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第1話

プロローグ 「だめだって言ってるでしょう?」  もう何度目の母の言葉だろうか。ユリウス・ファン・レインはかわいらしい頬を不満げにぷっと膨らませた。 「なんでだめなの? 髪の毛も黒いよ? フードを被れば顔も見られないもん! 僕もう五歳だよ?」  台所に立って昼食の準備をする母の周りを、うろうろと歩き回りながらユリウスは訴える。 「わかっているでしょう? 母さんを困らせないで、ユリウス」  ピシャッと叱られ、ユリウスは唇を尖らせたまま不満げな顔だ。 「五歳になったら街に行ってもいいって、言ったのは母さんのくせに!」  母の、もうすぐお昼ができるわよ、という言葉を背中に聞きながら、ユリウスは家を飛び出した。  外は春の空気に包まれていて、今のユリウスの気持ちとは裏腹だった。春風が緑の香りを運んでくる。家の脇にある木々には小鳥がとまり、なにやら騒がしく話し込んでいた。  ユリウスは家の前の道を駆け下り、胸のモヤモヤを払おうとしたが、それは一向に消えてくれなかった。  五歳になったばかりのユリウスは、空のような澄んだ青い目と金糸のように美しい金髪をしていた。陽に当たると眩しいくらいに肌は白く、他の人間とは似ても似つかない容姿だ。  オシアノスに住む人々は黒髪に黒い瞳を持ち、肌は黄色味を帯びていてユリウスとは異なる。この容姿を隠さず街に出れば、どこにいても異様なほど目立つだろう。両親がユリウスを街へ行かせない理由の一つが、この特異な見た目だった。  今はアシアの木から取れる実を磨り潰し、その汁を染料にして髪を黒く染めている。本来はさらさらで美しいユリウスの髪だったが、染料のせいで手触りは悪くつんと鼻につく臭いがする。それがいやでしかたがなかった。  だが今問題なのは、五歳になったのに街へ行かせてもらえないという、それだけである。  レギーナの美しい街並みをひとめ見たい。整然と敷き詰められた石畳とやわらかに輝くガス灯、ユリウスの知らない店がいくつも軒を連ねている有名なアーシャン通り。そこを歩き、運がよければ竜の血を持つという王族に会えたりするかもしれない。夢は大きくなるばかりだ。  ユリウスの家の周辺はほぼ牧草地で、隣家は目視できないほど遠い。狩猟や牧畜で生計を立てており、裕福な生活ではないが毎日幸せだった。  週に一度、父は街へと出向いて色々なものを売りに行く。世話をしている牛から絞った牛乳や、それを使って母が作るヨーグルトやチーズ、他に狩猟で獲得した鹿肉や猪肉なども商品になった。その行商についていきたいだけなのだが、まだ許してもらえない。もう五歳だから手伝えると訴えても、小さいから無理だと一蹴された。  その代わりに、街から帰ってきた父がレギーナでの出来事を土産話に聞かせてくれる。街へ行けないユリウスを思ってのことだったが、それが逆効果になりつつあった。土産話だけでは我慢できなくなったユリウスが、街へ行きたいと言い出すのは当然の流れだ。  そんなユリウスに手を焼き、五歳になったら連れていく、と両親は言ってしまった。その場しのぎの言葉を信じ、五歳になったユリウスは訴えた。だがその約束を反故にされ、今のユリウスは行き場のない絶望と怒りに支配されるのは当たり前だ。  ユリウスの足は自然と山の方へと向かっている。気持ちを落ち着かせるために行く場所は一つだ。息を弾ませながら山道を一気に駆け上がり、丘の上に生えている大きなマホニアの木の下までやってきた。太い木の大きな節に手をかけしがみつきテンポよく登り、いつもの場所まで辿り着く。両腕を左右に広げたように伸びる逞しい枝は、小さな体のユリウスにとってちょうどいい椅子代わりである。  ここからの見晴らしは最高だ。サンドリオ村から遠くにあるレギーナの街を僅かに望める。ここは両親も知らない秘密の場所だ。 「僕、もう五歳なのに……。五歳になったらいいって言ってたのに。母さんのばか」  ユリウスは足をぶらぶらさせながら呟いた。 「髪の色も黒いのにな」  指触りの悪い髪の束を指で摘まむ。鼻に近づけると渋くイヤな臭いがして、未だにこれには慣れない。首が隠れる長さの髪は、見事にその美しさを失っていた。 (どうして僕だけこんななの? 父さんも母さんも、黒い髪と目……なのに)  本当の子供ではないのでは、と一人ベッドで泣いたこともあった。母に見つかり抱きしめられると、余計に悲しくなって涙が止まらなくなった。  ユリウスは遠くに霞むレギーナの街に目をやる。サンドリオ村とはどれほど違うのだろう、と何度も想像した。レギーナの街へ行きたい、美しいアーシャン大通りを歩きたい。その気持ちはユリウスの中でますます膨らむばかりだ。  もう少し大きくなったらその夢が叶うかも、と望みを捨てないユリウスは胸を熱くする。そのとき腹の虫がくぅ~と鳴り現実に引き戻された。 「お腹減った……」  母と言い合いになって飛び出し、昼を食べていない。今すぐ戻って食べたいところだが、それはさすがにできないと意地になった。しばらく空腹に耐えていると、マホニアの木の根元で音がして視線を向ける。 「ユリウス!」

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