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終業時間となり、終礼を終えた職員たちが体を伸ばす。
「終わった~っ!」
「今日はガンガン飲みに行こうぜ!」
「なにそれ大賛成~っ!」
気分は完全に忘年会だ。それほどまでの解放感を、職員は得ていた。全員が全員根を詰めて作業をしていたのだから、この浮かれっぷりは理解できるが。
すると二日前、先輩に対して自慢げな態度で繁忙期の説明をしていた上司が一人、俺たちのデスクに近付いた。
「よっ、二人とも! 作業が終わってるなら飲みに行かないか?」
先に返事をしたのは、先輩の方だ。
「せっかくのお誘いですのに、すみません。残念ながら、僕は行けそうになくて……」
「ありゃりゃ。兎田主任の無茶ぶりが残ってたかぁ。元気出せよ、牛丸」
「ありがとうございます」
哀れまれている先輩は、笑顔で上司に対応している。
すると上司は、隣に座る俺へ視線を向けた。
「子日はどうだ? 終わってるんだろう?」
「いえ、自分もまだです。ご一緒できずにすみません」
「そうなのか? じゃあいつものところにいるから、終わったら来てくれよな!」
「善処します」
上司は少しだけ残念そうにしながらも、俺たちに手を振りつつ、他の職員と合流する。
上司が離れた後、先輩はポソッと小声で俺に訊ねた。
「子日君。……どうして、嘘を吐いたの?」
「なんのことでしょうか」
「仕事だよ。本当は終わっているでしょう?」
ふぅん、目敏いな。
俺は椅子を回転させて、先輩に向き直った。
「日中は随分と大変そうでしたのに、周りに気を配れるとは結構なことで。意外と余裕そうですね」
「ヤダな。さすがに、職員全員の進捗を把握しているわけじゃないよ」
先輩は言葉を区切ってから、ニコリと微笑みを浮かべる。
「僕が把握しているのは、君のだけだよ」
……クソッ。思わず口角が強張り、咄嗟に返答できなかった。
上司と話していた時も、先輩は笑顔だったが。その笑顔と俺に向ける笑顔は、どことなく違って見えて……。いったい、体がガチッと固まってしまうこの感覚は、なんなのだろう。
俺は眉を寄せつつ、先輩の笑顔を見つめ返す。
「飲み会に気乗りしていないというのは本心ですが、かと言ってその程度の動機で嘘を吐くわけないじゃないですか」
そう言ってから、俺は先輩のデスクに向かって身を乗り出した。
その瞬間、先輩が動く。
「え、っ」
左手で、右手首を握るために。
その【癖】は、先輩が【困ったとき】に発動する。……しかもそれは、先輩が【恋愛面】で困ったときに。
「いちいち変な反応をしないでください。不愉快です」
「あ……っ。ご、ごめんね……っ」
反射的に右手首を掴んでいたと気付いた先輩は、慌てて左手を下ろす。
それからまた、俺のことを見た。……どことなく、不安そうな目で。
まったく。とんだ単純思考野郎だ。少し距離を詰めただけですぐに桃色展開突入だなんて、アダルトゲームの世界じゃないんだぞ、ここは。
先輩の【怯え】は理解に苦しむし、理解したくもない。
……そして、なによりも。
──そんなことにここまで腹を立てている自分自身も、認めたくはなかった。
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