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第13話(佳人) ※R-18

 結局、新しい部屋は佳人が借りた。  築五年の2LDK。マイナーな私鉄しか通らない駅だが、その分静かで過ごしやすい。清潔で広々としたオープンキッチンは三口コンロだった。  引っ越しに際し改めて一緒に住まないかと誘ってみると、黙っていてごめん――と太一は、二人で暮らす部屋を借りようとしてみたけれど借りられなかったことを打ち明けてくれた。  その無鉄砲さや、自ら挑んで傷つくいじらしさに、胸を打たれないわけではない。相変わらず可愛いと思い甘やかしたくなるのが佳人だったが、それはもうやめると決めたのだ。 「それは、そもそも相談すべきことだっただろ」 「……うん、ごめんなさい」 「だから、俺からも改めて相談させてほしい。俺はやっぱりこの部屋を引っ越そうと思っている。それで、もしよければ一緒に暮らしてほしいんだ」  そう切り出したら、太一は戸惑うような表情を見せた。それは当然だろう。以前までは、佳人が養って囲うという前提だったのだから。だけど、それは対等ではないことは今ならわかる。そして、自分の考えたことを素直に打ち明けてくれた太一に、佳人も隠すことはもうやめた。 「……信じてもらえるかわからないけど、この相談は、今までと同じ意味じゃない」 「それは……」 「今まで、俺、太一のことなんでも世話してただろ。今だから言うと、俺はそれが嬉しかったんだ。お前のこと、支えてるのは俺だって実感して、お前が俺を頼れば頼るほど、お前にとって俺が必要な存在になっていくみたいで――」 「なに言ってんだよ、俺別に、助けてくれてたから佳人さんのこと好きだったわけじゃ!」 「わかってる。だからこれは俺の勝手な自己満。金で囲ってたみたいだろ。失礼なことしてたなって思う。太一、ごめん」  そんなことを言われても太一が戸惑うことはわかっていた。実際に頼っていた身としては何も言えないはずだ。それを理解しながらこうして謝るのもずるいとわかりながら、そこに付け込める分、自分の方が狡猾な大人だなと佳人は自嘲した。  だけど、そんな駄目な自分より先に、この関係を脱しようとしたのは太一の方だ。だから今度はその気持ちに報いたい。 「でも、今言っているのはそういう意味じゃない。食費折半にしようって言った時とも違う」 「じゃあどういう意味? 俺、わかんないよ、佳人さんが考えてる難しいこと」 「難しいことじゃないよ」  辿り着いたのは単純な答えだ。結局それは今までと変わらない。ただ、二人で迷って悩んでもう一度ここに辿り着いたことに意味がある。 「俺、太一と一緒にいたいんだ、これからも」  それは決して、今までと同じじゃない。 「俺は太一のことを支えたいし、俺のことも支えてほしい。互いの人生に関わり合いたい」  その方法は、今度こそバランスを崩さないよう追々考えるとして。 「そういうシンプルな答えじゃ、駄目かな?」  今度は太一は、難しいと言わなかった。実直な言葉は確かに届く。丸くしていた目をきらきらと光らせて、きゅっと横に広がる唇から綺麗な八重歯が覗いた。 「ううん、駄目じゃない、俺も! 俺もそうしたい!」  こうして二人で飛び込むことにした四年目。春のことだった。 「ごちそうさまでした!」  すっかり物のなくなった段ボールだらけの部屋。がらんとした空間には寂しく感じる大きなソファに並んで腰かけ、引っ越し前夜の乾杯をした。調理器具もすべて段ボールの中だから、今日ばかりは買ってきた食事だ。なるべくゴミが出ないよう、テイクアウトの牛丼が二つとビールが二缶。太一は「こういう日に食うものって特別に美味く感じる!」と大きな口を開けて食べているから、つられて妙に美味く感じた。  リビングと寝室を遮る扉も今は開け放っていて、遮るものは何もない。元々物は少ない方だと思っていたけれど、すべて片付けるとこんなにも物寂しく見えるものかと思う。ここで、時間を重ねすぎてしまったからかもしれない。  佳人はこの部屋を手放すことで、ようやく背負っていた何かを下ろせるような気がしていた。 「……ベッドいく?」  いつの間にか佳人の膝の上に頭を預けていた太一が、甘えたような声を出した。食い終わったものを先に片付けようと言いたいところなのに、どうにも太一を見ていると、なんでもいいような気になる。あぁ、だめだ。甘やかしてしまうのは、もう諦めるしかないのかもしれない。重いも甘いも呑み込んで、それでも自分の足で立てていたら上等、ということにしよう。 「いこうか。最後だしな」 「え、最後?」 「うん、あのベッドは持っていかない。もう捨てることにしたんだ」  大したことではないと思い伝えていなかったが、なぜかそれは太一にとって重要だったらしい。目を大きく開いて「なんでだよ聞いてない!」と声を上げた。 「え、うん。だって言ってないから。気になることだった?」 「だって大事だろ! 二人で寝るのにもちょうどよかったし!」  二人で。もしかしたら太一は、二人の思い出があるということが言いたかったのかもしれない。ただ、佳人にとってあのベッドはそれだけのものではない。 「俺がここに引っ越してきた時からあるから、もう四年経つ。マットレスも古いんだ。それに、そんなに大事だと思うなら、二人で選んだものをこれからは使おうよ」  今度一緒に選びに行こう。頬に手を添えてそう伝えたら、太一は少し拗ねたように「……ん」と引き下がった。  とりあえずしばらくは来客用布団とソファでやり過ごす日々になるだろう。だから今日は供養だ。 「……最後っつーことはさ、壊しちゃっていいわけ?」 「壊すまでするつもり? 勘弁しろよ、お前の若さについてけないよ」 「いやいや佳人さんだってまだ三十四でしょ、現役じゃん」 「それ前も言ってた」 「ずっと言うよ、五年後も十年後も言うから」  この子は、五年後も十年後も一緒にいるつもりらしい。意味がわかって言ってるのかな。佳人は胸の内を満たす温かいものを感じながら小さく笑った。 「っ……」  息を呑んだ声だけで、太一は佳人の変化を感じ取った。柔らかく擽るように動く舌が、血管を這うように首筋を動く。そのじれったい動きに、腰の奥がじわじわと疼く。 「ん、ぅ……!」 「待って。もう少しさせて、ね?」  鎖骨にまで下りてきた太一の頭に手を差し入れて止めようとしたら、手首を取られた。優しい声と裏腹に力強い掌の力がいとしい。無言で頷いて耐えていると、胸の突起に濡れた感触が届く。 「――あっ」  思わず唇を解いて声を漏らすと、見計らっていたように手が太腿を這う。熱い舌と掌で上と下に触れられて、体中が火照るように蕩けていく。 「ん、っ、ぅん……ぁあ」  つい声を我慢する癖がある佳人を窘めるように、胸から離れた柔らかい舌が唇をつつき入り込もうとする。強引ではないのに有無を言わさない、断れない、開かざるをえないと思わされる太一のキスは、太一自身のようだといつも思う。 「ぁ、ん……」 「――っ、ん」  二枚の舌が境目を無くすように絡み合うと、佳人はたちまち骨まで溶けてしまう。どこにも力が入らないのに、性器だけは固くなっていくのが正直で恥ずかしい。そんな佳人の中心を慈しむように、太一の節だった細い指が絡みついた。 「っ、今日は、だめだ、いまは、イケない……!」 「なんで? 疲れてるとか?」 「じゃなくて……っ、シーツとか、洗えないだろ……!」  止めたら太一は駄々をこねるかと思ったが、少し考えるように首を傾けたあと、「そっかぁ、そうだね」とすぐに引き下がった。 「佳人さん、素直でかわいい」 「え? 素直なのはお前じゃあ――」 「だって、触られたらすぐイッちゃうってことでしょ?」  そう指摘され、思わず頬が熱くなる。にんまりと笑った太一は、思わず口元を押さえた佳人の手の甲にそっとキスをした。 「じゃあ今日はゆっくり、大事にしようね」 「……うん」  つくづく、太一は反則だと思う。今まで彼は同性との経験がないというのに、その段差を感じさせない。初めての時――太一が勃たないことも、男の身体を見て我に返り冷めてしまうことも覚悟していた佳人を前に、懸命な気遣いと愚直な興奮を見せてくれた。軽薄な口調と裏腹、繊細でよく気の付く男だということは知っていたけれど、それはセックスにおいても同様だった。 「ねぇ、俺にも触らせて。太一のこと、気持ちよくしたい」  時折、優しく抱かれるほどに、太一とこれまで交わった相手も皆この多幸感を覚えたのだろうかと考えてしまう。それと同時に、もう誰もこれを知ることはないのだという優越感も。  いい大人が馬鹿みたいだという自嘲を呑み込んで、佳人はベッドの上に座らせた太一の性器に口づけた。快感に素直な太一は、「ん」と小さく鼻から抜けるような声を出した。  その声につられて、自身の中心もずくりと重みを増す。口内に迎え入れて舌で擽るように可愛がると、蜜のような先走りが溢れて止まらなくなった。 「ぅ……っ、よし、ひとさん……おれも、出ちゃうよぉ……!」  甘い声で泣くように懇願される。まだ舐っているだけなのに、可愛い。そんな声を出されたらやめられなくなる。そのまま顔を上下するように扱いてやると、じゅぷじゅぷと湿った音ががらんとした室内に響いた。 「ん、いい、よ……そんな、しなくて……!」  佳人を見下ろす目は濡れていて、言葉だけの否定は何の説得力も持っていない。初めてフェラをした時は、見られることに抵抗があった。男が性器をしゃぶる姿を見て、萎えてしまわないか不安だったのだと思う。でも、口の中に吐き出してしまいそうになるのを必死に堪え、震える声で名前を呼び、欲情に反した優しい手つきで佳人の髪をかき回す太一のその健気な姿に、すべて、許されている気になったのだ。 「ぁ、あっ、……う……っ!」  喉の奥で亀頭を呑み込むように刺激したら、一番奥で熱が弾けた。どぷどぷと溢れた白濁は、吐き出すまでもなく、粘膜に絡みつくように体の中へ落ちていこうとする。 「飲むなよぉ……いつも言ってんじゃん」 「仕方ないだろ、洗濯できないしゴミもあんまり出せないんだから」  どう聞いても詭弁だったが、太一は反論を諦めたらしい。かわりに、「俺にも続きさせて」と佳人の体を押し倒した。 「さっき言ってたこのベッドの話だけどさ、今更気づいたわ。元カレとの思い出があるから捨てたいってことっしょ」 「……怒ってる?」 「ううん。むしろ俺と新しいの選ぶって言ってくれて嬉しい。でも、やっぱこのベッド壊すくらいやってやりたい! 見せつけるみたいにさ」 「馬鹿、元カレは地縛霊じゃない」 「うわ、佳人さんの口から元カレって聞くとフクザツ~」 「太一が言わせたんだろ」  馬鹿なやり取りに、太一は八重歯を見せてけらけらと笑った。  太一はあまり嫉妬をしない。そのことに寂しさを覚えなくもないが、そのからりとした気持ちのいい性格が彼の良さだということを知っている。何より、そんな太一が時折見せる執着は、何よりも心地よかった。 「でももう、今の佳人さんとこれからの佳人さんを知るのは俺だけだもんね」 「……そうだよ」  お前だけだよ。そう返す代わりに、頭を引き寄せて唇を重ねる。  お前だけだよ。この部屋の最後の晩も、新しい生活も。新品のベッドだって。これからのことを全部、また新しく二人で積み重ねていくんだから。 「苦しくない? ゆっくり息して」  ローションをたっぷり使い時間をかけて解されたそこは、既に三本の指が出入りできるようになっていた。ぐち、くちゅ、と濡れた音と吐息だけが部屋を満たす。もうとっくに互いの身体は熱くなっているのに、太一はまだ入れようとしない。「大事に、ゆっくり」という言葉を真摯に守ろうとしているようだった。 「……太一、もう」 「んー……もう、ちょっと」  そう言って太一は佳人の胸元に頬擦りをしてキスを落とす。その甘えるような仕草に、ふと思い当ることがあった。 「……もしかして、さみしいって思ってる?」  ベッドを捨てると言った時も強い反応を示していた。嫉妬はしないけれど情に厚く執着はある男だ。太一は「ん」とぐずった子どものように肯定してみせた。 「だって、この部屋が最後だと思うとさ」  こういう時、佳人は一種の感動を覚える。感情や感傷を一時のものだと流さず、そのまま受け止める太一の心が好ましい。  ただ、佳人は同じ感傷に浸れるほど無垢じゃなかった。 「そうだな、俺もそう思うよ」  こういう時にずるくなれる大人だった。いや、自分の欲望に対しては従順すぎるのだと言ってもいい。 「だからさ」  佳人は太一の頭を引き寄せて、耳に舌を這わせた。 「忘れられないくらい、激しくしてよ」  息を呑む音。熱く震える声を絞り出すように、太一は「煽んなって! 我慢してんだから……!」と白状した。そうやって感情や理性を持ち込む太一の性質も嫌いじゃないけれど、脇目もふらず求められたいときもある。 「我慢なんていらないだろ」  甘い声で理性を外してやると、太一は目の前の欲望に飛びついた。性急にスキンを被せると、なんの迷いもなく佳人の中に押し入ってくる。解されていた後ろは少しずつ広がり、ずぷずぷと、太一の性器を呑み込んだ。やっぱり、この感覚が、たまらない。 「っ、う……ぁ、ああ!」  打ち付けるように性器が出し入れされる感触がリアルに脳に焼き付く。噛み締めるような荒い呼吸。太一は達しないよう懸命に堪え、目まぐるしい快楽に浮かされているらしかった。その熱が、佳人の体にも伝播していく。 「ぃ、ああ、っあ、う」  ぎしぎしとベッドが軋む。溺れるように無心に腰を動かす太一は、荒れた獣のようだった。無邪気な面も、繊細なところも、こんな姿も全部、俺だけのものだ。その充足感だけは、日常に変わっていくこともなく、いつでも新鮮に心を満たす。それはいつだって快感として、佳人の全身を舐めつくした。 「あっ、よしひとさん、やばい、おれ、イきそう」  息も絶え絶えに、太一は喘いだ。よしひとさん、と呼ぶその声の甲高さに煽られる。この男に求められ、この男が自分に溺れていることに目も眩むような興奮を覚えた。 「いいよ、先にイって……!」 「やだ、一緒がいい……っ!」  焦れたように喘いだ太一は、佳人の腰を抱え直して、一番奥に押し当てるように性器を押し込んだ。ずちゅ、と濡れた音でいっぱいになる。腹が苦しいほどの深い挿入は、過ぎる快楽と熱を互いの体に齎した。 「あ、ぐっ、ぅう」  太一の濡れた手が、佳人の張り詰めた性器を握る。直接的な快感に、佳人は耐えられずに声を上げた。濡れた喉を、胸元を、反らせて。眩暈がするような快感に溺れていく。太一の体から零れた汗が、佳人の湿った肌の上を流れていった。あぁ、結局シーツもぐしゃぐしゃだな。熱にうかされながら、そんなことを思った。 「あ、あっ、う……ッ!」 「イ、く……、ん、っ……!」  互いの体の境目がわからなくなる頃、二人はほぼ同時に達した。  引っ越し業者が来るのは明日の昼頃。起きたらまず、コインランドリーでシーツの洗濯をしようということになった。 「別によくね? 引っ越して、洗濯機設置してから洗うんでも」 「俺は、ちょっとやだ。だって明日ベッドとマットレスは捨てるから、この汚れたシーツは他のものと段ボールに入れて持ってくんだよ。なんとなく、気になるだろ」 「そうかなぁ。てかこれを機にシーツだって買い換えたらよくね?」  それはもっともな意見だった。互いの汗やら何やらが染み込んだシーツの上で横になったまま、二人は明日の相談を続ける。 「早起きしてさ、ベッドも見に行っちゃおうよ。休み重なる日待ってたらずっと布団とソファで寝ることになるって」 「確かになぁ。起きれたらそうしようか。太一、起こしてくれる?」 「おう、任せろ!」  他にも、部屋のインテリアや同居のルール、互いの部屋をどうするかなどについて、細かく決められていない部分も多い。事後の心地よい倦怠感の中でするそんな話は、どこか夢見心地だった。 「すげぇな……俺たち、本当に一緒に住むんだなぁ」  感慨深く太一は言う。佳人はその隣で、きっとこの特別な気持ちもまた日常になっていくのだろうと思う。  四年前、突然始まった非日常のドラマはゆるやかな日常になり、そしてまた転機を迎えた。人生はきっと、それらの連続だ。太一は時々落ち込みながらも舞台の上に 残り続け、佳人は相変わらず仕事ばかりの毎日が続く。  そんな日常に倦んだり、疲れたり、うんざりしたりしながら、少しずつ変わる日々を共に過ごせる相手がいることは、幸運なことなのかもしれない。 「一緒に暮らしたらさ、また俺たち変になるときが来るかもな」 「そん時はそん時っしょ」  夜の終わりを惜しむように、二人の話は続く。  布団の下で絡めた指先は、まだ熱い。 <了>

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