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第1話(佳人)

「決勝進出は、以上の組に決定しました! 皆さん、大きな拍手をお願いいたします!」  会場中が熱い拍手に包まれる。小さなホールが揺れていると感じるほど、場内の熱狂は高まっていた。一方で、おざなりに両手を合わせるふりをしているだけの人間もまばらに見受けられる。きっと彼らは、敗退した組を推していた人々だ。それか、自分と同様に、敗退チームの関係者か。  七井佳人(なない よしひと)は客席から、舞台上で曖昧に笑いながら力なく拍手する自分の恋人――仙川太一(せんかわ たいち)を見つめていた。芸歴十年の漫才コンビ・セブンスラッシュは、今年の漫才コンテストで準決勝敗退となった。 「七井さん!」  帰りがけのロビーで呼ばれた声に振り返る。セブンスラッシュのマネージャー・菅野だった。 「あ、お久しぶりです。この度は、その、残念でしたね」 「えぇ、彼らも本当に必死に練習していましたから、相当悔しかったでしょう。私も同じ気持ちです」  あ、ご存じでしたよね、練習してたこと――と菅野は恐縮したように付け加えた。彼は佳人と太一の関係を知っている人物だ。二年前に二人の関係が知れた時も、「仙川のことを支えてくださってるんですね」と感謝された。担当する芸人が活躍することを本気で願っている、誠実なマネージャーという印象だ。 「七井さんが来てくださるなんて珍しいですね。まだ楽屋にいると思いますが、会っていかれますか?」 「あぁ、いえ。今は会いづらいんじゃないかな。差し入れ、受付の方に渡しましたので。皆さんで分けてください」  そう伝えたら、菅野は一層恐縮し肩を丸めて頭を下げた。わざわざ自分に声を掛けてくれたが、彼もまた深く落胆しているのは明らかだ。こんな時にのこのこ出ていくほど弁えがないわけではない。佳人は頭を下げて、素早くその場を後にした。  今日、太一は佳人が観に来ていることを知っている。何も連絡を入れないのも妙だろう。メッセージアプリを開き、「お疲れ様。今日は打ち上げだよね? もしうちに来るなら、好きにしていいから。寝てると思うけど」と打つ。一行改行して「俺は、笑ったよ。面白かった」と加え――少し考えて消した。更に、あまり早く送り過ぎるのも間が悪いと考えて、電車に乗ってから送信ボタンを押した。  正直、彼らが漫才コンテストで敗退するところを見たのはこれが初めてではない。太一と付き合いだしてもう四年。これで三度目のことだった。前々回は三回戦、前回は準決勝と、少しずつだけど進歩しているように感じる。それに、〝敗退〟の定義を優勝以外だとするならば、応募者四千組のうち三千九百九十九組は敗退ということになる。以前そう言って慰めたが、「でもさぁ、俺、せめて決勝行きたい」ともっともなことを零していた。「決勝進出が目標って思ってっから駄目なのかなぁ、優勝を目指すくらいの気持ちじゃないと」とも。  意気込みは勿論大事だが、重要なのは適切な努力ができることなのではないかとも助言したら「佳人さんまた難しいこという~」とかなんとか言っていたっけ。大丈夫かと不安になったが、それでも彼が懸命に努力していたことを佳人は知っている。  今年が結成十年目という、彼らにとって節目となる大事な年だったことも。 「――あ」  ぴろん、と音がしてスマホが振動する。こんなに早く返信がくるなんて。慌てて画面を見ると、一言、「ありがと」とだけあった。  いつもはもう少し時間を置いてから、文章上だけでも空元気な返信が来る。こんな簡素な連絡は初めてで、どう返していいのかわからない。いや、もう返せることなどないのかもしれない。この即レスと簡素な返信は、もう触れてくれるなという太一からのメッセージのように思えた。 (……夕飯、どうしようかな)  三月の夜は冷たく、帰路を進む足取りが重たくなる。実のところ、決勝進出祝いのためのお祝いディナーまで考えていた。といっても、美味いと評判のデリバリーをチェックしていた程度だけれど。それを一人で頼むのも空しい。何より、太一の様子が気になって食事が喉を通りそうにない。  結局、近所のスーパーで安くなっていた惣菜を適当に買って帰った。それらを冷蔵庫に残っていたビールで流し込みながら、自分がずっと、太一のことを考えていることに気づく。  ここに戻ってきてくれたら、いくらだって励ますのに。  美味いものも何でも食わせてやれる。  そうやって元気をつけて、また頑張ればいい。 (やっぱり、送ろうかな)  さっき消したメッセージ。「俺は、笑ったよ。面白かった」をもう一度メッセージ画面に打ち込み、おもむろに送信ボタンを押す。多分、酒の力も借りていた。すぐに既読はついた。しかし返信はこなかった。

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