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第3話
「あ、天海? 今ひま? うち来ない?」
「んぇ?」
ん?
里奈理さん、今なんて言った?
僕の聞き間違いかな。
「あー、すぐじゃなくていい。十五分後?くらい? いーから来いよ、この間お前の尻拭いしてやったの誰だと思ってんだよ」
有無を言わせない態度で言い切った里奈理さんは、僕と目が合うと少しだけ誤魔化すように笑みを浮かべて、それから電話先に意識を戻すように僕から視線を外した。
「来たら連絡しろよ。は? あーもううるせえな、そういうこと言うなら二度と女紹介しないけど。……そーだよ、最初から頷いとけ。またあとでな」
通話を切った里奈理さんは、僕から視線を外したままスマートフォンをしまうと、気を取り直すようにオナホールを拾い上げた。
「そういう訳で、十五分後に俺の友達が来るから。それまで頑張って耐えてね」
「た、たえ? 耐える……?」
話が見えてこない。そもそも電話の相手が誰だったのかも分からない。あまみ、と呼ばれる男は、少なくとも僕が知る里奈理さんの生活圏内には存在していなかった。でも十五分後に来れるなら近くに住んでる人だろう。誰だ。職場の人? 旧友? 親戚とか? もしくは別れた恋人?
ぐるぐると考え込む僕の唇に、里奈理さんが嗜めるように人差し指を置く。ローションついてる方だった。
「余計なこと考えてる暇ないよ? 冴坂くんはこれから十五分、イかないように頑張らないといけないからね」
「ん、へ? え?」
「天海が来るまで耐えられたら冴坂くんの勝ち、俺は冴坂くんの言うことをなんでも聞いてあげる。あの漫画みたいなことしてもいいし、それ以外のことでもいいよ」
「な、なん、なんでも?」
「うん、なんでも。でも、冴坂くんがイっちゃったら冴坂くんの負け。へなちょこのちんちんなんて待てないから、俺は天海とセックスしちゃうね、冴坂くんの目の前で」
「え、え? え? セッ、え? り、りな、りなりさんが?」
セックスをする? 僕の目の前で? えっと、誰だっけ、あま、天海さん?とか?いうひとと?
「せっくす、あれ、え? えっ? で、でも、ぼ、ぼく、僕が里奈理さんの恋人で、あれ、あれ?」
「別に恋人とだけセックスしなきゃいけないって法律はないし」
「で、でも、でも僕だけ、僕だけが恋人って、さっき、さっきゆった、ゆ、い、いったのに」
「だから、冴坂くんが我慢できれば、冴坂くんとだけセックスするよって言ってるんだ、よ♡」
「ん゛、ぃっ!?!?」
混乱する僕が里奈理さんに縋りつこうとした瞬間、彼が持っていたオナホールが僕のちんこを包み込んだ。乾いていたはずのローションはいつの間にか足されていて、作り物の襞がみっちりと僕のちんこを咥え込んでいた。い、いくかとおもった。いかなくてよかった。ほんとによかった。
「あ゛っ、う、うそ、や、やだ、まってくださ、まって、りなりさんまって、ちがう、やくそくちがうのにしてっ」
「ええ? やだよ、俺はもう、一回は冴坂くんのお願い聞いてるでしょ? 煙草買いに行きたかったのにさあ、冴坂くんが寂しいかなあって思ってたやめたし」
「ゔっ、ぅうっ、あっ、あ、うごかすのやだっ、じゅぽじゅぽやだっ、あっ、あっ」
「イきそうになったら右手上げてね、あくまでトレーニングだから、ちゃんと我慢できるように緩めてあげるよ」
泣きながら素早く上げた右手は、里奈理さんの手に押さえつけられてしまった。そんな。邪悪な歯医者さんみたいなことを。そんな。
ちゅこちゅこと動くオナホールが、拷問器具か何かに見えてくる。見ていると更に出そうなので目を閉じ、両足に力を込めて堪え始めた僕に、片手を押さえていた里奈理さんが小さく笑う。
「あ、すごい、ちゃんと我慢できてるよ、偉いねえ」
「ゔっ、う、ううっ、んひっ、ひ、やらっ、やだ、いぎたくないっ、うっ、んゔッ」
「うんうん、その調子だよ〜、あと十二分くらいかな? がんばれ♡ がんばれ♡」
「あ、あ゛っ、やめっ、やめでっ、つよくしらいでっ、あっ、あ、あっ、いく、いくっやだ、いっ」
「早いって」
もう、と呟いた里奈理さんがちょっとだけ手を緩める。ゆるゆると、短いストロークで軽く動かすだけになって、少しだけ息を整えるゆとりが生まれる。嘘だ。生まれたことにしないとやばいからそうした。大丈夫、余裕がちょっとある。ほんとに。うそ。
大体これ、僕が持ってるオナホールよりなんかすごい。内側の細かいヒダが全部吸い付くみたいに擦り上げてきて、奥まで入れるたびに違う刺激が襲ってきて、ゆっくりされると腰が溶けるほどぞわぞわしてくる。おしっこ出るかもしれない。つらい。いきたくないし、また漏らしたくもない。絶対やだ。里奈理さんが僕以外の人と僕の目の前でセックスするなんて嫌だ。だって、恋人なのに。
「あ、ぁ、は、ふう、は、ん、は…っ、あ、あ、あー…っ、あ、や、うご、うごくのやだ……っ」
ハメ撮りを有り難がれたのは、僕に横恋慕する気が本当に、微塵もなかったからだ。恋人になりたいなんて、いや、なりたいとは思ってたけど、なれるなんて思ってなかったし、だから、ちょっと見せてもらえるだけで良かったのだ。
でも、恋人になったら話は別だ。里奈理さんの初めての人になれないなら、最後の人になりたい。僕以外の人とセックスするところなんて見たくない。見えない場所でもしてほしくない。
心の底からそう思っているのに、根元までぴっちり包み込まれて、締め付けられながら扱き上げられると、今すぐ出したくてしょうがなくなってしまう。僕を見下ろす里奈理さんが、握った右手にきゅ、と力を込めてくるのすら刺激になる。きゅ♡ きゅ♡と恋人繋ぎの手を握り締められると、なんだか全部どうでも良くなっちゃいそうになる。いやだ。射精のことしか考えられないのやだ。
「り、い゛っ、りなりしゃっ、やだっ、いっ、いぎたくないっ、いきたきゅないっ、うっ、う、うーっ、あ、きもひい、あっ、あっ、ちんこきもちい、っん、あ゛ッ」
「そうでしょ、俺もこれ結構好きなんだよね。気に入ったなら今度買ってあげようか?」
「あ゛ひっ、ひいっ、あっ、やべでっ、でる、でりゅからっ、やめっ、あっ、あうっ、ゔぅっ、やだぁ、いぎゅっ、」
「はーい、ストップ。ゆっくり息吸って、吐いて、そう、いいこだよー、すごい♡ 我慢できてるよ♡」
「は、はひ、っ、ひ、がまん、がまんしましゅ、うぅ、あ、っ、あ、ああ゛っ」
「えらいえらい♡ あと十分だよ〜♡」
どろどろの肉壁に啜り上げられてるみたいな刺激が続いて、頭が真っ白になりそうになるたびにちょっと止まって、一生懸命息をして、整えて、また動かされる。
目の前がチカチカしてきた。反った腰がベッドから浮いている。堪えようとするたびに足の爪先が丸まって、あまりにキツくて、攣りそうになる。
鼻水を垂らしながらはひはひ鳴く僕を、隣に座る里奈理さんが見下ろしている。目が合うとイきそうで怖いから逸らしていたのに、褒めてくれるのが嬉しくなって見てしまった。
里奈理さんはやっぱり、欲情が滲み出たような顔で頬を赤く染めていた。ちゅこ、ちゅこ、とオナホールを動かしながら、僕の顔をじっと、舐るように見つめている。薄く開いた唇からは隠し切れない熱を帯びた吐息が漏れていて、下手すると飲み込み切れない涎が垂れてきそうだった。
里奈理さんの涎。飲みたい。垂れるなら僕の口がいい。本気で思ったけど、見つめ返すうちに唾を飲む音がして、唇は笑みの形に歪んだ。
「ちんぽ休憩おしまいね」
「んぇ、え、あっ、あふっ、ふぇ、あっ、あっ」
時が止まったみたいに食い入るように見つめてしまったが、実際オナホールの動きも緩くなっていたらしい。これ以上ないほどに凝視していた僕の集中を、ぬるついた肉襞が削ぎ落とす。
「あ、っ、や、うそ、あっ、あ゛っ、うゔッ、やめ、やめてっ、いっかいとめて、ちんぽだめ、っ、だめだからっ、」
「あー、これはイっちゃうかな? まだあと八分あるけど出ちゃう?」
「やだっ、やだぁ、いきたくない、やだ、っあ゛っ、お、んぉっ、ほ、あうっ、んううっ」
「すごーい、頑張ってるね、えらいよ〜、爪先ぴんってしてて可愛いね、んふ、歯ががちがちいってる、かわいい♡ いっぱい擦ったらもっと可愛くなるかな? ほら♡」
「あ゛っ、やッ、やめっ、やべでっ、いやっ、ぃ、ッッ、いぎだぎゅない、ない、っ、やらっ、やらっ、いがないぃッッ、いがにゃっ、やだっ、やだぁっ」
「あっ、すごい、ほんとに耐えた」
バタついた両足がベッドを蹴る。仰け反った僕の口の端からは唾液が泡になって垂れていて、股間への刺激が少し弱まるのと同時に、里奈理さんがちゅ、とそれを吸い上げるのが分かった。キスみたいな可愛い音だった。涎舐めただけなのに可愛い。キスはしてくれないんですか? あれ?
「りにゃ、りにゃりさっ、きす、きすっ、」
「鱚?」
「ちゅーしてっ、くらさいっ、ちゅう、」
「やだよ、イっちゃうでしょ」
切なくなってねだり始めた僕の懇願を、里奈理さんはすげなく断った。一分の隙もなく反論できない理由だった。
「あと五分になったよ、えらいね、冴坂くんはやればできる子だね」
「んっ、ゔっ、あひっ、ひんっ、あ、あっ、しゅご、ちんこ、とけるっ、んえっ、んうっ」
「よーしよし、ちんちんえらいね〜♡ イきたいのに我慢できてるね、いいこいいこ♡」
「あう、うゔっ、あ゛っ、あ゛ーっ、らめっ、いいこやらっ、やだっ、いいこだめえっ」
一際強く、追い詰められるように擦り上げられた僕は、ほとんど悲鳴みたいな声で叫んで、里奈理さんの手をきつく握り締めた。きゅう、と握り返されて、それだけでもイきそうになる。我慢しないといけないのに、出したくなる。出したい。いっぱい擦られて、限界まで気持ち良くなって、ぐちゃぐちゃの中に思い切り出したい。この中が里奈理さんの中だったら良かったのに。
里奈理さんの中に出したら、どのくらい気持ちいいんだろう。そんなこと考えたらイくに決まってるのに、僕の妄想は止まらなかった。出したい。里奈理さんの中に出したい。お腹がいっぱいになるくらいに出したい。
「はっ、あ゛っ♡ うゔっ、だめっ、だ、だめぇっ、いく、いきゅっ、いっちゃうから、とめてっ、とめてくらさいっ、やだ、やだやだやだっ、いきゅのやだっ♡ あっ♡」
「ん? どうしたの、急に反応よくなって。なんか考えたな?」
「んひっ♡」
「そうだなー、うーん、これが里奈理さんとのセックスだったらどうしよ〜とか?」
「あひっ♡♡ あっ、ちが、ちがいまひゅっ、ちがう、ぼく、そんなのっ、ちがう、ちがうからぁっ」
「嘘つけ、里奈理さんの中にいっぱい精液出したいよ〜♡って顔してるよ」
まさにその通りだったので情けなく泣き出した僕に、里奈理さんはにんまりと唇の両端を持ち上げ────、鳴り響いたインターホンの呼び出し音に、真顔になった。舌打ちが響く。
「はえーよ馬鹿が」
小さく吐き捨てた里奈理さんは、止まりかけていた手をゆるゆると動かすと、僕を見下ろして柔らかく微笑んだ。どうしたって女神様みたいだった。
ちゅこ、ちゅこ、とオナホールを動かす里奈理さんが、恋人繋ぎを解いた右手で僕の汗ばんだ髪を撫でる。
「あと三分だよ♡ 頑張ろうね♡」
「ん゛っ、ひ、ひぅ、う、あ、が、がんばりまひゅ、がんばりましゅからっ、りなりさ、ぼく、ぼくいがいとえっちしないれ、やだ、やだっ、いぎたくないっ、いきゅっ、やだっ♡」
「うん、しないよ。冴坂くん以外とは絶対セックスしない、約束してあげる♡」
「あっ♡ ふぇ、はひ、ほんとっ、ほんとれすか、ほんとっ? ほんっ、あっあうっ、」
嬉しい。嬉しくて涙が出てきた。いや、元からもうぐちゃぐちゃに泣いてるけど。でも、嬉しくて、ほっとして、涙が出てきた。
ふにゃりと情けなく微笑んだ僕に、里奈理さんもにっこりと笑みを返す。
本当に? 里奈理さんが、僕だけの里奈理さんになるんですか? ほんとに? 嬉しい。やった、嬉しい。嬉しい。
「でも、セックス以外はしちゃうね♡」
「んえ、んっ、んぅ!?」
え?と思った時には、里奈理さんの唇が僕の唇と合わさっていた。瞬く間に深くなった口付けが、僕の脳髄から多幸感を引き摺り出す。ぬるぬるの舌が気持ちいいところを撫でていって、くすぐられて、いっぱい吸われて、舐めて、唾液が流れ込んできて、目の前が痛いほどに明滅して、気持ちいいがたくさん来て、それで、一番の『気持ちいい』が脳を焼いた。
「あ、ぷぁ、あふ、っん、う、う、え? あ、あ、あ? あ、へ、ぼく、いっ、あれ、や、い、イった、イった? あ、あれ? あ、え?」
時間は? 十五分は? 経った? 経ってない?
濡れた唇を舌先で舐める里奈理さんと目が合う。祈るような気持ちで見つめた僕に、里奈理さんはオナホールから離した手でスマートフォンを取り出し、画面を掲げた。
『01:12』
タイマーの表示だ。
右端のカウントが、一秒ごとに減っていく。同時に、僕の血の気も失せていく。一秒経つごとに頭が冷えて、なのに顔はすごく熱くて、喉の奥が焼けるように痛んだ。
何か言いたいのに、何も言葉にならない。開いた唇を震わせることしか出来ない僕に、里奈理さんは楽しげに笑って軽く口付けてから、身を起こして玄関へと向かった。
待って、と言いたい。待ってください。だって、おかしいじゃないですか。あと一分であんなこと。ねえ、待って。待ってください。おかしいです、僕ちゃんと我慢できてたのに、なんで、絶対他の人とセックスしないって言ったのに、なんで。
「お前さあ、急に呼び出すのやめろよ。オレにも予定とかあんの、分かる?」
「わかんなーい」
「は? かわいこぶんな、キショイ」
「別にお前に可愛いとか思われなくていいし、ね、ほら、とりあえず来て」
「え、何? マジでキショイんだけど……」
玄関先で何か話している声がする。天海さん?が来た?らしいけど、僕はもう、身体を動かすことも出来なかった。オナホールくっつけたまま泣きながら寝っ転がっていることしか出来なかった。
二人分の足音が寝室に辿り着く。上機嫌な里奈理さんの後から来た天海さんは、僕の姿を見るや否や、ウワ……と言いたげに目を逸らした。ツーブロックの頭を、痛みを堪えるように抱える。
「歩夢お前さあ、マジで、プレイ中にオレを呼ぶな」
「もう終わったから大丈夫」
「終わってねーから。バリバリ始まってんだよ、オレが来たことそのものがプレイなんだよもー、ふざけんな」
心底うんざりした様子で呟いた天海さんは、未だに涙を止められずにいる僕を見やると、寝室の収納からシーツを取り出して、僕にそっとかけた。優しいひとだった。優しいのにこれから里奈理さんとセックスするんだ、と思うと泣けてきた。
ぐじゅぐじゅと鼻を啜って泣き続ける僕を遠巻きに眺める天海さんが、里奈理さんへ説明を求めるように視線を投げる。二人分の視線を受け止めた里奈理さんは、やはりご機嫌に両手を広げて笑った。
「ちゃんと我慢できなかった冴坂くんへの罰として、今から天海とキスするね」
「んぴぇ」「は? オレにも罰なんだが?」
引き攣った声を漏らして丸まった僕の隣で、天海さんも強ばった顔で身を引く。里奈理さんは逃げるように扉へ向かう天海さんの逃げ場を、扉を蹴り飛ばすように閉めることで塞ぎ、天海さんの腕を掴んで引き寄せた。
「え、マジ? これマジのやつ?」
「マジだよ、別にお前が今すぐ俺の車買い直してくれるならマジじゃなくてもいいけど」
「…………舌とか入る?」
「さあ、どうだろ」
小声で何やら話し合っている二人の顔が近い。え? ほんとにキスしちゃうんですか? 僕ちゃんと我慢できたのに? おかしいな。現実?
かけてもらったシーツを握り締めながら身を寄せ合う二人を見つめる。見たくなかったが、見ないのも怖かった。
寒さから来てるんじゃないかって勢いで震える僕に、里奈理さんが笑いながら手を振る。
「冴坂くん、なんか言うことある?」
「ん、え、」
「ない? ないなら良いや」
「や、やめてください」
「ん?」
「き、きすしないでください」
いいぞもっと言ってやれ、という声がどこかから聞こえた。気がした。気のせいかもしれない。分からない。里奈理さんしか見えない。
キスしないでください。次はもっとちゃんと我慢しますから、キスしないでください。お願いします。おねがいします。
泣きながら口にした僕に、愛おしげに目を細めた里奈理さんは、満面の笑みを浮かべてから、甘く蕩けるような声で言った。
「やだ♡」
はえ、と呟いたのは僕の口だったろうか。一瞬意識が遠のいたせいで、よく分からなかった。
里奈理さんの手が天海さんの頬を包んで、手のひらで隠れた部分から唇の合わさる音がした。世界が壊れたらきっとこんな音がするんだ、と思った。水音が響くのを聞いている内に、加速度的に呼吸が乱れていく。吐きそうだった。吐くかもしれなかった。世界が止まって、呼吸も止まって、心臓も止まればいいのに、と思った瞬間、何かが弾けた。
「うあ、」
声が出てからは、一瞬だった。
「うあ、あ、あ゛ーーっ、やだっ、やだーっ、りなりしゃ、やだっ!! ぼくいがいときしゅしないで!! やだ、やだぁーっ!! うあ゛ぁあああんっ!!」
ベッドを転がり落ちるように里奈理さんに飛びついた僕は、彼の足元に縋り付いて、必死に泣きついた。舌を絡ませる音が響くたびに発狂しそうだった。
「やだっ、やだやだやだっ、りなりさん、ぼくのりなりさんなのにっなんれっ、なんれほかのひとときしゅしゅるのっ、やべでっ、きしゅしないで、こいびとなのにっ、こいびどっ、ぼきゅっ、うあ゛ーーっ、あぁああっ、ひぐっ、ぎゅ、ぎゅぷっぇぷ、」
「んふっ」
「…………待ってくれ……今までで最大級にキショイ……」
「ゃだーーっ、やだ、やだよぉ、りなりさんやめで、きしゅやめで、やだ、やだあ……っ、」
「ん、くく、ふ、」
「ちゃんとしゅるから、つぎはちゃんとしましゅ、ちゃんとがまんするぅっ、うぴゅ、えぷ、うえぇん、りなりしゃっ、りなっ、ゔっ、うゔっ」
「ねえ、こいついつ黙るの? そもそもお前はいつ黙らせんの……?」
「ん、んん、うん、ごめん、天海、ちょっと、あは、あはははは!」
「キッショ…………」
頭上の会話も聞き取れずに泣き喚く僕が里奈理さんの足に縋り付いて数分、笑い終えた里奈理さんは、僕の前に屈み込むと、よしよし、と頭を撫でてくれた。
涙でぐちゃぐちゃの頬を指が拭う。は、は、と乱れた呼吸を整えることも出来ずに肩を上下させる僕に、里奈理さんは「かわいいね」と優しく囁いてから、キスしてくれた。
唇を合わせると同時に、頭上から「ウワ」と聞こえる。さっきと同じくらい深く口付けてくれた里奈理さんに、僕の股間がちょっと元気になった頃、唇を離した里奈理さんが明るく言い放った。
「キスしてないよ」
「んぇ?」
「びっくりした?」
「え、で、でも、音、」
「見えないと結構誤魔化せるよねえ」
笑い混じり告げる里奈理さんの言葉を聞いて、天海さんを見上げた僕に、彼は無言で首を振った。してません、のアピールだった。
ずり、と体を引きずるようにして寄った僕に、天海さんが小さく引き攣った悲鳴をあげる。
「ほんとに?」
「してない。したくもない」
「したくないんですか?」
「したいわけないじゃん」
「なんで?」
「なんでってなんで?」
汚物を見るような目で見られたので怖くなって泣いてしまった僕の頭を、里奈理さんが優しく撫でてくれる。抱きしめられてしまった。
「冴坂くんが怖がってるだろ、威嚇すんな」
「してないし、したとしてもオレのせいじゃなくない? お前のせいじゃない?」
「なんで?」
「なんでってなんで?」
首を傾げた里奈理さんが僕を見つめるので、僕も首を傾げておいた。なんでってなんでだろう?
よく分からなかったが、天海さんは溜息を吐いただけで特に説明してくれなかった。ポケットに手を突っ込んだまま軽く貧乏揺すりした天海さんが、げんなりした顔で僕らを見下ろす。
「まーいいや、用件ってこれだけ? オレ帰っていい?」
「うん、これだけ。用済みだから帰れ」
「冴坂くん、こんな大人にだけはなるなよ」
「え、あ、はい?」
よく分からないままに頷いた僕に、天海さんは最後まで溜息を吐いて、やや力無い足取りで帰っていった。玄関扉が閉まる音がして、ようやく、何処か遠くもやがかっていた意識が鮮明になる。
シーツに包まったままの僕の隣には里奈理さんが座っていた。いつになく機嫌のいい顔で、じっと僕を見つめている。なんだか今更裸なのが恥ずかしくなって、シーツを巻き付け直した僕に、里奈理さんは優しい声で問い掛けた。
「ね、背中の文字ってなんて書いてあるの?」
「え、な、なんでしたっけ、忘れました」
「読んでもいい?」
「え、え? ど、どうぞ……?」
巻き付け直したばかりのシーツを落として、里奈理さんへ背を向ける。忘れていたのは本当だったので、読んでもらわないことには質問に答えようがなかった。
んーと、という声と共に里奈理さんの指先が僕の背をなぞる。別にそういう意味で触られている訳でもないのにいやらしい気持ちになりそうになって、必死に堪える。意図しない接触の方がなんだかやらしく思えるのは何故なんだろう。
「えーと、『一生童貞』って書いてある、ふふ、嘘になっちゃうじゃん」
「…………うそになるんですか」
「なるよ、冴坂くんが頑張ればね」
ちんちんが勃ってしまった。
「『きもちんぽ包茎野郎』、あはは、野の字が間違ってるんだけど、ええ? 頭悪、くふ」
仮性だしいいじゃんね、と声が続く。非常にウケてらっしゃる様子だったので、よかったなあ、と思った。よくないだろうけど、実際あんまり覚えていないので、よかったことにした。
「これ何で焼かれたの?」
「え、え? 分かんないです、見えなかったので」
「ふーん、痛かった?」
「どうなんでしょう」
覚えていないので答えようがなかった。本当に。本当に覚えていないのだ。僕の背中には里奈理さんが読み上げた通りの文言が焼き付いているけれど、僕はその時のことをあんまり覚えていない。みんなが僕を押さえつけたところまでは覚えているけれど、気づいた時には病院で、先生が僕にいろんなことを話してくれて、なんだっけ、主犯?のお父さんが警察の人だから、とにかくすごい不味いことになって、僕は沢山お金を貰った。分かっているのはそのくらいだ。
お父さんは死んでたし、お母さんはその時になって僕を使って当たり屋をしていたのが今更バレたから、なんか、全部が僕のお金になった。よく分からないけど、そのおかげでフリーターなのに里奈理さんの隣の部屋に住めたから、やっぱり良かったのだと思う。
そんなようなことを話すと、里奈理さんは何かに納得したような声で呟いた。
「あー、だから一日中引きこもってえっちな漫画描けるんだ。フリーターの割にあんま働いてないなって思ってたんだよね、俺の彼氏の待ち伏せにも張り付いてるし」
「ん゛ぇ」
「なるほどねえ」
身体を強張らせた僕の背を、里奈理さんの指がなぞる。漫画はともかく、彼氏のことまでバレているとは思わなかった。変な冷や汗が止まらなくなった僕の背に、軽く、柔らかい感触が当たる。振り返ると、里奈理さんが静かに唇を寄せているのが分かった。
出た。
「…………元気だねえ」
「す、しゅ、しゅみませ……」
「謝んなくていいよ、悪いことしてないんだから」
元気なのは良いことだよ、と笑った里奈理さんは、今度は僕の唇に口付けると、そのまま僕のリードを引っ張ってお風呂場に向かった。そういえば首輪つけたまま初対面の人と会っちゃったなあ、と今更思い出したけど、里奈理さんとお風呂で洗いっこしてる内に、すぐに忘れた。
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