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オマケ 1【先ずは一言誘ってくれ】 1

 ※二人の関係性は 最終章【先ずは好きだと言ってくれ】 の後くらいです。  とある日の、事務所にて。 「──子日君と新婚ごっこがしたい」  先輩こと牛丸章二さんが突然、そんなことをのたまったではないか。  事務所には、俺と先輩の二人だけ。時刻は夜の十時を回ろうとしている。  俺は背もたれに体重を預けて、体を軽く伸ばした。 「ん~っ。……仕事、ひと段落ついて良かったですねぇ」 「僕の発言が丸ごと切り取られている!」 「お疲れさまでした~」 「ちょっと! ちょっ、子日君待って! 待ってくださいお願いしますっ!」  逃亡、失敗。  俺は『辟易しています』という感情を隠すこともなく、先輩を睥睨した。  しかし、先輩は両手を合わせて俺に頼み込んでいる。そのパフォーマンスに幾ばくほどの価値があるかは不明だが、先輩は俺に頼み込んでいるのだ。  ここは人として、少しは時間を割いてやろう。 「まったく、ちょっとだけですよ」 「わぁっ! ありがとう、子日君──」 「はい、ちょっと」 「子日君っ!」  あくまでも、少しだけ。  今度こそ逃亡を図ろうとした俺だったが、先輩があまりにも情けない顔をしているので、放ってもおけない。渋々、俺は自分のデスクに戻ることとした。  これが、俗に言う【惚れた弱み】というものなのだろう。まったく、実に厄介な感情だ。  ……えっ、違う? ただの温情? お情け? まごうことなき同情だって? ……確かに、その方が今の俺にはしっくりくるかもしれないな。  とにもかくにも俺が椅子に座り直すと、先輩はまるで飼い主の帰宅に喜ぶ犬のように表情を輝かせた。……クソッ、顔がいい。 「それで、なんですって? 先輩、今、なんて言いました?」 「子日君と新婚ごっこがしたい!」 「あー、ははっ。……それで、本題は?」 「なにその『つまんないこと言われたけどとりあえず愛想笑いをしておこう』みたいな反応! やめてよ、スルーされるより傷付くから!」  おかしい。こんなにも分かり易く話を聴いてあげているというのに、先輩は不服そうだ。俺の優しさは分かりにくいのか?  仕方なく、俺は先輩と向き合って『真摯な対応です』と表面からアピールしてみた。 「……えっと、なんですって? 新婚、ごっこ? ……控えめに言わせていただきますが、先輩、頭大丈夫ですか?」 「もしかして子日君、冗談を抜いて本気の本当に本心から僕のことを心配しているのかな?」 「当たり前じゃないですか。先輩は俺にとって大切な……隣のデスクに座る人、なんですから」 「明らかな他人!」  心配そうな眼差しを向けると「可愛いけど、その目はやめて!」と吠え始める。なんと言うか、今日の先輩はあまりにも面倒くさい。  せっかくの金曜日。明日と明後日は社会人にとって、ささやかだけれど多大なハッピーをもたらす休日だぞ? なんで帰ろうとしないんだ、この人は。  俺はため息を吐き、情けない顔をしている先輩を見た。 「要領を得ませんが、先輩はそれをしないと帰らないんでしょう? なら、いいですよ、付き合います」 「本当に? 一言会話を交わしただけで『はい、付き合いました。それではさようなら』とか、言わない?」 「……チッ」 「こんなにハッキリとした舌打ち、悲しいことに初めて聞いたよ……」  さすが、俺にメンタルを叩きのめされて数ヶ月の先輩だ。俺がするであろう対応を心得ている。  ……それが、若干心なしか僅か欠片程度でも嬉しい気がするのだから、やはり【惚れた弱み】というのは厄介だ。 「リアルな新婚さんをお願いね! 具体的には【付き合って三年でゴールイン! 結婚してから早二週間! 大好きな旦那様との新婚生活に胸を弾ませる新妻】のような対応を希望するよ!」  こんな馬鹿げた人のことを、どことなく『クソッたれ。顔がいいんだよクソが』と思ってしまうのだから。  ……やはり、恋とは厄介なものだった。

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