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居酒屋から出て、二次会に向かうクラスメイトたちと別れ、何人かと帰路に着く。
その時、ふらりと先ほど隣りにいた男が、俺の近くに寄ってきた。
「俺さあ、嫁には言えないんだけど、時々、嫁を見てると思うんだ」
「何を?」
隣を見やると、そいつは足を止め、月を見上げながら呟くように言う。
「初恋の相手に似てるなって。もちろん、似てるから付き合って、結婚したわけじゃないけど、やっぱり初恋ってそんなものだよな。何かと囚われるっていうか、一生残るっていうか」
「……」
「だからって、別にそれが悪いことじゃない。悪いことじゃないんだけど……」
嫁には言えないんだよなあと、そいつは笑い含みに、痛む傷を擦るように頭を掻くと、俺をその場に残して歩き出した。
その背中を見送って、俺も月を見上げた。よく晴れた空にぽかりと浮かぶ丸い月は、俺の心を見透かしているような気がした。
その時、一陣の風が吹き、傍にあった桜の木から花弁がひらりと舞う。それをしばらく眺めた後、また歩き始めようとしたところで、ポケットに入れたスマートフォンが震え始めた。
相手を確認した俺は、目を見開き、スマートフォンを持つ手が震えるのを感じる。
一度深く息を吸い、吐き出した後、鳴り続ける着信に出るために通話をタップした。
「……はい」
馬鹿みたいに声が震えて、笑いそうになるのに、笑えない。一瞬で10年前に戻ったような感覚を味わった。
「もしもし。……夕輝、元気か?」
耳に流れ込んできた低い声は、記憶にあるものよりもずっと落ち着いていて、否応なしに過ぎ去った時間の長さを感じさせる。
だが、不思議と今だけは、その隔たりが気にならず、自然と口元に笑みが浮かんでいた。ずっと心から笑えなかったのが嘘のように。
「ああ。晶太、久しぶりだな。どうしたんだ」
「……別に。今日、同窓会に行けなかったからな」
束の間、続く言葉を互いに失い、沈黙が流れた時、学生時代もこうだったことを思い出す。
俺と晶太は幼馴染だったが、二人でいても多くの言葉を交わすわけではなかった。晶太は人気者だったが、もともと口数が多い人間ではなく、俺の前でだけは黙ることがほとんどだ。周りに対して取り繕っているのを、俺の前だけ素でいてくれるのだと、昔はそれだけで嬉しかったものだった。
それに、俺もこの沈黙が心地いいと感じるのは、相手が晶太の時だけだった。
思わず喉奥で思い出し笑いをすると、電話の向こうで晶太が怪訝そうな声を上げる。
「何だ」
「いや、俺たちは変わらないなと思ってな」
俺の言葉を聞くと、電話越しに晶太も笑う気配がした。
その気配が昔に比べて柔らかい気がして不思議に思いながら、言うはずのなかった問いが、口をついて出ていた。
「晶太、あのチョコレートは……」
どういう意味だったんだ、の語尾に被さって、空間を引き裂くように赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。はっと我に返って口を噤んだが、晶太は構わずに聞き返す。
「チョコレート?」
「……いや、何でも……」
言い淀んでいる間にも、電話越しに赤ん坊の泣き声は激しさを増していく。
悪い、一旦切るな、と晶太が電話を切ろうとするのを感じた俺は、互いの声が聞き取りにくいのを利用して、呟くように言った。
「俺、晶太がずっと」
続く言葉どころか、全て聞こえていなかったに違いないが、通話が途切れる寸前、俺もと応える声を耳にした気がした。
いや、そんなはずはない。それは俺の願望なだけだ。
通話が完全に途絶えた瞬間、再び風が吹き、前髪が掻き上げられる。その風の音の中に、今しがた電話越しに聞いた声の残響音が聞こえ、同時に口の中で、忘れもしない苦いチョコレートの味がしたのを確かに感じた。
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