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第5話

   *** 「初恋は呪いです、解けない呪い」  郁斗は椅子を軋ませて話を締めくくった。  医師はカルテにペンを走らせ終えると、手さげ金庫を解錠した。 「当院では重度の恋わずらいと認められた患者さんには、焦がれ死にするほどの苦しみをやわらげる薬を処方しています。統計によれば悲恋の経験者は未練で雁字搦(がんじがら)めになる傾向にある。森山さんも予備軍ですね」    ぎくしゃくとうなずき返す。 「海馬──記憶の司令塔と呼ばれる脳の部位ですね、ここに働きかけて記憶の一部を改竄(かいざん)する成分を含む薬です」  改竄、と郁斗はおうむ返しに呟いた。 「然様(さよう)。恋情を友情に置き換える効能に(すぐ)れていて、遠い未来に〝甘酸っぱい初恋の思い出〟として懐かしむことができるようになるまで、いわばタイムカプセルをこしらえる効果を発揮します」  錠剤が金庫から取り出され、心の傷を象徴するように真紅にきらめく。特殊な薬の噂を聞いて、藁にもすがる思いで来院した時点では、恋心を封印するためには手段を選ばないつもりでいた。だが小細工を弄するということは、将志と共にすごした幸せな時間をゆがめてしまうということ。   自分を騙して〝初恋〟を(けが)したら、大きな代償を払うことになる。そう思って席を立つ。 「結婚、おめでとうと言えるまで……のたうち回るのもかもです。帰ります、薬は不要です」 「(いたずら)に苦痛を長引かせる結果に終わっても後悔しませんか?」 「つらいのも哀しいのも、あの男性(ひと)がくれた。掛け替えのないものだから大切にします」  断言すると、医師はひと呼吸おいて錠剤を金庫に戻した。  初恋外来を後にすると葉桜が青々しい。将志を思わせる薫風が髪をそよがせ、慈しんでもらったあの日、あのときを激痛に耐えて思い返しながら歩きつづけた。

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