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第6話
第一章
この世界には、男女性の他に三つの性が存在する。王族で竜の血を持つアルファ、一番数の多い一般市民のベータ。そして希少種のオメガである。
アルファは王族のみでさらに竜の血を持ち、知能や身体能力の高さに秀でた性だ。ベータは知能も運動能力も平均的で、国民の多くがそれである。
そして希少種のオメガ。数が少なく目にすることはほとんどない。アルファやベータと違うところは、オメガには発情期というものが存在する。さらにオメガ性は発情期になれば男女問わず妊娠が可能で、発情期に放つ性的フェロモンは全てのアルファを惑わすという。ときにはベータさえも誘惑するため、オメガ性は世間から冷遇されている。
ユリウスはベータ同士の両親から生まれ、見た目は特殊だがベータ性だ。そう言われて育ってきた。ベータやオメガなど性別について、五歳の頃のユリウスはよくわかっていなかったが、十五歳になった今はちゃんと理解できている。
見た目には未だ苦労しているが、街にさえ行かなければ問題はなく、平和に日々を送っていた。
子供の頃は無防備に人前へ出てしまう可能性があったので、髪を黒く染めていた。今は染めるのをやめ、フードや帽子で隠している。無論、人目を敏感に察知して隠れる術も身につけた。
ユリウスは小麦畑の間に走っている真っ直ぐな道を歩く。風が小麦の穂を揺らし、それはまるで金色の絨毯が波打つように見えた。風がユリウスの髪を同じようになびかせる。
飛ばされてしまいそうな麦わら帽子を左手で押さえ、歩みを止めた。風上に顔を向け、遠くにある自分の家を見つめる。微かに湿り気を帯びた匂いがして、雨がくるなとユリウスは思った。
「ただいま」
家に入ると父の姿がある。
「父さん戻ってたの? 商売はどうだった?」
レギーナの街へ行商に行っていた父が二日ぶりに戻っていた。すでに酒を飲んでいるのか、ほんのりと頬が赤い。
「もちろん全部売れたぞ。特に母さんの作るチーズは人気だからな」
「そう、よかった。母さんのチーズは本当においしいよね」
麦わら帽子を壁のフックにかけ、父の向かい側に腰を下ろした。テーブルにはおいしそうなベーコンが皿に並んでいる。商売はかなり上手くいったようだ。ベーコンは普段の食事ではめったに出ない。
「いやだわ。そんなこと言って、父さんのベーコンを狙っているんでしょ?」
あなたはこれよ、と母が皿に載せて出してくれたのは八分の一にカットしたアップルパイだった。
「そうか、もうそんな季節だったね」
「そうよ。今年もたくさんリンゴが成ったわ。父さんが砂糖も買ってきてくれたし、さっそく焼いてみたの。好きよね、ユリウス」
「うん、大好き」
アップルパイを目にすると思い出すのはカイルのことだった。今と同じくらいの時期に、カイルからサンドリオを出ると打ち明けられた。あれからもう二年が過ぎている。カイルは十八歳になっているだろうから、騎士になるには十分な年だ。
(カイル、元気にやってるかなぁ)
何度か手紙を書いてみたが返事はなかった。むしろちゃんと届いているのかさえ不明である。初めの頃は返事がいつくるかとそわそわしていたが、一カ月二カ月と過ぎていくうちに、郵便受けの前で待つのもやめてしまった。
(あの手紙、カイルは読んだのかな)
懐かしさが胸にどっと押し寄せてくる。アップルパイを口に入れると、カイルと過ごした日々が思い出され気を緩めると涙が出そうだった。
「そろそろ騎士団パレードの時期だな。四年に一度の盛大な祭典だ」
「そういえば前に開催されたとき、行きたい行きたいってすごくわがままを言ったの覚えてるよ」
ユリウスは照れくさそうに笑うと、父も母も同じように笑った。
四年前、それはユリウスが十一歳のときである。いつまで経っても街へ連れていってもらえず、ストレスが大爆発したのだ。散々両親を困らせ、大泣きするユリウスは最終的にカイルに慰められた。それを思い出すと今でも恥ずかしい。
「そうだそうだ。四年前に大泣きしてたな。あの頃はまだ十歳くらいだっただろう。しかたがないさ。とはいえ、今でも街には行っちゃダメだからな」
「わかってるよ。アシアを髪に塗るのはもういやだし、このまま行けばどうしたって目立つからね」
大人になってもこのまま一生、街へは行けないのだろうか、と漠然とそんな疑問が浮かび上がる。両親が年老いて亡くなれば、必然的に家の仕事をユリウスが引き継ぐだろう。結婚して子供ができれば尚さら稼がなくてはいけないし、街には出ざるを得ない。
(でもまだ先の話、かな)
遠くて近い未来を、両親はどう考えているのだろうか。そして先ほど父が口にした騎士団パレードという言葉がユリウスは気になっていた。十一歳の頃のユリウスは一人で街に行けなかった。しかし十五歳になった今は、街へ行ける手段を得られる。そう考えるとユリウスは落ち着きがなくなってしまう。
夕食を済ませ自分の部屋へと戻ってきたユリウスは、机にランプを置いた。数冊の本が机に並び、その影がランプの明かりに揺れている。
「パレードか……」
ベッドへ横になったユリウスは呟いた。
街へ行くには足がいる。馬が一番早いけれど、ユリウスの家には一頭しかいない。いつも馬車を引いて父が街まで行くために使っている。それに乗れば半日もあれば街に着くだろう。だが馬は移動手段以外にも使うので勝手に乗っていくわけにはいかない。
(歩いたら一日以上かかるかな)
一度も街へ行ったことがないので、道に迷う想定も必要だ。そこまで考えて気づいた。
(あ、僕もう行くつもりになってる)
ふふっと思わず笑いが漏れた。しかし緩んだ頬はすぐに真剣な表情へと変わる。何度か瞬きをしてベッドから起き上がったユリウスは、クローゼットの扉を開いた。
物入れの一番奥に隠してある小型のナイフを取り出す。ダークブラウンの鞘にはR・Uと少し歪な彫り文字が入っている。これを彫ったのはカイルだ。剣術は苦手でも、ナイフくらいは使えるようになった方がいい、とユリウスが十歳の誕生日のときにカイルからもらったものである。両親はこのナイフの存在を知らない。どんな些細なことでも報告するユリウスだったが、これだけはカイルと二人だけの秘密にしたかった。
年月が過ぎ、味の出てきたその鞘を撫でる。指先に感じる凹凸は懐かしい記憶を思い出させた。
「カイル……」
気持ちはすでにレギーナへ向いている。パレードの行われる前日の早朝に出れば、レギーナの街には翌日の昼に到着するはずだ。一度も行ったことはないが、街までの道は一本なので迷いはしないだろう。
ユリウスはその日、夜が明けるまで手にした小型ナイフを愛しげに眺め、指先で何度もイニシャルを撫でていた。
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