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定時で仕事を終えた私は足早に帰宅した。 同僚の中にはまだ仕事をしていたり、酒を飲む話をしている者もいたがすべて無視だ。 「せ……の、野分(のわき)!!」 まだ新しい平屋建ての家に入り、すぐにしっかりと鍵を落とす。そのまま目的の人物を探して家の中を通り、そして家の中央にある中庭で足を台に乗せて腕立て伏せをする男を見つけて悲鳴を上げた。 「の、のわわわ野分!何をしているんですか!」 「何って鍛練だよ。鍛えないと衰えてしまうだろう?」 慌てて駆け寄り、裸の背に手を乗せると滴る汗でぬるりと滑った。 私は取り出した手拭き布をその逞しい首筋に押し当てる。野分は膝をついて台から足を下ろすと、地面に直接座り込んで私の手から布を受け取り、額と瞼の辺りをぐいと拭った。小さな手拭き布はすぐに汗でびしょびしょになってしまう。 「こんなに濡れて、いつから鍛練してたんですか」 「濡れてってお前の口から出るといやらしいなあ。おかえり、暘谷」 にやりと笑った男に腰を引かれて、太い腿に尻を乗せてしまう。慌てて立ち上がろうにも腕の力が強くてなし得ない。 「野分……」 私は困ったように男を見上げる。 大丈夫とばかりに微笑む男だが、彼の左足は脛半ばから先がない。失っているのだ。 「とにかく中に入りましょう。もう薄暗くなってますし、このまま風に当たっていたらいけません」 「そうだな。腹が減ったし、食事にしよう」 「今日も肉を焼きましょうね。野分が下拵えを済ませてくれるので助かります」 今度はするりと膝から降りることができた。 野分の手を引けば器用に片足でさっと立ち上がる。壁に手をつきながら、大柄な彼は慣れた調子ですぐに縁側に辿り着いてしまう。 「先に汗を流してきてください。私は食事の準備をします」 「わかった」 野分が風呂場へ向かうと、とっとっと独特の足音が聞こえる。私はそれを聞きながらいそいそと調理場に急いだ。 しかし食事の支度がすべて整う前に野分が戻ってきてしまう。濡れ髪の野分に追い立てられて入れ代わりで風呂に向かった。仕方ない。肉を焼くのは野分の方が上手い。 あまり大きくない食卓に風呂上がりの男二人で向かい合う。大皿料理は食べたい分だけ取り分ければいいので楽だ。大半は野分の胃袋に消える。 野分は酒が好きだが、深酔いすると傷が痛むので少量しか飲まない。下戸であっという間に赤くなってしまう私も軽くだったら付き合える。 いつも通りの食事風景だ。 私はおずおずと下から窺うように正面の男を見た。 「あの、野分?私がいない間ずっとあんな風に鍛練を?」 「そうだな、気が向いたらだけどな」 それはほぼ日課ということだろう。 「…ちょっと言いにくいんですが、最近この辺りで騒音の苦情が出ているらしくて」 「騒音?オレが思う限りでは静かでいいところだぞ」 「だから、その……」 「あー、もしかしてオレが騒々しいか?」 「どんな内容の鍛練をしているかにもよるかと」 「ふむ」 野分は自分の右腕を見下ろしてむきっとさせる。 「声を出さないと力が入らないこともあるからなあ。その騒音とは昼だけか?」 「夜も、少々……」 「だったらオレだけじゃないだろうが」 野分にじとっと見つめられて思わず目を逸らす。 「…………」 「…………」 「……オレはまだ夜中に騒ぐか?」 「…たまにです。最近は減りました」 「そうか。それは悪いことをしたな」 野分は読めない表情で謝り、ぐいっと酒を呷る。 男はいつも通りだったが私は勝手に気まずくなってちまちまと食事を終えた。 「あ――…!」 腹が満ちて上機嫌の野分がごろりと敷かれた布団に横になる。この家では寝台は使わない。野分が倒れると私では動かせないので、布団を動かす方が早いのだ。 同じ理由で軽装を好む野分の背中の筋肉が布一枚隔てた先で躍動している。酒で顔を赤くした私はもじもじとして結局我慢できずに、その大きな背中に飛びついた。 「うおっ」 のし掛かってきた私に驚く野分だが、すぐに相好を崩す。 「暘谷、お前は本当にオレの筋肉が好きだなあ」 「ごめんなさい」 「謝らなくていいから鍛えるのを許してくれよ」 じゃないとお前の大好きな筋肉が育たないぞ。 うねうねと背筋を蠢かせる野分の言い分に笑ってしまう。 「無理はしないでくださいね」 「しないしない」 腕を引かれて、ごろりと仰向けに直った野分の腹の上に乗せられる。後頭部を掴まれ唇を重ねられた。同時に、腹にぐりっと野分の勃ち上がりかけた重い熱を押しつけられる。 ―――翠雨殿下は私を誰の肌も知らないと笑ったが、それは間違いだ。童貞はともかく処女はとうに失っている。 「あっあっ、野分……!」 「とけるのが早いなあ、暘谷。かわいいよ」 私は罪を犯している。 それも国を揺るがしかねないとても大きな罪だ。 私が必死に隠すこの大きな獣の所在は誰にも知られてはいけない。

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