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続 5.5 : 2

 ある日、ウシにお気に入りができた。件のネズミ野郎だ。……名前? 確か【子】という字が入っていただろう? だから、俺様の認識はそれでいいんだよ。  ウシはその男にやたらと付きまとい、俺様とネズミ野郎が会うときは必ず介入してきた。ウシ曰く、俺様がネズミ野郎を虐めると思っているらしい。テメェはどうなんだよと言ってやりたかったが、俺様とて大人だ。何度、そういった類の言葉を告げる直前で閉口したことか。  まったくもって、ウシは不愉快な男だ。俺様は自分自身を守るために、日夜それらしい振る舞いを頑張ってるんだぞ? ゲームではよく、戦術に【先制攻撃】って言葉があるだろう? それだ。  ウシの態度に少なからず思うことはあったが、ある日。 『──兎田君ッ!』  血相を変えて、ウシが俺様の腕を掴んできた日があった。  それは、とある夜。ネズミ野郎が深夜まで仕事をし、自分を追い込んでまでなにかから目を背けていたあの夜から、少しして。……昼休憩、くらいの時間だったか。顔色の悪いネズミ野郎と楽しく談笑をした日のことだ。  なぜかウシは、ぐったりと脱力しているネズミ野郎を背負って、俺様の腕を掴んできた。  思わず、俺様は『苗字を呼ぶな』と。そう、言おうとしたのだが……。 『お願いッ! 君の仮眠室を貸してくれないかなッ!』  俺様とウシ至上、最も強い勢い。ウシの剣幕に驚いた俺様は、ウシに対する意見が喉の奥へと引っ込んでしまった。 『……な、んだ、それ』  ようやく出てきた言葉は、まぁ当然ながら文句だ。 『なんで俺様が、テメェに──』 『──今はそんなことを言っている場合じゃないんだよッ!』  しかしウシは、その文句すら封じてきた。まったくもって、ウシという男は不愉快極まりない男だ。  俺様の腕を掴んだまま、あろうことかウシは……他の誰でもない俺様に、縋ってきた。 『お願いだよ、兎田君! ……お願い、だから……ッ』  背中には、気を失っているネズミ野郎がいて。 『兎田君……っ』  ウシの顔は、見たこともないような色で。  ──人に触れられたくないのと同じくらい、人に触れたくないくせに。  ネズミ野郎を背負い、俺様の腕を掴んで。ウシが、他人のために……。 『……貸しだぞ、低能共が』 『っ! ありがとう、兎田君っ!』 『うるせぇ、苗字で呼ぶな。それと、馴れ馴れしく触んじゃねぇ。テメェの右手首を引き千切るぞ』 『あっ、ごっ、ごめんっ!』  パッと俺様の腕を離したウシの手に、仮眠室の鍵をポイと渡した。 『本当にありがとうっ!』  去って行くウシを見て追いかけようとか、ましてや引き留めてやろうとか。なにひとつ、言動が思いつかなかった。  ……それから、そこそこ経って。『失恋か』と、ある小さな馬鹿が俺様に訊ねた。  対する答えなんて、決まっている。『ノー』だ。恋情なんて損しかしないもの、この俺様には要らない。  ……だが、そうだ。恋ではないが、失ったものはあった。  器用には生きられず、それでも他人が気になるから自分なりに武装をし、自分が呼吸をしやすい【一人きりの世界】を生きる。  そんな俺様とウシは同じだ、と。そう、思っていたのに。  そんな妄言を言うこともできず、俺様は空虚な喪失感を抱いていたのだ。

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