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続 3 : 9

 曖昧な笑みを浮かべる僕を見て、兎田君はニヤリと笑ったままだ。 「じゃあ、こっちはこっちで仕事に戻るとするか。就業時間中だからな」 「あ、はは」 「ハハッ。……じゃあな、ウシ。それと、ネズミ野郎も。渡した書類はキッチリ処理しろよ」  兎田君はそれだけ言い、すぐにこの事務所から出て行った。  ……最悪だ、と。そう、叫んでしまいたい。今すぐに、叫びたかった。  だけど、これ以上目立つことはできない。大前提に、これ以上非常識なことはしたくなかった。 「兎田君の気まぐれには困ったね。……仕事、しようか」  それらしい言葉を選んで、僕はなんとか普段通りに笑う。そんな僕を見て、子日君の表情が一瞬だけ強張った。……気が、する。  だけど、子日君はすぐに普段通り「はい」と言ってくれた。だから僕たちはそのまま、仕事に戻る。  ……嗚呼、最悪だ。もしも隣に子日君がいなかったら、僕は顔を覆って項垂れていただろう。そのくらいのショックと、衝撃だ。  子日君の優しさを、周りは知っている。子日君が素敵な人だということも、周りはハッキリと気付き始めてしまった。  だけど、そのさらに奥。【子日君によって未来を切り開かれた】のは、僕だけだと。それほどまでに彼という存在に入れ込んでいるのは僕だけだと、僕にはそんな……奇妙とも言える【優越感】を抱いていたのだ。  ……だけど、実際は違った。  彼の優しさに気付いた者は。そして、彼の素晴らしさに気付いた人は誰でも、彼の影響を受ける。兎田君も、その一人なのだ。そしてきっと竹虎君にとっても、子日君はある意味で【特別】なのだろう。  子日君の魅力に気付き、子日君と関わることで自己に変革をもたらし、子日君を【特別】に思う人が、増えていく。……それだけ、誰かと子日君が深く関わってしまったら。  ──堪らなく、怖いじゃないか。子日君を、僕から盗ろうと思う人が現れるかもしれない可能性が。  堪らなく、怖い。子日君が、僕以外の誰かを選ぶ仮の未来が。  堪らなく、怖かった。僕以外にも向けられる、子日君の大きな優しさが。  堪らなく、怖いのだ。子日君を中心にして、ここまで醜悪な気持ちを抱いてしまう僕自身が……ッ。  子日君は、いい人だ。優しくて、素敵で、温かくて……。  だからこそ、僕は胸の中で醜い感情を抱いてしまう。  ──独り占めしてしまいたい、と。 「……っ」  ため息を飲み込み、己を責めるための言葉も飲み込み、胸の内を抜け出して喉から這い出てしまいそうな感情も飲み込む。  僕は、僕に向けられた【好意】が怖いのに。その原因ともなる【好意によって歪んだ気持ち】が、恐ろしくて堪らないくせに。  そんな感情を、今の僕自身が抱いている。……そんな自分自身がまた、堪らなく怖い。  僕は一度だけ、自身の右手首を掴む。誰にも握られていないそこを、自分の手で握ってみせた。  そうすると、ほんの少しだけ胸が落ち着く。僕が掴んでいる間は、誰も僕のココを掴めないのだから。  あからさまな深呼吸は、子日君に気付かれる。それは、なんとしてでも避けたい。  だから僕は、隠れるようにして自身の右手首を掴んだ。……どうか今だけは、いつも通りの素っ気ない子日君でいてほしい。  そうすれば、この醜態は見られないのだから。

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