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王の執務室の前に立つと、中から艶やかな声が漏れ聞こえてノックをする手が思わず止まった。
傍らで控える護衛を見上げると彼らは揃って肩を竦める。小さく息を吐いて今度こそ扉を叩いてやった。
「陛下、暘谷(ようこく)です。失礼致します」
遠慮なく扉を開ければ執務机に侍女を押し倒している翠雨(すいう)陛下の姿があった。
幸いまだ致してはいなかったようで、王の着衣に乱れはなかったが侍女の方はひどいものだ。はだけた服の合間からぽろりと胸の膨らみが覗いて咄嗟に目を逸らす。
「失礼だとわかっているならなぜ入室するんだ」
興を削がれた王が不機嫌に身を起こす。
「そうは仰いましても、いまは執務をする時間でございます。女性を呼ぶにしても時と場所をわきまえていただかないと」
「ああもううるさいな、お前は」
王は手を振って女を追い払うとどかりと椅子に腰を下ろす。慌てて出ていく侍女の後ろ姿を見ながら、持ってきた政務の書類を卓に置いた。
「まったく、こんな誰に見られるかもわからない場所で事に及ぶなんてあの侍女もかわいそうに…」
思わず呟いた言葉に王がこちらを見ぬままふんと鼻で笑う。
「童貞が何を知ったようなことを」
「……それはもしや私のことを言ってます?」
「お前以外に誰がいる。田舎上がりの堅物な宰相補佐は誰の肌も知らぬと噂になっているぞ」
「…………」
思わず渋い顔をすると王に手首を掴まれた。
「童貞は無理でも処女は散らしてやろうか?」
「お戯れを。私に露出趣味はありませんよ」
そっと腕を引くとその手はすぐに離れた。
「とにかくいまは仕事をしてください。睦み合いは夜に姫方と存分になさればいいでしょう」
それでは私はこれで。
そそくさと退出を告げれば「残念。振られてしまったな」と楽しそうな声が追いかけてきて、居心地が悪くなる。
来たときと同様あっさり出てきた私を見て、護衛騎士に「ご苦労様です」と言われる。
ご苦労と思うなら王に女を連れ込ませるなよ…。
そんな本音が喉元までせり上がるが、言葉になることはない。顔をひきつらせたまま礼をしてさっさと背を向けた。
即位五年目の翠雨陛下は奔放で好色な王と有名だ。
正妃はまだいないが、後宮には側女たちが続々集められ、その上さらにこうして目についた女に手をつけてしまう。
そんな所業が許されているのも、すべては即位の際の悲劇的な出来事と王家の血を残すため子を求められているから。
陛下は前王の末子で、元々は王になるような立場の人ではなかった。
ところが前王の崩御をきっかけに国は隣国に攻め込まれた。王太子が討たれ、戦地に赴いた第二王子は部隊共々全滅し、唯一の姫である淡雪殿下を人質同然に輿入れさせることでなんとか和平を結んだ。生き残った翠雨殿下が国王になったときには、王家に連なる者はほとんど絶えており、尊い血を次代に繋ぐことを強く求められた。
たった一年ほどの戦で、この国の在り方は大きく変わってしまった。
それでも残った臣下たちと手を取り合い、国は少しずつ息を吹き返した。幸いだったのは、翠雨陛下の姉である淡雪殿下が隣国で虐げられることなく、きちんと己の立場を築いていたことだろう。彼女はとても聡明な女性だ。
「暘谷、陛下の様子はどうだった?」
職場に戻るとさっそく上司である宰相に声をかけられた。
「相変わらずお盛んでしたよ」
「ははっ、変わらないか。それでも政務は受け取ってくれただろう?」
「ええまあ、それは」
場所も時間も問わず盛る王だが、仕事を止めることはない。そこだけは信用している。
「陛下は私をからかって遊んでいるように思えますが」
「年寄りばかりの臣下の中で歳が近いのはお前くらいだからなあ。気を許しているんだろう」
気まずくなって目を伏せ頭を下げる。
こういった話題は苦手だ。私は本当は信頼に値する人間ではない。
「――そういえば、暘谷」
席に戻りかけた私は再び宰相に呼び止められた。
「なんでしょうか?」
「お前、自宅で何か変なもの飼っていないか?」
「は?」
唐突な問いかけに目を丸くする。
「いや、王都に平屋建ての家を購入しただろう?その近隣から呻き声のような音がすると報告があってな」
「呻き声、ですか」
「猛獣の飼育には申請が必要だぞ。独り身のお前が動物を飼うとは思えないが、念のためな」
「…ちなみにそれは昼ですか?夜ですか?」
「昼も夜も。誰がどこでどんなものを飼ってるんだかなあ」
「一体なんでしょうね?」
ぎゅうと腹がひきつれ、心臓がどきどきと早鐘を打つ。それを悟られないよう賢明にわからない振りをした。
―――私は罪を犯している。
それも国を揺るがしかねないとても大きな罪だ。
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