低い声で言うやいなや、荷物のようにベッドの上から持ち上げられたかと思ったら、物凄く間近に島崎くんの顔がある。
「ぃ、や!あの、ごご、ごめんなさい、嘘です!ぼ、僕、自分で歩きます!歩けます!お、降ろしてくださいぃ」
「うるっせぇな!送ってやる、つってんだから、有り難く黙って抱えられてろよ!あんまゴチャゴチャ喋ってんとまた舌噛むぞ!」
ヒイィィィ!!!
こ、こここここ、こここここれは!!
仕切りのカーテンから処置室に出ると、白衣の保健医が呑気にお茶を啜っていた。
「先生。悪いけどドア開けて貰っていいっすか」
僕を抱えた島崎くんが保健医に話し掛けると、それに気付いた様子の先生は徐ろに立ち上がり、何やら耳の辺りをモゾモゾと触った後、「もういいのかい?」なんて、呑気にドアへと足を運んだ。
というか、先生!?
この状況を見て、何の感想もないんですか!?
おかしいですよね!? 変ですよね!? お願いですから、指摘してくれませんか!!
どうして見ない振りをするんですか!!
「ああぁの、し、しし島崎くん!お、降ろしてください!歩きますから! 僕、ちゃんと歩けますからぁ!」
やっぱり僕には悪役なんて無理だよ!
大体どこの世界に、悪役をお姫様抱っこするヒーローがいるの!?
「ああ、いいね。それなら転んだりしないね。佐倉くん、あんまり怪我ばかりして、島崎くんに心配掛けちゃ駄目だよ。じゃ、お大事に」
「せ、先生ぇ!!ぼ、僕は歩けるんです!だから、島崎くんに、降ろすように言ってくださ、」
「おら喋んな!黙ってろって、言ってんだろーが! じゃあ先生、また何かあったら頼むよ」
「はいは~い」
保健医がひらひらと手を振り見送る中、僕を横抱きに抱えた島崎くんは颯爽と校舎を横断する。
あちらこちらからの視線が痛い。情けなさを通り越して、僕は今、恐ろしい程の羞恥の渦に巻かれた。その恥ずかしさに耐えきれず、空いた両手で顔を覆う。
まったく……。とんだへなちょこヴィランだ。
それにしても、島崎くんは本当にいいのだろうか。僕のような悪役にさえこんなにも優しくて、こんなにも親切で。
何時か本物の悪の親玉に、騙されたり傷付けられたりしないだろうか。
そ…、っと、指の隙間からその顔を覗き見る。
このアングルの島崎くんは初めてだ。
高い鼻、尖った顎。キリッとした眉にくっきりとした二重の目。意外と睫毛が長いんだな。……かっこいい。
「おい。何見てんだよ」
「ひぁ! ご、ごごご、ごめ、……っ」
意志の強そうな瞳と勝ち合って、思わずギュッと目を瞑る。
「………ふん」
「は……、ぅ…っ」
薄目を開けて覗いたその片頬が、少し上がって口の端を吊り上げる。
その格好良さが堪らなく………
「………好きでふ」
「そーかよ」
何時か……──。
何時か島崎くんに最悪の災いが降り掛かったら、僕はこの身を挺して彼を守ろう。彼の為なら、こんなちっぽけな命すら惜しとも思わない。
だって僕は、ヒーローに心を奪われたヴィランなのだから。
島崎くんを好きになってよかった。
僕にももう一度、自分が主人公の物語を綴れるかもしれない。
スポットライトは当たらなくても、大好きなヒーローが活躍出来るような、立派なヴィランを演じてみよう。嫌われ者の悪役は、物語には必要なキーマンだ。
「大好きです」
「知ってんよ」
僕、頑張ります。
窓から射し込む明るい陽射し。雨上がりの梅雨の晴れ間に、夏の気配が色濃く映りその眩しさに瞼を閉じた。
傍から見たら何とも滑稽だろう。もしかしたら、島崎くんを好ましく想っている人から恨まれてしまうかもしれない。
でも、いいんだ。
僕は悪者だから。こんな風にヒーローを独り占めして、恨まれるのも役目の一つ。彼に迷惑を掛けるお邪魔虫。それを忘れずにいればいい。
ごめんなさい、島崎くん。
君が好きです。大好きです。
どんなに疎まれても、嫌われても、この気持ちだけは変えられそうにありません。
揺ら揺らと、島崎くんの歩くリズムに合わせて揺られながら、僕は何だか胸が熱くて、何故かとても泣きたくなった。
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