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続 3 : 8
驚く僕はなにも言えずに、二人のやり取りをただただ静観する。
「それより、オラ。仕事だ」
「新しい資料ですか? ありがとうございます。……だけど、なんでわざわざ持って来てくれたんですか? 主任がこの時間帯に来るなんて、珍しいですよね?」
「今日のテメェはいちいち細かいな。それもどうだっていいだろ」
「こちらとしてはかなりの大事件なのですが。……ねぇ、先輩?」
呼ばれた僕は、マヌケな声で「そう、だね」と答えた。……それ以上、なにも言えそうになかったのだ。
だって、ありえないじゃないか。あの兎田君が、こんな時間に事務所へ来るなんて。
だって、ありえるわけがないじゃないか。あの兎田君が、誰かの助言を素直に聞き入れるなんて。
兎田君はいつもと変わらない【不機嫌さを全開にした表情】のまま、子日君をジッと見下ろした。
そして、おもむろに……。
「わっ、ちょっとっ!」
兎田君はその大きな手で、子日君の頭を強引に撫で始めたのだ。
「顔色は、悪くねぇな。……ククッ、それでいいぞ、ネズミ野郎」
「のっ、脳が揺れますっ!」
「なんだ? テメェの脳みそは頭部を動かせばコロコロ揺れるのか? ピンポン玉みてぇだな、おもしれぇ」
「わっ、わわっ!」
グリグリと、兎田君は乱暴な手つきで子日君の頭を揺らしている。
これは、兎田君からすると【珍しく】嫌がらせではない。彼としてはおそらく、愉快な触れ合いの一環なのだろう。きっと、ただのじゃれ合いだ。
だけど……。
──だから、こそ……ッ。
「──やめろッ!」
あの兎田君が、友人にするような触れ合いをしているのならば。
──僕にとっては、不快で堪らないのだ。
すかさず兎田君の手首を掴んだ僕は、そのままギロリと兎田君を睨み付けてしまう。完全なる、反射行動だ。
……そこまでいってようやく、僕はハッとした。
子日君と兎田君が、驚いた様子で僕を見ている。周りの職員も同様に、僕たちを──僕を見て、驚いていた。
静まり返った、事務所。思わず掴んだ手首の、確かな感触。向けられる、視線。
それら全てを一身に感じ取った後、僕は堪らず青ざめそうになった。
しまった、と。そう思うと同時に、僕は慌てて兎田君から手を放した。
「……え、っと。いや、ほら。僕たち仕事中だから、そんな乱暴に邪魔をされると困っちゃうよ」
上手に、笑えていない。そう自覚をしていながらも、僕はなんとか笑みを浮かべる。
子日君の頭から手を放さざるを得なかった兎田君が、今度はジッと僕を見ていた。……けど、それからニヤリと、意地悪く口角を上げたではないか。
「へぇ? そう言うテメェも、随分と乱暴な手つきだったな?」
「ご、ごめんね、主任君」
「まぁ、なんでもいいか。今日は機嫌がいいからな。ウシの失言も【失態】も赦してやるよ」
兎田君が言う【失態】の、意味。それを理解すると同時にカッと、頬が熱くなったと気付く。
なんて、愚かなのだろう。僕は【最もされたくないこと】を、兎田君にしてしまったのだ。
頬に集まった、熱。その熱がどうか表面に現れていませんようにと、僕はただただ願うしかできなかった。
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