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あの日。
初対面でいきなり『下半身も繋ごう』と言ってきたあの日のことだ。
事務所にいた男女全員が、それはそれは大層驚いていた。
ただ一人、幸三だけは笑ってこう言ったのだ。
『──牛丸サン、それって全員に言うんですね!』
つまり、どういうことか分かるだろうか?
──幸三も先輩と初対面の時に、同じか似たようなセリフを言われたということだ。
念のため後で幸三に訊いたら、そう言っていた。
あの後、俺は全力で手を引き抜いて後退したのだが、それでも先輩は笑っていたのだ。……怖いくらい、笑顔だった。
しかし、後々幸三から聞いた話だと、おかしな点がある。
それは、幸三が先輩からセックスに誘われたのは【一回きり】ということ。
幸三がセックスを求められたのは、初対面の一回のみ。それ以降は、何度顔を合わせたところで一度も言われなかったらしい。
だからこそ、疑問が生じてくるというもの。
──それならどうして、俺には毎日、飽きもせず言ってくるのだ?
引き継ぎ初日から、数日間。先輩は声をかけてきた男女全員に同じようなことを言っていたが、それらもたった一回きり。
プライベートでどうなのかは知らないが、少なくともこの事務所内で二回以上誘われているのは、悲しきかな俺だけ。
……まさか、隣のデスクだからってからかってきているのか?
椅子に座り、俺はパソコンの電源を付ける。
「先輩。そろそろその不愉快な挨拶、飽きてきませんか」
「まさか」
頬杖をついたまま、俺のことを顔だけはいい先輩が見つめてくる。その表情は笑顔で、一ヶ月以上前の俺ならば緊張していただろう。
……だが、本当にいい部分は【顔】だけだ。
「僕は本気で子日君とセックスしたいよ。純粋な本心だから、飽きるとかはないかな」
冗談もそこまでくると、純然たる悪意しか感じない。『純粋な』と言うくせに、言っていることは不純極まりないものだ。
事務所にいる商品係の職員も、俺たちのやり取りになんの興味も示さない。そのくらい、このやり取りはある意味で【日常】になってしまったのだ。
俺は自分のことを【特徴が無いという特徴を持っている男だ】と思うくらい、平凡なステータスの人間だと思っていた。
だが、突然【毎日男に体を求められる哀れな男】というマイナス要素しかないステータスを足されてしまったのだ。……そんな俺の気持ちを、いったい誰が分かってくれるだろうか。
この問題は事務所の人に話しても、解決しなかった。
『毎日牛丸さんとお話しできて羨ましい!』
『仲良きことは美しきかなって、よく言うだろ?』
『もういっそヤッちゃえば?』
……という、他人事だと思って無責任な返事ばかり。勘弁してくれ。俺はホモじゃないのだぞ。
平凡な生活を送ってきた俺に、こんなキツすぎる冗談……いったい、どうやって対処しろと言うのだ。
いっそ、幸三に相談──……いや、それはやめておこう。アイツはアイツで今、きっと忙しいだろうし。
隣に座る男に悩まされて一ヶ月以上経ち、まさか四月の人事異動がこんなにも俺に関係のあるイベントになるなんて。
あの時の俺は、一切合切全く思っていなかったのだった。
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