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噂のふたり 2nd
冬が終わり春が来て、俺は3年目の大学生活を順調に突き進んでいる。そろそろ夏に向かう季節。ジメジメとした梅雨の長雨にうんざりとしながら、今朝も駅から続く通学路を傘をさして歩いていた。
「よ、島崎おはよう。今日もまた雨だなぁ」
「ああ」
後ろから追い付いてきた友人の松前孝宏が右隣に並んだ。どうやら同じ電車だったらしい。
学部も出身校も違うのに、こいつとは入学早々からつるんでいる。もう3年の付き合いだ。きっかけは何だったか忘れた。気が付いたら隣りにいて、自覚した時には友人だった。いつも勝手に喋りかけてくるが、鬱陶しいと感じることもなく邪魔にもならねぇ絶妙な距離感に感心する。元々人付き合いが得意なんだろうな。俺の学部の友人達ともいつの間にか仲良くなってるし。図々しい所もあるが押し付けがましくはないし、結構気の利くいい奴だ。大学からの友人としては一番気に入っている。
ただ一つ欠点があるとしたら……
「波留ちゃんもおはよ!」
「ひや…っ! お、おは、おはようございます、松前くん。け、今朝も、生憎の雨ですね」
小脇の荷物に馴れ馴れしく話しかけるところだな。これだけは未だに納得いかねぇ。クソキモいその呼び方も正直言えば止めさせてぇし。
だがそれ以上に、このお荷物が妙に懐いてるのが一番気に食わない。
「……おいコラ。誰が喋っていいっつったよ。ぁあ"?」
「ふんぶ……っ」
ヘッドロックの要領で首に回した手で鬱陶しい口を塞ぐ。……ったく。荷物のくせに言葉を使うんじゃねぇ!
ふがふごと小脇の荷物がジタバタし始めた。
「暴れんな! 濡れんだろーが!」
「島崎……。それ、波留ちゃん息出来ないぞ」
よく見たら口だけを塞いだつもりが鼻まで覆ってた。チ…ッ。なんつーちいせぇ顔だよ。仕方無く顔を半分覆っていた手を離し、代わりに薄っぺらい肩を掴んだ。ぷはっと息を吐き出した勢いで前のめりに躓きそうになるもんだから、ギュウギュウ脇に押し付けるように抱え込んだ。途端にまたモゾモゾと動き出す。だからっ、暴れんなよ!
雨さえ降ってなきゃ抱えられんのに、流石に片腕じゃそれも難しい。せっかく編み出したストーカー撃退法も、傘を持ったままじゃ何の役にもたたねぇな。
「テメェ、いい加減にしろよ!傘から出んじゃねぇって、何度言えばわかんだよ!」
「ぃや、あ、あああのっ、僕。か、傘持ってる、から! 自分で、さして歩けま………」
「テメェ一人分が歩くスペースが無駄だっつってんだよ。どうせ背後からチョロチョロ着いて来んだろーがっ。大人しく荷物になってろ!」
「ううぅ……、ぁう……」
「ほら波留ちゃん。傘と鞄貸しな。俺が持ってってあげるから」
右側から腕を伸ばした松前が、サッとお荷物が抱えてた傘と鞄を取り上げた。おお。お陰で抱えやすくなったな。
うん。やっぱりこいついいな。こういうさり気無い行動が出来るところ。すげぇ重宝する。
「悪いな、松前」
「いいっていいって。それより二人共濡れないでよ。風邪なんかひいて休まれちゃ、俺がつまんないからさ」
「ああっ、あの! ぼ、僕なんかの荷物を、松前くんに持たせるなんてっ、申し訳な、」
「っる、せーなぁ。じっとしてろよ!背負うぞっ!!」
「あ!いいんじゃない? そうしなよ! 背負って波留ちゃんが傘持てば絶対濡れないし、省スペースだしね!島崎の鞄も俺が持って行くからさ!」
おー、流石だな。そりゃいい。
「お前、すげぇな。天才かよ」
「お褒めに預かり光栄です」
「いい、いやっ、あのっ、そ、そんなご迷惑を」
「ウダウダ言ってんじゃねぇ! さっさと乗れっ」
「ほらほら波留ちゃん。早くしないと他の歩行者の迷惑になっちゃうよ?」
しゃがんだ俺の背中にグズグズしてる荷物を乗せて立ち上がる。
「おら傘。しっかり持ってろ。もう動くんじゃねぇぞ」
「ぅぅ……、はいぃ」
俺の肩から回してきた手に傘の柄の真ん中辺りを掴ませた。よし。これなら俺も荷物も濡れねぇな。脇に抱えるより楽ちんだ。
「それにしても波留ちゃん。さっき駅前で随分と派手に滑ってたみたいだけど大丈夫? また捻挫なんかしてない?」
「ぇあ? や、あの、その…」
「ああ、足は大丈夫そうだが、念の為このまま保健室に直行する。悪いが俺の鞄と、コイツの荷物もそこまで持って来てくれるか?」
「もちろん! 任せろ」
「あぁ、そんな……。松前くん、すみません。僕が鈍臭いばっかりに、とんだご迷惑をお掛けして……」
担いだ背中のお荷物野郎、佐倉がまたウダウダと言い訳し始めた。うるせぇな。人の頭の後ろでモニョモニョと喋ってんじゃねぇよ!息があたって耳が擽ってぇんだよ!
ああそうか。背中に乗せると口を塞ぐ手段が無くなるな。やっぱり抱えるなら前からだ。雨さえ降ってなきゃ今すぐそのぺらぺらと小煩い口を塞いでやんのによ!
「テメェは口開くんじゃねぇ!黙って大人しく背負われてろ!」
「いっ、ひゃいっ!!」
パンッと肉付きの悪い尻っぺたを叩いてやる。
さっきすっ転んだ時に思いっきり尻もちをついたから相当痛かったんだろう。…ふん。ざまーみろ、だ。だいたい、人の後をうろちょろ着いて歩くからバチがあたるんだ。
毎日毎日よく飽きもせず、このストーカー野郎は俺の周りを彷徨いている。目障りだわ鬱陶しやら。本当に苛つく奴だ。おまけにグズで鈍臭い。何にもない平坦な所で躓いたり転んだり。まったく見ちゃいられねぇ。
「あはは。なぁ、島崎。そのまま走って先に行けば? 波留ちゃん、肘のところ擦りむいて痛そうだよ? 後から荷物は届けてやるからさ」
「……だな。んじゃ、先に行く」
よく見たら傘の柄を掴む左肘と左手にも擦り傷が出来ていた。松前に言われるまで気付かなかったのか。
……何だコレ。やけに腹がもやもやする。本当にこいつが絡むと訳のわからんイライラが募って嫌になる。
クソッ!この小癪なストーカーめ!俺の友人に心配なんかされてんじゃねぇよ!!
「い、いや、そんな。大した傷じゃないので!それにお、重いからっ!僕、じ、自分で歩きま…」
「もー黙れっ!舌噛むぞ!」
なーにがっ、重いから、だ!馬鹿にすんじゃねぇぞコラッ!テメェみたいなちんちくりん一人、背負ったくらいじゃ屁でもねぇんだよっ!だいたいこんなに軽いから、ふらふらし過ぎてすっ転ぶんじゃねぇのか。ちゃんと飯を食えっ!
およそ成人男子とは思えない軽い荷物を背負ったまま学校まで走った。
「おいテメェ。も、ちっと肉つけろ!軽すぎなんだよっ!担いだ気がしねぇ」
「ぃあ、んぐ……っ!」
あ、今絶対舌噛んだな。……ったく。
保健室のある第一校舎に辿り着き、傘を奪って荷物を降ろす。
振り返り見下ろした佐倉は案の定、口を押えて涙目だ。
「おら、口開けて見せてみろ」
むにっと顎を掴んで上向かせ、うあ…と開いた口内を確認した。
顔に似合ったちいせぇ舌から真っ赤な血が滲んでやがる。
だから喋るなって言ったのによ…。
あっちからもこっちからも流血しやがって。
「あぁ、あろ…、ら、らいりょーう、れ……、ふ、んっ!!??」
べろっと滲む血を舐めといた。鉄臭さが口に広がる。あー、こりゃ結構思いっきり噛んだな。
「……っ!……っ!!……っ!!??」
「暫く熱いもん食うなよ。滲みんぞ」
まぁ、口ん中だし、ほっといてもその内血は止まるだろ。それより何だよその顔は。茹だったタコみてーだな。
「何泣いてんだよ。そんなに肘の傷が痛てぇのかよ。大して暑くもねぇのに半袖シャツなんか着てっからだろ。テメェはよくすっ転ぶんだから、ケガしたくなきゃ肌なんか晒すんじゃねぇよ」
「はひぃ……、ご、ごえんなひゃぃ……」
何だよ、やけに素直じゃねぇか。そんなに擦りむいた肘が痛えのか。
二の腕を掴んで血の滲む左手を見た。大した傷じゃねぇが、消毒くらいはしとくか。後から預けた荷物も届くことだし、こいつは保健室に連行だ。
コンコンとノックをして応えは聞かずそのままガラッと扉を開けた。白衣を引っ掛けた保健医は、俺と目が合うとちょっと嫌そうに口の端をひく付かせた。
「またキミ達か…。今朝は何? 捻挫? 貧血? それとも虫刺され?」
「怪我。すっ転んで擦りむいた。消毒しといてください」
「ああぁ、あの!た、大した事はなくて、ですね、」
「あー、はいはい。佐倉くんは黙ってそこに座ろうか。後ろの保護者が煩いからね」
保健医は呆れ顔で溜め息を吐きながら佐倉の擦りむいた肘に消毒液をぽんぽんと付けていく。傷に滲みるのか狭い眉間に皺を寄せて、うぅぅと唸る。まったく根性ねぇな。呆れて文句も思いつかねぇ。
「それにしても佐倉くんさぁ。キミ本当によく転ぶよねぇ。もう、一層のこと島崎くんに、手でも繋いでて貰えばいいんじゃない? ねぇ、島崎くん。その方がキミも安心でしょ」
「んなっ!なな、何をっ、そんな!とんでもないっ!!」
は?
そんなのとっくにやってんぞ。なのに何だってあんなにころころ転がるんだか。
「やっぱり肉が足りねぇのか……」
前々から思っていたが軽過ぎなんだ。そのうち風が吹いただけで飛んでいくんじゃねぇか。まぁそうなりゃ俺は目障りが消えて万々歳だけど、飛んでった先に誰かがいたとして、万が一にでも怪我でもさせたらそりゃ大問題だ。打ち所が悪けりゃ最悪生死に関わる。
「あ…あああ、あの。し、島崎くん。僕、そろそろ荷物を受取りに、松前くんをお迎えに行こうかと思……」
「あ"あ"!?」
「ひっ!」
コイツ……。何ふざけた事言ってんだ。
だいたい駅前ですっ転んだのも、俺の背中にぶつかってひっくり返ったんだぞ? そんな弱々のへなちょこが、なーにがお迎えだ!麩菓子みてぇにふわっふわしやがって!風に飛ばされて死にてぇのか!? 逆にあの世から迎えが来るぞ!
「おい…。この麩菓子野郎。お前は俺のストーカーなんだろ。だったら大人しく、俺の側から離れんじゃねぇよ」
「んぇ??」
「わかったかコラッ!!」
「ぴゃい……っ!」
本当にわかってんのか?
……ったく、世話の焼けるストーカーだぜ。
******
「ねぇ、今朝の島波瑠見た!? 今朝はおんぶしてた!」
「やばっ!」
「ふふん。俺なんて、本校舎でべろチュウしてるとこ見たぜ」
「きゃーーっ!!ずるいーー!!」
「で? その後は安定の保健室だろ」
「ああ。波瑠ちゃん、駅前で思いっ切り尻もちついてたからな」
「なぁなぁ!オレ今保健室の前通ったんだけどさ。中からハルたんの泣き叫ぶ声が……」
「え……」
「な、何て言ってた!? 波瑠ちゃんは!」
「……その。 いや!…とか。ダメー!…とか」
「おいおいおい……。マジか……」
「島崎は……?」
「それが……。さっさと尻を出せ!…と」
「まさか、島崎。とうとう波瑠ちゃんを手篭めに……?」
「お……おい、いいか皆。今日は波瑠ちゃんに会ったら、そっと座布団敷いてやれ」
「そんなの持ってねぇよ!」
「上着でも何でもいいんだよ!…尻に響かないようにするだけで!」
「ああ……。わかった」
「了解した」
……等と、明後日の方向に噂が広まっている事を、島崎はまったく知らないのであった。
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