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第12話(太一)

「ううん、いいんです。菅野さんが謝んないでください。こっちこそすみません。今夜のラジオ収録は頑張りますんで!」  通話を終えてブラックアウトした液晶画面に、情けない自分の顔が浮かぶ。その馬鹿でみっともない男の顔に向けて吐いた溜息は当然自分に返ってきた。自室のベッドに横たわった太一は、腹が鳴ったのを合図に重たい体を起こす。何かを食べないとと思うし空腹は感じているのに、食欲は湧かなかった。  昨晩、佳人に話した番組の件は断った。マネージャーの菅野は気にするなと言ってくれたし、なんなら始めから彼は乗り気ではなかったのだ。一度持ち帰るといったのは太一自身。短慮で浅はかな考えは、佳人を傷つけることになってしまった。  付き合い始めた頃――佳人はいつも、これまでストレートを自認していた太一を気遣ってくれた。印象が大事な仕事なんだから、徹底して隠すんだったらそれに傷ついたりはしないし協力する。もし普通の恋人らしく、たとえば外でデートしたいと思うのであれば、それはそれでいいよ。ただ、俺のせいで太一が変に騒がれるのは本意じゃない。だからもしもやっぱり違うって思ったら、その時は遠慮なく言ってくれていいから。  リードしてくれる存在だった佳人は、時折投げやりとも取れる言い方をした。それは彼が、孤独や葛藤と共に生きてきたという証だった。何にもこだわらないのに、よく気が付いて面倒見がいい。そのアンバランスなところが魅力的で、好きになったのだと思う。  そんな佳人の配慮を無視するようなことをしてしまった。正直、太一は焦っていたのだ。敗者復活戦で勝ち上がることができず、またコツコツとオーディションを受ける日々が続くのかというところで、この話を聞いた。佳人は断るだろうと薄々わかっていたのに、チャンスだと思って曖昧な返事をしてしまった。 (――おれ、馬鹿すぎるよな。佳人さんの言う通りだよ、色んなこと、なんもわかってなくてさ)  ずっと何者かになりたくて、だけど何者にもなれていない。こんな中途半端な自分を「面白い」と言ってくれる佳人。きちんと仕事や人と向き合って、信頼を築くことができる、太一と正反対の存在。そんな佳人のことが好きで、得がたくて大切で、尊敬していたんだ、俺は。 (謝ろう。許してもらえるかわかんねぇし、いい加減呆れられて駄目かもしんないけど……)  駄目、と考えた瞬間にじわりと涙が滲む。歪んでぼやけた視界の向こう――スマートフォンが光っていることに太一は気が付いた。相手は他の誰でもない、佳人。 「あっ、やだ、ねぇ、佳人さん! 本当にごめんなさいっ! おれ、別れたくない!」 『――ちょっと待って、そんな話してない』 「へ? え……別れ話なのかと」 『……別れたいの? 俺が酷いこと言ったから?』  太一は激しく首を横に振った。音しか届いていないのに、どうやらそれは伝わったようだった。 『よかった、俺も同じだよ。ただ、ごめん。また勝手なことを言うけど、今はその話をしようと思っていたわけじゃない』  電話越し。佳人の声のトーンが真剣なものにかわる。太一は思わずその場で姿勢を正した。 『太一に――セブンスラッシュに、仕事を頼みたいんだ』   ※  明日に迫った佳人の会社の創業三十周年記念パーティー。  このイベントの司会を担当する予定だったフリーアナウンサーが交通事故に遭い怪我をした。その代打を頼みたい、というのが佳人からの依頼だった。  芸人では会の雰囲気に合わないのではないかという声もあったが、プロジェクトメンバーの中の何人かがセブンスラッシュを知ってくれていたこと、特に松山陸が真面目な印象であることと、太一の料理動画の進行がわかりやすいということで、依頼をしてみることになったらしい。  本当は他に検討する余地がなかっただけかもしれない。佳人は電話越しで「太一からの依頼をあんなふうに断っておきながら、都合のいいことを言ってごめん」と謝っていた。  そんなことは気にしていない。それとこれとは違う話だし、何より佳人に頼られることが嬉しい。頼ってばかりだった自分が、部屋すら借りられない自分が、今度こそこの人の力になれるかもしれない。 「わかった。すぐ陸に連絡してみる」 「ありがとう。菅野さんの連絡先教えてもらえる? 正式には彼を通さないといけないと思うから、俺から依頼をするよ」  こうしてとんとん拍子に話は進み、太一はいま、会場となるホテルの楽屋で陸と一緒に出番を待っていた。 「ありがとな、陸。急な話だったのに」 「なに言ってんだよ。七井さんにはライブのたびに差し入れもらってたしさ、少しでもお返しができるなら俺も嬉しいよ」  陸には、佳人と揉めたことは話していなかった。でも薄々察してはいるのだろう。佳人は会場内を動き回っているから出迎えができないという連絡を受け、どこかほっとしている太一を見て、「あとで俺も一緒にお礼言わせて」と言ってくれた。  二人を出迎えた小野という同年代の男は、「すごい、本当に七井さん、セブンスラッシュと知り合いだったんだ……」と零していた。以前まではこんな反応をしてもらったことがない。佳人の顔がある手前だとわかりつつ、「俺たちちょっと有名になった?」と思えたことは、不慣れな場での司会というプレッシャーを和らげてくれた。 「とはいえ緊張すんなー。こんなデカいとこでやるなんて、デカい会社だったんだなぁ」 「太一、お前知らなかったの?」 「うーん、なんとなく聞いてはいたけど、イメージ湧いてなかったっていうか」  ホールの広さは五百人規模。社員の一部と、社外の重要な取引先やステークホルダーを招いての会になるらしい。それだけ聞くと堅いイメージだが、社長を始め役員の紹介や会社紹介のムービー等では先進的なイメージをアピールするために、明るくリズム感のある雰囲気にしたい。そのために、敢えて軽妙なトークが得意なフリーアナウンサーに依頼をしていたとのことだった。  渡された進行表や司会台本を何度も読み、出捌けのタイミングや進行内容を確認する。地方番組のグルメレポやお笑いライブの司会はやったことのある二人だが、こうした場は初めてだ。 「どこまでふざけていいんだろ……」 「太一はふざけなくていい。ボケるのは俺の役目だ」  陸は、優等生然としたメガネの外見と真面目な口調で少しズレたことを言うのが芸風のボケだった。確かにこういう場では、彼のようなタイプはちょうどいいかもしれない。 「太一、焦ってんのも悔しかったのもお前だけじゃない。だから、俺も一回一回を大事にしたい」 「……うん!」  その時、楽屋の戸が叩かれる。「出番です、お願いします!」と小野が元気よく入ってきた。  彼の誘導で絨毯張りの廊下を歩き、ホールの入口に続く扉の前まで着いた。「セブンスラッシュさん、スタンバイOKです」とインカムに囁く小野。そのマイクの向こうに、佳人がいる。太一はそう直感した。 「それではお願いします!」  陸と視線を交差させ歩き出す。きらびやかなステージは目の前だ。鳴り出した拍手に迎えられ、二人は壇上へと出た。  一目見渡して、普段のライブの客層とまったく違うことがわかる。スーツ姿の男性が多い。どうするかと考える間もなく、「どうもこんにちはー、セブンスラッシュです!」と、口は勝手に慣れた挨拶を発していた。 「はい、本日は私共のSNSフォロワー数三千人突破記念にお集まりいただきありがとうございます」 「違うよ、なんで俺たちのために集まるんだよ。株式会社テックモーション創業三十周年記念!」 「あっ、そうか」 「そうかじゃないよ、三十周年、すごいことですからね。おめでたいですよ」 「三十年前に生まれた人が、今年三十歳になる年月ですからね」 「たとえが下手。いやでも三十周年続くというのはすごいことですよね」 「その通りですね、おめでとうございます!」  滑り出しはややウケながら、パーティーの主旨に触れたことにより会場から温かい拍手が上がる。好意的な雰囲気に手応えを感じた。これならいける。確信をもって会場全体を見渡した時、後方に立つ佳人の姿を見つけた。視線が交差した気がした瞬間、佳人は片手を上げてガッツポーズを見せてきた。なんだよそれ。いつもの淡々とした様子とのギャップがおかしくて笑いそうになる。 (あぁ――でも、良かった)  佳人が笑っている。きっと自分たちが初めて客席と舞台という場で出会った時も、こんな風に笑ってくれていたのだろう。  あの時の舞台が佳人と出会わせてくれたように、今日のこの舞台もまた、特別なものになるかもしれない。  そんなことを思いながら、太一は目の前の観客に向き合った。 「ありがとうございました! セブンスラッシュさんにお願いできて本当に良かったです!」  すべての出番を終えて裏に戻った時、安心しきったような笑顔の小野が迎えてくれた。きっと彼も相当なプレッシャーでこの会の運営をしていたのだろう。同年代だからこそ、その気持ちが少しわかる気がする。同じく肩の荷が降りた太一と陸は、「こちらこそ、良い機会をありがとうございました」と頭を下げた。 「――お疲れ様」  その声に顔を戻すと、舞台裏に入ってくる佳人の姿があった。労いの第一声は、後輩の小野に対しての言葉だったらしい。佳人は小野と少し話したあと、「休憩してきたら。昼も行ってないだろ」と気遣った。小野は太一たちに対して名残惜しそうな視線を寄越したが、疲れも溜まっていたのだろう。ぺこりと頭を下げて「僕はこちらで失礼いたします」と去っていった。  彼が去ったのを見届けて、佳人は太一と陸に向き合った。  こんなふうに佳人と顔を合わせるのは、あの気まずい喧嘩の夜以来だ。これまでは高揚感で走り抜けてきたが、いざ対面となると戸惑ってしまう。「あの、俺……」と半端に声を掛けるよりも先に、佳人が深く頭を下げた。 「仙川くん、太一、本当にありがとう」  改めて正式に礼を言われて動揺する太一よりも早く、陸は「そんな! とんでもないです!」と反応した。 「ほんっと、こんな太一を見捨てないどころか」 「おい、こんなってなんだよ」 「俺たちに仕事まで回してくださって。本当、世話になりっぱなしです。あぁ、ほら、SNSにもっと力入れた方がいいって最初に言ってくれたの七井さんですし」  そういえば。今日の掴みで陸が冗談めかして言っていたのはこのことだったのか。そんな意図があったとは知らず、太一はつくづく自分の鈍感さに恥ずかしくなった。 「いや、俺は、好きにしてるだけというか。今回は本当に、助けてもらったのはこっちの方で」 「……」 「なにもじもじしてんだよ太一。俺が気まずいわ。去れって?」 「んなこと言ってないだろ!」  と言いつつ、何を話していいかがわからない。うまく佳人の顔を見れずにいるところに、ふ、と小さく笑う音。続いて、柔らかい手が頬に触れた。 「なんて顔してんだよ――すごく笑ったよ、面白かった」  心がほぐれたように笑う佳人の笑顔を見た瞬間、ふわりと温かい光が心に灯った。 「ごめん、太一。俺、ちょっと最近余裕がなくて。お前にも酷いこと言っちゃって」  初めて出会った時に貰った言葉は、ずっと大事なお守りだった。佳人に「面白い」と言われたことが支えであり、迷い道を照らす光だった。 「今日、二人のトーク聞いてた間はさ、この仕事のプレッシャーも忘れられた。お客さんが笑ってくれたこともそうだけど、俺自身、すごく笑えて、癒されたんだ」  だけど、これからはそれだけじゃない。佳人にとっても、太一が生み出す笑いは心を灯すものになる。こんな風に笑ってもらえる。 「……俺、今日ここで皆を笑わせられて、ほんとによかった」  心からの本音が溜息のように零れる。その様子の何がおかしかったのか、佳人は今度こそ声を上げて笑った。

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