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第1話
「お姉さん、可愛いね。今帰り? ねぇ、一緒に遊ぼうよ」
目の前で酒臭い息を吐く酔っ払いと、その酔っ払いに掴まれた自分の手首を交互に見ながら、俺はこめかみを押さえた。オジサンと呼ぶにはまだ早そうな、三十代くらいの男がムリヤリ俺を抱き寄せる。
かなり酔いが回っていそうだが、男子高校生の俺を「お姉さん」と呼んだのは酒のせいではなかった。
何しろ今の俺は、ゆるいウェーブのかかった長い髪に、ふんわり広がるシフォンスカートを穿いていて、どこからどう見ても「可愛い女の子」のハズなのだから。
平日の二十二時。
地下鉄のホームは人もまばらで、助けは期待できそうもない。自分で何とかしなくては。そう思って腕を振りほどこうとしたが、予想以上に相手の力が強かった。
鋭く睨みつけながら抵抗すると、それに嗜虐心 を煽られたのか、酔っ払いは意地悪く強引に顔を近づけてくる。
参ったな。こんなことになるなら、夜に一人で女装なんかするんじゃなかった。
友人にも打ち明けていない、俺の密かな趣味はなんと「二次元ヒロインのコスプレ」。
その界隈では多少名が通っていて、イベントでは撮影のために行列が出来るほどだった。憧れのキャラになりきっている間だけは、心が解放される気がする。唯一、本当の自分になれる瞬間に思えた。「自分以外の誰か」を演じているのに「本当の自分」だなんて、皮肉なもんだが。
その趣味が高じて「キャラではない、普通の女の子になってみたい」という欲求が抑えきれず、ついに今日、実践してしまったのだ。
初めは男だとバレるんじゃないかハラハラしたが、「今の子可愛いかったね」とすれ違いざまに聞こえてきて、心の中でガッツポーズした。
女の子として違和感なく街に溶け込めている自分に高揚する。
俺は嬉しくなって、自撮り写真をコスプレイヤー名義のSNSに載せてみた。あっという間に「いいね」がポンポン増えていく。
ああ、楽しいな。今日は良い日だ。
……なんて、さっきまで呑気に思っていたのに。
「ねえねえ、カラオケでも行く? それともホテル?」
馴れ馴れしく肩を抱かれ、遠くへ飛ばしていた意識を目の前の酔っ払いへ戻した。
いつの間にか乗るはずだった電車が到着していて、「あっ」と思った瞬間ドアが閉まる。乗り損ねて思わず舌打ちし、相変わらずグイグイと寄せてくる酔っ払いの体を、うんざりしながら押し戻した。
「しつけーな。離れろよ」
「えー? 女の子がそんな口のきき方、良くないなァ」
顎先を指でなぞられゾッとした。
嫌悪感と怒りが頂点に達し、忌々しく睨みながら右手に力を込める。その拳を振り上げようとした瞬間、酔っ払いの背後から突然ヌッと誰かの手が伸びてきて肩を掴んだ。
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