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第1話
「もう長くはありません」
医師からそう宣告されて、一月 前に二人の家に連れ帰った。
君はリビングに置いた電動ベッドの頭側を上げてもたれ、僕が食事を用意する様子を眺めている。
「できたよ」
随分と節くれだって、ちりめん皺だらけになった手で粥の椀を渡せば、僕よりも随分か細い、でも同じに皺のある手を伸ばす。
「ありがとう。おいしい」
君はそう言ったけど、二口食べたらもうお腹がいっぱいだと、申しわけなさげに僕を見た。
いいんだよ。二口も食べられたな、と背を撫でる。
昔から華奢ではあったが今はもう骨と皮だけ。愛し合った夜にはなだらかな弧を描いた背骨は不揃いに背中に浮かび、柔らかいベッドでないと軋んで痛むと言う。
けれど僕も同じ。昔のように体は機敏に動かないし、髪も随分白い──当たり前だ。僕達が出会ってからもう、六十年近くが過ぎている。
──出会ったあの頃、君はハリネズミみたいだったね。僕にも愛想ひとつくれないで。それでも僕は君が気になって気になって追いかけ回していた。転んでも諦めない、まるで勇者だ。
「なに、それ」
ふふふ、と君が笑う。
君が笑うと嬉しくて、僕は思い出と言う名の良く肥えた土壌を掘り起こす。
──初めて会った日の衝撃は今も忘れられないな。保健室のベッドに横たわる君の頬に触れた途端、体に電気が走ってさ。一目惚れってみんな、あんな感じなんだろうか?
過去を再現して頬に触れ、指先で細い首筋を撫でる。君は肩をすくめながら、さぁね、一歩間違えたら犯罪者だよ。寝込みを襲おうとするなんてね。と僕をからかった。
茶目っ気たっぷりの表情は、年を重ねてもあの頃のままだ。
──二人で挨拶し合った校舎に映る朝日は眩しかった。今思えば、眩しかったのは君だったんだね。
またそんな恥ずかしい台詞を、って君が笑う。
君はいつもそう言うけど、恥ずかしいってことは、照れてくれているんだよね? 君の感情を揺すれたと思うと、僕は昔から得意になるんだ。
──学校近くのコンビニエンスストアに寄ればいつも二人、同じものを買って。君は桃味のソーダにシュークリーム。僕はカフェモカ。互いの好みがすぐにわかったね。
──君が初めて僕に好きだと言ってくれた公園を覚えている? ブランコと石の滑り台があって、小さいけれど季節の花が綺麗に咲いていたよね。
あそこで僕達、遊具に隠れてキスをした。
「全部覚えているよ。君と付き合いだして、僕には全てが初めてだったから、今でもあの頃を鮮明に思い出せる」
──そうだね。僕はそれなりに恋を経験してきたつもりでいたけれど、それは全部違った。君に出会い、君を好きになり、本当の恋がどういうものかを初めて知った。
君は、僕が生まれて初めて恋した人だ。
言うと、君は一段と柔らかく笑う。
「同じだよ。初めての恋、初めての触れ合い、初めての春機、初めての苦悩……初めてのことは全部、君が教えてくれたんだ」
君の手が、僕の手に重なる。ちょうど、窓から入り込む真昼の陽光 が二人の手を照らして、胸のはじっこまで暖かさが満ちて行く。
幸せって、こういうこと。初めてを分かち合った僕達は、それからずっと多くを共にしてきて、今は自然の小さな恵みも共有していられる。
特別な事は起きないけれど、静謐な愛しき日々。
若かったあの頃は、悩んだことも遠回りをしたこともあった。全てが平坦だったわけじゃない。
周囲に祝福されて永遠の愛を誓い合った僕達にも、同性ゆえの葛藤や悩みは付き纏い、二人の関係に影が差したこともある。それでも、互いを思う気持ちに枯渇はなく、長い時の中で日々愛情は増え続けて────初恋は、今でも現在進行形。
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