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 先輩は慣れた手つきで俺のネクタイをほどくと、力任せに俺の腕を、そのネクタイで縛り付けてくる。  勿論抵抗しようとしたが、先輩の方が腕力は強い。抵抗虚しく、呆気なく縛り付けられた。  これは、かなり……ッ。ヤバイ状況、だよな……ッ? 「僕はね、子日君」  縛り付けられた俺の腕を、先輩が左手で押さえ付ける。そして俺の耳元に、先輩はそっと唇を寄せた。  温かな吐息が触れると、なぜだか体が冷えてくる。全身を硬直させて、俺は先輩が紡ぐ言葉の続きを待った。  すると耳元に寄せられた唇が、衝撃の言葉を紡いだ。 「──【好き】が怖いんだよ」  ……は、っ?  会社で、一番。俺が知っている人間の中で最も【好き】を寄せられている男が、いったいなにを言っているのだろう。相手が俺じゃなかったら、刺されていてもおかしくないぞ。  つまりそれは、モテるがゆえの悩みということだろうか? 身をよじることも忘れ、俺は呆然とする。 「【好き】って気持ちは人を狂わせるって、よく言うでしょ? 僕が言っているのは、そういうことだよ。……だから、僕は【好き】が怖い」  だったらどうして、俺のワイシャツのボタンなんかに手を掛けているのだろうか。  ジワジワと身に迫る、貞操の危機。けれど、言われていることもやられていることも、俺は理解できていない。だからこそ俺の頭は『体を動かせ』という単純すぎる命令を、神経に伝えられない。 「僕は、誰かを好きにならないよ。それは、君にも同じ。僕は、誰も好きになったりしない」 「だっ、だったら……っ! なんで、俺のボタン……っ」 「『ボタン』?」  一番上の、第一ボタンに先輩が手を掛ける。  俺の言葉を繰り返した後、先輩はピンッ、と。 「──抱くために外しているのだけれど?」  ボタンを、弾いた。  ──嘘、だろ……ッ?  ──言っていることとやっていることがグチャグチャじゃないか!  好きじゃないんだろ、俺のことが。じゃあなんで、俺を抱こうとしてくるのだ。そんなの全然、話が違うじゃないか。 「好きじゃないのに、なんで……ッ!」 「僕も男だよ。『可愛いな』って思ったら手を出したくなるのは当然だと思わない?」 「うわっ!」  二個、三個とボタンが外されていく。  ……怖い。怖くて、堪らない。  ──嘘だろ、嘘だろ嘘だろ……ッ!  実際にレイプされかけると恐怖で体が動かなくなるとは聞くが、それはつまりこういうことなのか。俺は今、痴漢を受けている女性の気持ちをこの身を持って実感しているところだ。  ……って、今はそんな分析どうでもいいだろ! 俺はなんとか、懸命に下半身をよじった。  それと同時に心の底から、ある一言が漏れ出る。 「──気持ち悪い……ッ!」  本当に、心からの言葉だった。  それなのに、先輩は笑顔だ。 「あははっ、本当に君は可愛いね」 「気持ち悪いんだよ……ッ!」  敵意を剥き出しにして、睨み付ける。  同じ職場だとか、営業部の時期部長とか、年上とか先輩だとか……。そういうのは今、一切関係ない。  ──俺は今、犯されかけているのだから。

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