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第2話(佳人)

 芸人・セブンスラッシュおよび仙川太一との出会いは、四年前に遡る。 「お笑いって……ライブに行くものなの?」  率直な感想を口にしたら、「爆笑!五木プロダクション若手芸人お笑いライブ!」というチケットを差し出していた友人が、面食らったような顔をした。 「行ったことないの?」 「行こうって思ったことないかも。芸人って、テレビのバラエティに出てて面白いこと言ってるなっていう印象しか……」  ネタとなると、いつどこで見られるものなのかも知らない。多分ネタ番組の放送や動画配信はあるのだろうが、佳人の最後の記憶は正月に延々とやっている特番の印象だった。  そんな佳人に対して友人はわざとらしく溜息を吐く。 「やっぱりなー。お前、無趣味だもんな。あんまり笑わなさそうだし」 「失礼な。無趣味じゃない。本読んだり、あとは、配信サイトで映画観たりとか、するし」  正直それらは休日の暇つぶしの一つでしかない。それを見抜いているのか、友人は笑って受け流し、「つまり暇だろ?」とこれまた失礼な返しをしてきた。  いわく、友人は学生時代に芸人を目指していたことがあり、その名残で今でもお笑いが好きなのだという。特にこのライブには、まだ地上波ではあまり活躍していないものの、配信サイトなどで人気の若手芸人が出演するのだそうだ。 「でもなんで俺? もっと好きそうな人いるだろ」 「それはほら、元気になりたい頃かなと思って」  友人らしからぬ控え目な口調で言われ、腑に落ちた。半年前、二年ほど交際していた恋人に別れを告げられたのだ。色々と理由はあったが、「お前は重い」というのが結論だった。  それについての自覚はある。三十歳。ITサービス企業の総務人事部門に勤める佳人は、仕事一辺倒で趣味は無し。となると、自ずと気持ちの行き場は恋愛に向かう。勿論いい大人だから、過度な依存を見せているつもりはなかった。しかし多趣味で友達も多い恋人にとって、佳人はつまらない人間に見えたらしい。  失恋の傷は時間が癒してくれるというが、相手に選ばれないことから見える自分の欠点やコンプレックスは、そう簡単に去ってはくれない。佳人は未だに、夜中に頭を抱えて叫び出したい羞恥や悔恨を抱えていた。  そんな事情をこの友人は知っている。彼もまた、ゲイコミュニティで知り合った仲間だった。 「それって俺に推しを見つけて、いわゆる沼にはめようって思ってる?」 「まさか。七井はそんなオタク気質じゃないだろ。気構えなくていいって、普通に面白いから」  普通に面白い、ってどんなだよ、というツッコミは置いておいて。たまにはまったく知らない世界を覗いてみるというのも大事なことかもしれない。オタク気質にはなれないにしても、無趣味なつまらない人間は脱したかった。 「わかった、行ってみるよ。予習しておきたいから、おすすめの動画教えて」  そう言ったら「予習って。お前は変なとこ真面目なんだよな」と笑われた。こうして佳人は、初めてのお笑いライブに行くことになった。  結論から言うと、オタクになるほどではないにせよ、動画やライブで観たネタはどれも面白かった。特に漫才は、精緻に作られた掛け合いを、呼吸を合わせながらライブ感をもって完成させていく様子に一種のスリルさえ感じた。どちらかが転んでしまえばリズムが止まり積み上げてきたものが崩れてしまう。矢継ぎ早なやり取りが完結した瞬間や、反対に、沈黙を恐れない間やスローペースを駆使した掛け合いの笑いには、相当な技術が必要だろうということもわかった。  というようなことを、ライブの帰りがけに語ったら「真面目かよ」と友人はまた笑った。 「でも楽しんでくれたんならよかった。気に入った芸人いた?」  つい先ほどまでいたライブ会場の空気を思い出す。四方を黒い面に覆われパイプ椅子が並べられた独特な空間。その中が笑いに満たされたり、時にまばらな失笑に冷たくなったりするその空気感自体が新鮮だった。 「――どれも、面白かったかなぁ」 「あ、これあんまり覚えてないやつだな」 「そんなことない。動画で予習してたからどれも覚えたよ。テレビに出た時にもすぐにわかる」 「そう? まぁ、もしハマりそうだったら言ってよ。また誘うからさ」  友人は、佳人のこだわりのなさに少しがっかりしたようだった。  ただ、何も印象に残らなかったわけではない。むしろ、会場を思い出した時に真っ先に目に浮かぶ二人組がいた。それが漫才コンビ・セブンスラッシュ。特に、ツッコミ担当の仙川太一のよく通る声は、佳人の耳に残っていた。  友人にそのことを言わなかったのは、なんとなく、気恥ずかしかったからだ。自分の心惹かれたものを好きだと素直に言うことは、自分を知られるようで妙な恥ずかしさがある。それに、声が印象的だったというのは、お笑い好きの友人に告げるにはどこか不純な気がしていた。  ただ、帰宅してから彼らのことを検索してみた時、素直に言わなかったことを少しだけ後悔した。  仙川太一と松山陸は、養成所時代にコンビを組んで現在芸歴六年。そこそこの活動期間があるにも関わらず、彼らを知る情報源は少なかった。思えば動画サイトに上がっていたのも、彼ら専門のチャンネルではなくライブの配信まとめのようなものだけだ。SNSはやっているものの更新はまばら。テレビのネタ番組やバラエティにもちらほらと出演歴はあったが、現在レギュラー番組などはないらしい。  だからと言って、今更友人に聞くのもなんとなく憚られた。 (ハマれたりしたら、面白かったのにな――)  自分が何かに夢中になれる期待は、早くも喪失した。こういう時により熱心に調べられるタイプならよかったが、そうではないからこそ今の状態がある。大した収穫もないままPCの電源を落とした佳人は、今日のこともすぐに忘れていくのだろうという漠然とした予感を抱いたまま眠った。

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